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「なあ。昨日さ、ちょっと面白いことあったんだけどさ」
月曜の1限目。得意気に話しかけてきた友人と共に、僕は講義室の席についた。
一番後ろの特等席が空いているのは珍しい。全体を見渡すと、やけに人影はまばらであった。
「あれ。今日って休講だっけ」
「なんだよ、話聞けって」
講義時間が近づいていたが、一向に生徒が増える気配はない。
もし休講ならラッキー、と思うくらいには大学生活も慣れてきた頃である。週の始まりとしては実に幸先がいい。
一方、話の腰を折られた友人は不服そうだ。誰かに聞いてほしくて仕方ないのだろう。
「わかったよ、じゃこれが休講だったらいくらでも聞いてやる」
「ほんとだな?よし掲示板見てくる」
「あ、ついでに何か飲み物買ってきてくんない?」
「おお、何がいい?」
「お任せで」
素直で善良な奴である。入学初日から何となく馬が合ってつるみ始め、同県出身ということもあり、たちまち親しくなった。
今では「彼女いない同盟」を結成する仲だ。
駆けるようにして、友人が戻ってきた。
「ない、ない。今日と次回休講って、ちゃんと貼ってあったわ」
「次も?ラッキー」
「休み多いよなこの先生。出張とかか?」
「さあ。単位もらえれば何でもいーよ」
行きあたりばったりな所が特に似ている二人であった。普段から人の話を聞かないと見えて、講義室には自分たちの他に数人しか残っていない。
缶コーヒーを受け取り、小銭を渡したところで、改めて最後列の窓際に陣取った。
「で、何だって?」
予期せぬ空き時間には、雑談が一番だ。
僕は、彼の「ちょっと面白い話」とやらを聞いてみることにした。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
そうそう、聞いてくれよ。
俺のバイト先の話なんだけどさ。
ちょっと前から人材派遣のバイトしてるって言ったじゃん?あれさ、派遣先ってほとんど結婚式場なんだよね。
そう、テーブルとか食器並べたり、料理運んだりシャンパン注いだり。まぁ色々。
「婚礼サービススタッフ」ってやつらしい。
大層だよな。ただ学生バイトが雑用やってるだけなんだから。
だのに、原則「黒髪・スーツ・オールバック」だぜ?
そりゃ式場でウェイターやるんだから当然だけどさ。黒染めとか、ジェルなんて初めて買ったわ。
社員さんも怖いしさあ。さすがに会場じゃ怒鳴んないけど、毎回裏行ったらスゲー怒られる。泣きそうんなるし。
いや笑うなって。マジだって。
で、昨日だ。昨日はCMとかやってるデッカイ式場でさ。
客だけで100人以上いたんかな?社員さんもなんか緊張してる感じでさ。
なんでも、ちょっと変わった式なんだって言って。
余興?違う違う。
余興は別に普通だったなあ。お祝いムービーでK-POP踊ってたの流したくらい。
余興といえば、こないだのは面白かったなあ。新郎さんの勤め先がホストクラブかどっかで、急にシャンパンコール始まってんの。
サプライズだったのかな?いきなりギラギラのスーツ着たホスト仲間が出てきて、新郎さんめちゃくちゃ飲まされてた。けど新婦さんもめちゃくちゃ笑ってたし、楽しそうだったな。あれは盛り上がってた。
って、ゴメン話が逸れちゃったな。
昨日の式で変わってたのは、新婦さん側の招待客さ。
親族が座る卓に、こう、ぽっかりとね。料理が置かれてない席が二つあったんよ。シルバーとかグラスはあるんだけど、料理だけなくてさ。
だろ?変なんだよ。
こわごわ社員さんに聞いても、そこは料理置かなくていい、けど客がいると思って手は抜くなって、それだけ。よくわかんなくてさ。
気になったなぁ。
で、式は順調に進んでって、最後のコーヒーまで出し終えた。
最後の飲み物を付けちゃうと、俺らもひと段落って感じ。空いた皿下げつつ、ドリンクの補充に回るくらいかな。
そんで最後よ。よく新婦さんが手紙読んだりするじゃん?
そうそう、両親への手紙。昨日もそれあったんだけど、ちょっと会場の雰囲気が違っててさ。ザワついてるっていうか。
なんでだと思う?
