知らなかった彼のこと

4/7
前へ
/86ページ
次へ
* * * *  今日は朝から全園児での体操の時間があったが、珍しく気合が入らなかった。何があっても元気が取り柄の徳香先生なのになぁ……嫌になってしまう。  それから部屋に入ってからずっと、男児には手裏剣、女児にはハートを折り紙で折り続けていた。 「ねぇ、先生。風邪とかひいちゃった? なんか今日元気ないよね」  クラスの女子たちが徳香を囲み、心配そうに声をかけてきた。 「えっ、そんなことないよ!」 「あっ、もしかして先生、お酒飲み過ぎちゃった? うちのパパね、よくお酒飲み過ぎて頭が痛くなって、ママに怒られてるよ」 「そうなんだ〜。でも先生はお酒は飲んでないから平気だよ」 「そうかなぁ。だって先生、珍しく体操の時に間違えて踊ってたよ。いつも絶対間違えないのに」 「あはは……大丈夫大丈夫。ちょっと考え事をしてたら忘れちゃっただけだから」 「あっ、ほらやっぱり! 何か考えてたんでしょ?」  うーん、やっぱり年長の女の子ともなると、観察力がすごいのよね。徳香は思わず苦笑いをした。 「何か悲しいことがあったの?」  何も知らないはずなのに、痛いところを突いてくる。 「わかった! ママとケンカしたとか? 私も昨日ママとケンカしちゃったからわかるよ」 「リンちゃん、ママとケンカしちゃったの?」 「だってママがピアノの練習しなさいってうるさいんだもん。後でやるって言ってるのに、今やれって言うの。なんかピアノ辞めたくなってきちゃった」 「そっか〜。でもピアノって、練習するとどんどん上手になるよ。先生も頑張っていっぱい練習してるしね。それにスラスラーって弾けて褒められたら嬉しくない?」 「うん……嬉しいかもしれない」  頑張った分、返ってきたらすごく嬉しい……。そうだよ……信久はあんなに私に寄り添ってくれてたのに、どうして気付かなかったのか不思議なくらいだった。
/86ページ

最初のコメントを投稿しよう!

509人が本棚に入れています
本棚に追加