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夢を叶えたら泣いてしまう
「もう会うことがないから、話したわけじゃないよね?もう会わないし、弱音を吐いてもいいかな、とか」
過去を語った僕を、彼女は不安そうに見た。
「違いますよ。幸せになりたいから」
心が軽くなるのが分かった。
驚きだった。
誰かに心の内を知られる事はよくない事だと思っていた僕の知った真実。
その誰かが好きな人だから良いのかもしれない。
彼女はその日、僕を家に泊めてくれた。
夜中に何度も、僕の様子を見に来てくれているのに気付いたけれど、僕はその幸せを噛み締めながら、ただ眠ったふりをした。
兄貴を思い出し心が痛み、単純に傷の痛みもあったけれど、僕はもう揺らがない。
僕は何を恐れていたのだろう。
孤独であるのは確かだけれど、それよりも信じられるものが何もなかったというのが正しいのかもしれない。
色んな事を考えながらも、こんな温かさを感じながら眠る夜は、僕の人生の記憶のにないものだと感じた。
僕らはそれから、彼女の退勤時間に顔を合わすたび、遠慮気味に微笑みあった。
キスは堂々としたくせに、今さら体面を気にし、その事についても笑い合ったりした。
休日や仕事終わりに会う事もあった。
僕はもちろん望んでいたけれど、彼女も僕を救うかのようにそばにいてくれた。
彼女は僕を好きだとは言わなかった。
僕はたまに、帰り道だったり、電話越しに
「やえさん、好きです」
と伝えたりした。
彼女の名前を呼ぶのも好きだった。
そう言うたび彼女は微笑んだり、頷いたりするだけ。
でも、不満はなかった。
彼女がそばにいてくれているのは事実だし、やはり僕は彼女を信じていたから。
彼女は自分の事を話すのが好きじゃないというのも分かっていたから。
彼女を信じれば信じるほど、比較のために過去の事を思い出したりもした。
苛立ちを表す兄貴、それに怯える自分。
自らの意見も言えなくなってゆく。
一番最悪なのは、自分が幸せな気分の時に、兄貴の自分勝手な感情に流されることだった。
シンプルな事で言えば、僕の好きな映画を兄貴はひたすらに批判した。
僕が好きなのを知っていながら。
嫌いだから嫌いと言える兄貴を恐れた。
むしろその時は悲しみの方が勝った。
自分の好きなものを批判される悲しみ。
兄貴に比べ彼女は批判やネガティブになるような事を言わず、それは元からのものでもあると思うけれど、それだけではなくコントロールしているようにも感じた。
相手が何を言えば傷つき、何を言われたくないのかを最優先に考えているようだった。
もちろん、知り合って少しで感情の起伏を見せる人の方が珍しい。
でも僕らには時間は関係ない気もした。
自分を抑える彼女の姿は、兄貴から見た僕の姿なのではないかと考えた夜もあった。
兄貴の前では良い子でいた僕に、兄貴は気付いていなかったのだろうか。
哀れだから、もっと自分の思い通りに支配したくなったのだろうか。
僕は高校に入学してからと兄貴から逃れたつもりだった四年間の間に必死に貯金をした。
兄貴が騙して得たお金が僕に回ってくるのが嫌だったから、必死だった。
兄貴から離れる事が夢だった僕には、やりたい事や目標がなくて、新たな夢は簡単に見つかるものだと思っていたけれど、そうはいかなかった。
「やえさん、夢ってありますか?」
ある日の帰り道、僕は聞いた。
「夢?あったけど...」
「けど?」
「言わないよ。そんなの」
「なんでですか?」
「え、言えないから。言えてたなら、今はここに居なかったかもしれない。夢は語れる人だけ叶えられるから」
僕はそうは思わなかった。
言った人の方が近道というのなら分かる。
でも、言わなければ叶わないとは思わない。
「じゃあ、やえさん、僕がやえさんの夢のハードルを下げてあげます」
「え?」
彼女は笑った。
何を言うつもり?というニュアンスで。
僕は真剣だった。
「僕が好きな言葉は不言実行です。この街に来たのも、不言実行。誰にも話しませんでした。僕は心を信じます」
「でも、お兄さんに会ったんでしょ?居場所がバレたなら不言実行の夢は失敗に終わっちゃったんじゃ...」
しまった、というような表情を一瞬だけ見せた彼女は僕の様子を伺った。
この時だけだと思う。
彼女が僕への配慮の前に言葉を発したのは。
でも僕は傷つきもしなかったし、僕の夢への確信があったから不安にもならなかった。
「失敗に終わってません。再会して恐怖ももちろんありました。だけど、反抗できたし、兄貴にまた従おうなんて少しも思わなかった。それにその後、やえさんの前で思いっきり泣いたから。だから僕は、心の自由を手に入れたし、夢を叶えた不言実行者です。どうです?僕の夢は言わなくたって叶いました。きっと、不言実行でも叶う夢は沢山あるって事ですよ」
「うん...確かにそうかも。言葉にするのが一番難しいからね」
彼女は納得したように、空を仰いだ。
その横顔がとても愛しくて、僕は彼女に一つお願いをした。
流れ星を待つような切実さで。
「やえさん。いつか夢を叶えたら。叶えてからでいいから。その時、僕に一番に話してくれませんか?きっと、嬉しくて泣いちゃいますよ。涙が自然と溢れてきますよ。この前の僕みたいに」
過去を語った日。
彼女に見せた僕の涙は嬉し涙でもあった。
兄貴に反抗し、自分の意志に従えた自分への評価。
夢は叶ったんだと、心が震えた。
恐怖ももちろんあったけれど、ただ怖くて泣くような子供の涙とは違った。
それに、やえさん。
あなたの優しさに対しての涙でもあった。
僕を見つめる彼女を見ていた時、新しい夢を見れそうな、そんな予感がした。
僕も新たな夢を見つけたら、それを叶えて彼女に伝えたい。
強く思った。
いや、新たな夢はもうすでに一つあるのかもしれない。
彼女に好きになってもらいたい。
僕のことを。
だから、彼女が僕を好きだと言ったらその時。
僕はまた、泣いてしまうかもしれない。
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