そう、さっきの話。
実はその手紙、死人宛てだったんだよ。
…え?いやいや、ホラーじゃないよ。
ゴメンちょっと言い方悪かった。不謹慎でした。
でも、内容聞いてわかったよ。
新婦さんね、結婚式のちょっと前に両親亡くしてたんだって。
交通事故だって。そう、二人とも。
やるせないよな。何もこんな時にって。ねえ…。
あの空席は、お父さんとお母さんのためだった。
手紙ね、聞いてて涙我慢できなかったよ。
細かい内容は覚えてないけど、関係ない俺がこんなになるんだから、残った家族とか、事情を知ってる人たちはどれだけだったろうね。
それでさ、新郎さんが先に泣いちゃってさ。我慢して手紙読んでた新婦さんも、それ見て泣いちゃって。
そこからはもう無理だった。俺も泣いちゃって仕事になんなかったもん。
でも、泣きながら笑ってるんだ。新婦さんが。
今日はめでたい日だからって。両親に一番いい自分を見せるんだって。
すごいよな。親がいなくなるなんて、俺には想像もできないのに。
笑ってるんだよ。
新婦さんスゲーしっかりしてて、ぐしゃぐしゃの新郎さんの顔拭いてあげて、そこで皆も笑った。
会場にいる全員が、二人を祝福してた。これからどんな大変なことがあっても、皆がついてるよ、力になるよって言ってる感じがして、良かったなあ。
この場に立ち会えたことが、なんだか誇らしかったよ。誰かに話したくてしょうがなかった。
全部が終わった後、新郎新婦の二人から式場にお礼の時間があって。
一人ひとり順番に、スタッフとか厨房の人にも挨拶してくれてて。
俺の目を見て、「今日はお世話になりました」って言ってくれたんさ。
急だったし、何も言えなくて、とにかくガッて頭下げた。
心から、おめでとうございます、って思いながら。
伝わったかな。
伝わってるといいな。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
ぬるくなった缶コーヒーに口をつける。講義室は、いよいよ僕らだけになっていた。
僕はまだ結婚式に出席したことがない。ぼんやりしたイメージしかないが、今のような話を聞くと、いつか参加する日が楽しみになってくるから不思議だ。
そこまで話し終えた本人は、机に突っ伏すようにしてスマホを弄んでいる。式の余韻に浸っているのかもしれなかった。
「面白いって言うから、失敗談か何かかと思った」
「いや失敗なら毎回してるんだよ。昨日もグラス割っちったし」
「で、社員さんに怒られて泣かされるんでしょ」
「その通り」
それも面白そうな話ではあるが、そんなエピソードが霞むほど、昨日の出来事が頭に残っているのだろう。
僕の知らない世界で働いていると思うと、隣の友人が急に大人びて見えた。
スマホの画面を眺めながら、彼が呟く。
「だから、なんだろ。もっと親大事にしないとなって。
親だけじゃなくて、お世話になった先生とか、部活の先輩とか、地元の友達とか。もちろん今の友達もだけど」
受験を終えて大学へ進学する際、自分の無力さを痛感したことがある。
アパートを契約すること。
口座を開設すること。
家具や家電を揃えること。
保険に加入すること。
世話焼きの両親があれこれ動いてくれて助かったが、「自炊」と「自立」は完全に別物だった。
今の僕の暮らしは、多くの人の支えによって成り立っている。
彼も同じことを考えているだろうか。
そんなことを考え、耽っていると、起き上がった友人がハイと手を挙げた。
「目標。俺も結婚式で100人呼びたい!」
この素直さなのだ。
明快で、さっぱりした結論を出せる飾り気のなさが、彼の魅力であった。
それはお世話になった人たちへの最高の恩返しだ。
「いいね。じゃあまず彼女作んないと」
冷やかすような僕の言葉に、ふっと友人の口元が緩んだ。
「そうそう、昨日けっこう可愛い子がいたんだよ。お客さんで」
気が多く、惚れっぽいのもまた彼の特徴だった。
グループワークで一緒になった他学科の子から、携帯ショップの美人店員まで。
その度に話を聞かされている僕は、今や彼以上に彼の好みに詳しいと言ってよかった。
「言い忘れてた。もうちょい聞いてくれる?」
