第1話 突然の出会い 〜ソードのナイト(正位置)

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第1話 突然の出会い 〜ソードのナイト(正位置)

「皆さまこんにちは。いつもご視聴いただき、ありがとうございます。 こちらの動画では、多くの方に向けてタロットリーディングをしております。 全てがピッタリ当てはまらないかも知れませんが、ピントくるところだけを 参考にしていただければと思います。それでは始めていきましょう!」    皆生愛美(かいきまなみ)はお昼休みに会社近くの公園のベンチに腰かけ、いつものように動画をスマートフォンで再生しながらお弁当を食べていた。イヤフォンから響く女性の明るい声が少し心地良い。最近は動画サイトで、こういったタロット占いをしている動画コンテンツがよく見かけられる。プロの占い師が占っているものもあれば、一般企業に勤める会社員や主婦などがお小遣い稼ぎに自らカードをシャッフルして展開し、撮影をしているものもある。この動画もその一つである。 お昼休みはいつも一人で過ごしている。いや、むしろ一人になる方が自分にとっては良いのである。仕事は程良くこなし大きな失敗はしないほうだが、職場の人たちとの距離はそれなりに取りたいと思うほど息苦しさを感じていた。  この公園はみなとみらい駅の前にある職場のビルから徒歩⒑分もかからない距離にあり、港から横浜ベイブリッジが見渡せる。広い芝生にはカップル達がシートを広げて寝転んでいたり、小さな子供達がはしゃいでいたり、それぞれの時間を過ごしている。愛美はイヤフォンをすることで自分の世界に浸ることが出来た。周囲からは寂しく見えても、彼女にとっては貴重な時間だった。 毎日混み合った電車に揺られながら会社に通い、総従業員千人を超える大企業の総務部で、周りに気を遣いながら淡々と仕事をこなす日々。三五歳で、未だ独身。仕事が終われば家に直行するか、月に一度同期たちと飲みに行くくらいで、新しい趣味を持つ気力もだんだん薄れてきている。今は彼氏もいなければ、新しい出会いや刺激もない。頭の中は将来に対しての漠然とした不安だけが巡っている。 「このまま独りだとどうしよう…。」と最近はそう思うことが多くなってきた。恋愛をしようとしても、人見知りで臆病な性格が顔を出す。最近ではスマートフォンのマッチングアプリで簡単に出会いを探そうと思えばできる便利な世の中ではあるが、愛美は過去に婚活を試みたが、相手の顔色ばかり窺って会話が続かず失敗で終わってしまったことがある。それがトラウマになり、積極的になれない。 自分も知らない間にストレスが溜まっているのかもしれない。ため息をしながら、天を仰いだ。 そんなことを他所に、再生された動画はどんどん進んでいく。 「では、今月の恋愛運を読み解いていきましょう。『現在』を表すところに、ソードのナイトの正位置が出ていますね。思いもよらない突然の出会いがあるかもしれません—…」 その言葉を聴きながら、愛美はふと公園内に立っている時計を見てギョッとした。休憩時間が終わる5分前を指していた。 「あ、いけない…、戻らなきゃ。」 慌てて動画の停止ボタンを押し、弁当箱をランチバックに詰めて、少し足早に職場へ向かった。5月の爽やかな風が愛美の頬に触れ、髪を揺らす。交差点を渡り終えた時、体の大きな男が電話をしながら愛美の目の前を横切った。一瞬ぶつかりそうになり、慌てて避けた。その男は電話に夢中でこちらに気付いていなかったが、男の手から小さな紙切れのようなものが落ちていくのを愛美は見逃さなかった。その紙切れが風に運ばれて愛美の足元にきたのである。すでに休憩時間は過ぎていたが、放って置けない性格が邪魔をして、気づけば紙切れを拾ってその男を追いかけていた。 「あ、あの。これ落ちまし…」 と言いかけた途端、男が急に歩くのを止め、その場に立ち止まった。愛美は思わず男の背中で鼻を思いっきりぶつけた。「…痛ったぁ。」と小声で言いながら少し顔を上げると、その男はこちらを向いて愛美を見下ろし、キョトンとした表情をしていた。 2メートル近くありそうな身長に、スポーツ経験があるのを匂わせる筋肉質な身体つき。睫毛の長い大きな瞳が印象的な顔をしていた。愛美は顔を赤くしながら拾った紙切れを黙って男に差し出した。男はその紙きれが自分のものだと気付くと、それを大きな手で受け取り、電話が終わっていなかったのか、受話器を手で押さえ、 「ごめんね。ありがとう。」と小声で話しながら、軽く手をあげ、会釈しながら愛美の元からまた歩き出した。通りの脇に停めていた軽自動車に乗り込み、その場を後にした。 この男こそが、後に知り合うことになる濱内陽平(はまうちようへい)である。 愛美は一瞬の出来事に数秒間ボーッとしていたが、時間が十分も過ぎていることに気付き、慌てて職場へ戻った。
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