人間の評価

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人間の評価

学校が嫌いだった。 学校なんて楽しいことはひとつもない。 成績は相変わらずトップでも、先生に褒められても、私には喜びも嬉しさも何もない。 朝学習の漢字テストは勿論毎回100点で、母はそれらをひとつに纏めてリボンを通し居間の窓際に飾っていた。 ある日、アパートの外壁工事があり、ベランダで作業をしていた若い作業員さん2人は、窓際にある漢字テストに気付き「すげー、100点ばっかり」と室内にいた私に笑顔を見せてくれたことがある。 私は彼らの優しい笑顔がちょっとだけ嬉しかった。 笑顔を返そうとしたその時、台所から居間に戻ってきた母は【当たり前でしょう、羽美なんだから】と言いたげな顔をしていた。 母にとって、私はお勉強の出来る頭の良い子。 自慢の娘だ。 私の心の内など見ようとすることなどなく、成績だけが評価の対象である。 人間の評価というものは、成績だけで決められるものなのだろうか。 いや。 そうではないことくらい、10歳の子供にもわかる。 しかし、母にはわからなかったらしい。 上履きは相変わらず焼却炉に投げられていたが、私は一度も母には言わずにいた。 10歳にして私は人生というものを諦めていたのかもしれない。 生きているのに、この世に自分が存在していないような。 そんな風に。 死んでいる様に生きていた気がする。 大嫌いな学校から、大嫌いな我が家へ帰る。 全てが嫌いだった。 でも、10歳の子供に出来ることなどない。 ひとりで生きていく術もなく、かといって、ひとりで死ぬ勇気もない。 ただただ、好きでもない勉強をし、良い成績を残すしかないのだ。 夫婦関係は最悪だった。 母はストレスから十二指腸潰瘍を何度も患っており、夜中にトイレに起きると、布団の上に正座をし溝落ちを押さえながら痛みに耐えている母の姿を見ることが多かった。 「お父さんのせいで胃が痛い」 そう言っていた母を、これ以上痛みで辛い思いはさせてはいけないといつも思っていた。 逆らうとか、親に反抗するなど10歳の私には無縁だったのだ。 クラスに友達と呼べる者は数名いたけれど、嫌がらせを受けても庇ってくれる者はいない。 友達。 嗚呼、友達ってなんなのだろう。 もしかしたら、当時私が友達だと思っていた者は、友達ではなかったのかもしれない。 居場所のない私は、ひとりで本を読み、ひとり三役で妄想の世界を思い描くことが、唯一自分が生きていて楽しいと思える時間だった。 そんな私を、母は「根暗」だと言った。
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