そして奴がこういう言い回しをする時は、たいてい次が本題である。
僕は苦笑いを浮かべて、話の続きを促した。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
手紙の後さ。
いつまで泣いてても仕事にならないから、俺もソッコーで顔拭いて、残った皿とかを下げてたわけ。いい式だなーって思いながらさ。
そしたら、お客さんで、俺以上に泣いてる女の子がいたのね。
髪をこう、キレイに結ってあって、緑色のドレス着てて。
食器下げる時にバッチリ目が合っちゃってさ。慌てて下向いて涙拭いたり、鼻かんだりしてんの。
拍手する時も、手が腫れちゃうんじゃないかってくらい一生懸命でさ。なんだか目が離せなかった。
実は、始まる前からちょっと可愛いなって思ってた子なんだ。
親族に近い席に座ってたから、従姉妹か、それはわかんないけど。
式が終わって、お客さんが退場する時も、やっぱりその子のこと見ちゃうんだよ。
ちょうど同い年くらいかな?いや、少し上かも。
送賓の後、出口案内する時にもっかいタイミングあったんだけど、「ありがとうございました。またお越しくださいませ」的なことしか言えなくてさ。
いや仕事中だから、当然っちゃあそうなんだけど。
でもその子、立ち止まって、「こちらこそ、ありがとうございました」って。照れ笑いみたいな感じで!
涙で目が真っ赤だったけど、それでも可愛かったんだよなあ。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
「またどっかで会えないかなあ」
話し終えた友人は、夢見心地のように呟いた。
ちょっといい話だっただけに、最後はなんとも彼らしい。
どうも面食いの気がある彼は、 高望みが過ぎて上手くいかないケースが多いのだが。
「そんなに可愛かった?」
「美化してるかもしんないけど、好みではあった」
「フーン。うちの学科だと誰に似てる?」
「雰囲気だけなら、茂木さんとかかなあ。顔はわからん」
「ああ、じゃあけっこう身長低めなんだ」
「そう、小っちゃくて、細い感じ」
相談とも呼べない雑談を交わしながら、一連の話を思い返す。
怒られて落ち込んで、
感動に涙し、
恋の予感に胸が高鳴る。
僕の感想は、集約されたひと言になった。
「いい経験したね」
ニッと笑って言うと、彼もニヤッと笑い返してきた。
「だろ?」
経験は実感であり、知識であり、認識である。
反面やったことがない事柄に対しては、人は驚くほど無知で無理解な生き物なのだと、最近やっと気づいてきたところだ。
恐怖や不安を押さえつけ、新しい世界に飛び込んでいく瞬間こそ、挑戦者にしか味わえない醍醐味なのかもしれない。
バイトも、恋も、勉強も。
僕たちは、これから色んなことを経験していくのだ。
「あーあ、こっちもバイト探さなきゃなあ」
「お、一緒にやる?紹介しよっか」
「オールバックかあ…」
「貸したるよ。白髪染めでも、ジェルでも」
顔を見合わせ、笑い合ったその時。
「あの、すみません」
頭上から、緊張したような声が降ってきた。
声の方向へ顔を上げると、机の前に同い年くらいの女の子が立っていた。
「ちょっと遅刻しちゃって…。今来たんですけど、今日って休講なんでしょうか?」
同じ講義を取っているのだろう、困ったように眉を下げている。
ぱっとした目が印象的な、可愛らしい子だった。
「あ、そうみたいですよ。正面の掲示板に書いてあったって、なあ」
同意を求めて隣を見ると、友人は縛られたように固まっていた。
視線は目の前の彼女に釘付けになっている。
二人の目が合った。
彼女の大きい瞳が、さらに見開かれる。
彼が思わず立ち上がったのと、彼女がぼっと赤面して口を押さえたのはほぼ同時だった。
二人の表情を見比べていた僕は、満面の笑みを浮かべていたことだろう。
驚きに口を開けたままの友人の背中を、思いきり叩いてやった。
この恋が成就した暁には、心からの祝福と嫉妬を込めて、おめでとうと言ってやろう。
「彼女いない同盟」は、どうやら奴が先に抜けそうだ。
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