同じ

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「ごめんね。突然」 沙友理さんは暗いカフェで、僕の向かいに座り、そう言った。 僕の来たことのない、沙友理さんも来たことのないというこのカフェは、薄暗く、気持ちまで引きずり込まれてしまいそうだ。 あえて、この暗さをチョイスしているのなら、店の人と僕は分かり合えないだろう。 それに、外観からしても、このカフェをチョイスした沙友理さんは、僕とは分かり合えないだろう、などと考える。 でも彼女、やえさんがこの雰囲気を好きだと言ったら、僕はどういった気持ちになるのだろう。 そのうち僕も好きだと、思ってしまうのだろうか。 その考えは非常に恐ろしいものにも思えた。 「兄貴に言われて来たんですか?」 「違う。自分の意志で来たの」 沙友理さんは、ホットココアを飲んで、言葉を探すよう視線を動かす。 そして続けた。 「でも、れんが心配してたから来たっていうのもあるかな」 「心配?」 もう本心を隠さなくても良いのではないかと思った。 兄貴から逃れた事を知っているなら、僕の気持ちも分かっているだろう。 「反抗的な目だね。初めて会った日みたい」 僕は何も言わずに、ミルクも何も入れずにアイスコーヒを飲んだ。 苦かった。 「どうして急にいなくなったの?心配したんだよ。あの日…いなくなった日。一緒にいたから私、責任も感じて…」 僕は沙友理さんが言いたい事を全て言い切るまでは何も言わないことにした。 「最後にじんが言った言葉が忘れられなくて。あの言葉があったから、自分の意志でいなくなったんだって分かった。もう子供じゃないし、探さなくていいって」 小さな窓から見えるカフェの外の道路が、キラキラと光っていた。 雪が少しだけ降ったせいだ。 僕が沙友理さんに最後に言った言葉。 あの日も今日みたいに、道路がキラキラと光っていた。  僕が兄貴から逃れた二十歳の誕生日。 沙友理さんを駅まで送った時だった。 「何が欲しいか決めておいてね。一緒に見て、プレゼントしようと思ってたのに、遠慮するんだから」 沙友理さんは、マフラーや時計やキーケースなどあらゆる物を勧めてくれたけれど、その全てを僕は断った。 「申し訳ないので。それに食事代も出してもらっちゃったので」 「プレゼントしたいの。負担に感じてる?だって...私...」 沙友理さんがその後に何を言うのか、僕は予感した。 だから、遮った。 「一つお願いがあります。それをプレゼントにします」 「何?言ってみて」 嬉しそうな顔をした。  でも僕の発言は、きっとその表情を変えてしまうものだろうと思った。 「僕を探さないでほしい」 沙友理さんは、どういう意味か分からないようで、辺りをキョロキョロと見た。 言葉の意味を考えているようだった。 「とにかく、それが二十歳の誕生日プレゼントってことでお願いします」 僕は立ち去った。 特に後ろから再び呼び寄せられる事もなく、僕は駅から離れていったのだった。   「あの時、何も言えなかっけど…一番気になったのは、なんで誕生日を一緒に過ごしてくれたのかなって。私の事好きになったのかなって少し期待した」 「すみません」 「大丈夫。本当は分かってたから。期待はしたけど、違うってどこかで分かってた。期待だけで終わらない時は、なんとなく分かるもん」 「そうなんですか」 「うん。私のこれまではそうだった」  僕が誕生日に、それも去る計画のあるその日に沙友理さんと過ごした理由。 それは、兄貴を油断させるためでしかなかったのかもしれない。 僕の内心が兄貴にバレるなんて、一番嫌な事だった。 「沙友理さん、本当にごめんなさい」 この暗いカフェは、別れや懺悔、謝罪などマイナスの感情にとても似合う。 そして、その感情を創り出す空間のようで、なんだか妙だった。 僕は何に対して謝っているのかも分かずに、謝った。 兄貴のせいで、沙友理さんを悪い人のように感じてしまう事だろうか。 それとも突然いなくなった事だろうか。 「じん、ごめんね」 沙友理さんも謝った。 理由として考えられるのは、兄貴の側に居続ける事だろうか。 きっと沙友理さんは、僕が兄貴に対して抱いている感情に、初めて会った日から気付いていた。 それでも兄貴の側に居続けた事。 そして、僕を好きだという事。  僕は、沙友理さんの目をしっかりと見た。 初めてだった。 今までは、心をそれ以上読まれるのが怖くて出来なかったから。 「じんの居場所をバラしたの、私なの。じんを探したわけじゃない。探さないでっていう、好きな人が望んだ事を壊そうとするわけないでしょ?本当に偶然、見かけたの。こんな遠い場所、偶然って疑われるのは分かるけど」 「何で兄貴に言ったんですか?」 「ごめん。偶然会えるような場所じゃないからこそ、何か意味のある再会なんじゃないかって、期待したの。どうしてか分からないけど、私はいつも、じんに期待しちゃう。好きだから...それに、じんだけズルいって少し思ったの。れんから離れられたじんが羨ましかった。じんはれんの事が怖いし、嫌いだから逃げた。でも私はれんの事を嫌いになれないし、怖くもない。でもこのままずっと側にはいれないだろうなって。れん、また悪さをしてる」  沙友理さんは、前から過去の話をしたがらなかった。 だから兄貴との出会いも、兄貴の側にいる理由も、僕を好きになってきっかけも知らない。 今日が初めてだった。 二十歳の誕生日の事、つまりは過去の事を知りたがったのは。  逆に、僕の過去について聞いたり、未来について聞いたりもしなかった。 そういう部分は僕としてはとてもありがたかった。 僕は心のどこか、ほんの片隅の方で期待していたのかもしれない。 僕を好きだと言ってくれるこの人は、僕と同じ思いなんじゃないかと。 兄貴をどうにか変えたいんじゃないかと。 でも一向に兄貴の側を離れようとしなかった。 それは僕も同じだったけれど。 「こんな事、聞くのは凄く嫌なんですけど...何で僕の事…」 沙友理さんはさすがに驚いた顔をした。 そして決心したように大きく息を吸った後で言う。 「同じだったから。気持ちが痛いほど分かったから、目を離せなかったし、気持ちも離れなかった。今でも」 同じ。 その言葉は何だか、妙に、やけにしっくりと僕の心に収まった。 同時に悔しさも生まれた。 もっと早く、お互いの気持ちに向き合い、言葉にできていたなら。 僕らの今も、兄貴の今も変わっていただろうから。  僕が沙友理さんを拒否したかった理由。 それは、兄貴の側にいるからという理由だけではなさそうだ。 僕も初めて会った日から、沙友理さんが兄貴に抱いている気持ちに気付いていたからかもしれない。 兄貴を止めたいという同じ思い。 それなのに出来ない、もどかしく、愚かな姿が鏡のように、僕の目に映っていたから。 「私は、れんの事が怖くないからこそ、嫌いになれないからこそ、彼を止める事が出来なかった。一番悪いと思う。怖いから止められない、じんは悪くないよ」 僕は悪くない。 それは兄貴を恐れだした日から、心の中で唱え続けてきた言葉だった。
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