そばにいてほしかった

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そばにいてほしかった

 一目惚れというと少し誤解がある気がした。 でも、誰にも理解されなくて良かった。 彼女の醸し出す空気感や僕を見つめる瞳が良かったから。 警備室でうたた寝してしまっていた僕の前に彼女が現れた瞬間。 言葉を失った、という表現がいちばん似合うかのように、僕はそこに立ち尽くした。 そして放った一言が例のあれだ。 彼女を信じて、彼女にそばにいてほしいと強く願い、言ってしまった一言。  兄貴が突然現れたのは、彼女の誕生日を祝った次の日だった。 「じん」 その声が後ろから聞こえた瞬間、心臓を強く意識せずにはいられない痛みが走り、一気に汗が出てくる。 諦めの感情も一気に押し寄せ、ただ辛かった。 「じん」 さっきよりも大きくなったその声に僕は振り向く。 「あっ、兄貴」 自分の声が変に響いていた。 こんな時でさえ、「兄貴」と呼ぶ自分が嫌いだった。 怯えから声も小さくなる。 そもそも「兄貴」と呼ぶようになったのは兄貴がそう望んだからで、従った幼い頃の自分を恥じた。 「なんで急にいなくなった?あの日、誕生日のケーキも用意してたのに。それに、沙友理だって寂しがってたよ」 「それは…」 「会わない間に刑務所にいたんだよ。知ってたか?」 知らなかった。 期待はしていたけれど、本当に捕まっていたとは。 だけど、今、目の前にいる。 「知らなかったよ」 「帰ろう。な?」 兄貴は肩を組み、僕の顔を覗き込んだ。   「何かあったのか?悩みなら聞くよ。俺が解決してやるから」 兄貴は人の相談に乗るのが好きだった。 自分が大勢を救っている気になって、それが快感だったんだろう。 僕はその姿を見るよりも、兄貴の励ましの言葉やアドバイスで本当に救われていた人がいたのが腹立たしかった。 騙されている事にも気づかすに。 兄貴が裏では救いを求めてくる人を嘲笑っていたのを見た事があったから。 一体、どのタイミングで、どんな感情が生まれたせいで、ああなってしまったのか。 僕には本当に分からない。 止め方さえ分かれば良かった。 止め方が分からないから、逃げた訳だけれど。 「どうしてそんなに構うんだよ」 僕の反抗的な態度に、兄貴は少しだけ目を見開いた。 「弟だから当たり前だろ」 「頼むから、放っておいてくれよ」 僕は肩から兄貴の手を振り払い、睨みつけた。 大人になった僕はそうする事で、少しはスカッとした気持ちになるはずだったけど、違った。 恐怖が勝っているのは事実だ。  でも、彼女に言った「幸せになる」という自分の言葉が僕に勇気を与える。 彼女だって「幸せになりたい」と言った。   僕は緊張から冷えてくる体の震えを必死に隠していた。 「四年で随分と成長したな。あんなに従順で良い子だったのに。まあ今日は俺も疲れてるから行くよ、また」  余裕の表情で兄貴は去った。 また、すぐに来る事くらい予想はできている。 怒りの感情が込み上げた。 僕を放してくれない兄貴にも、これまで黙って我慢だけしてきた自分にも、ようやく幸せになれると期待していた事にも。  それから少し経った日、僕は見覚えのない男達にいきなり殴られた。 すぐに兄貴が絡んでいる事は分かった。 嫌な匂いがしたから。 兄貴からも漂う、独特の匂い。  痛みを必死に耐えている時、彼女が現れた。 タイミングが絶妙で、それもまた運命を感じせる。 僕は初めて弱音を吐きたいと思った。 独り言ではない、弱音。 涙を堪えるのは得意だったのに、彼女の優しい表情を見るとすぐにでも涙が溢れそうだった。 やっぱり僕は彼女を信じてしまった。 あまりにも簡単に人を信じる自分に、少しだけ兄貴を簡単に信じて騙された人を思い出したけれど、心はどうにもできない。 どうしても信じてしまうものは存在する。 「幸せになってほしいって思ってるから。私は、じんを助けたい」 彼女がそう言った。 その言葉で満たされた。 ファーストキスの相手?そんなのどうでもいい。 目の前で僕を心配してくれている、彼女と恋がしたい。 二番目にキスしてくれた人。 それが、彼女だ。 「やえさん、好きです」 過去を語った後、僕は彼女にそう伝えた。 彼女は僕の涙を手で拭い、ただ優しく僕を見つめた。
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