新たな約束

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新たな約束

 繕いに出していた物が、鏡月を介して戻って来た。  しかし、なぜ一緒にいたのなら、本人に返してくれなかったのか。  セイは、立派な墓の前で手を合わせている蓮の後ろで、悶々と考えていた。  さっきはついつい、憎まれ口を言ってしまったが、昔と変わらぬ若者の姿を見て、言いようのない安堵と、喜びが胸いっぱいに広がった。  顔に出せる程器用でないから、それを言葉で伝えるしかないのだが、中々恥ずかしい。 「しかし、この人も随分、長く生きたな」  言った声は、少し沈んでいた。 「ここに残るとは聞いてた。もう会えぬかもしれねえって、手紙も貰った。だから、ここが静まるまでで、力尽きてたのではと思ってた。最後に会った時は、まだ山の結界を、張り続けていたからな」  蓮の隣で、葵も顔を曇らせていた。 「一度ぐらいは、見舞いに来れりゃあ、良かったのにな」 「ああ」  二人がしんみりとしている後ろで、多恵が神妙に頭を垂れ、瑪瑙は静かに見守っている。  蓮が最初に振り返り、多恵に笑いかけた。 「案内してもらって、申し訳ない」 「とんでもございません。まさか、あなた様が、師匠と旧知であったとは」  慌てて首を振り、ついつい尋ねてしまう。 「師匠は昔のお知り合いの話は、全くなさらぬ方でした。どのような間柄なのでしょう?」 「間柄、って程のものでもないが……」  少し考えて、蓮は答える。 「この人の師匠だった人と、オレは元々主従の間柄だっただけで、親しかったわけではない。何度か、その師弟の間を言伝と返書を持って、行き来していたくらいだ」 「そうだったのか。意外に、この世は狭いんだな」  小さく呟いたのに、蓮はセイの方へと目を向けた。 「この島国は、お前が歩いた陸続きの平地と違って、狭いぜ」 「……らしいな」  返してから、若者は尼僧に声をかけた。 「葵さんに、お茶でも出してやっててくれ。くれぐれも、目を離さないようにな」 「はい、かしこまりました」  目を瞬く多恵と、真面目なセイの傍で、蓮は葵に真顔で言う。 「くれぐれも、その人たちから目を逸らすなよ。せめて、家の中に入るまでは」 「わ、分かってる。ちゃんと迷わずに、この人のとこで、茶を飲んどく」  答える方も真剣に頷き、多恵と瑪瑙に連れられて、その場から立ち去って行った。 「これだけ言っても、迷う時は迷っちまうんだよな、あいつ」 「今まで大丈夫だったのか? 迷った先で、化け物に間違われたり、してないのか?」 「怖がられる事は、あるみてえだが、第二声目がここは何処だ、だからな。落差があり過ぎて、結構優しくされてるらしい」  軽く答える蓮の言葉に、セイは小さく笑った。  その様子が、目に浮かぶようだ。  そんな若者を見て、蓮はさりげなく問う。 「少しは、吹っ切れたか?」 「……何を?」  思わず息を詰めてから聞き返すと、幼い若者はゆっくりと答えた。 「あの村の事を、だ」 「吹っ切れそうもない」  取り繕わない言葉が、セイの口から洩れた。 「満足できる終わり方が、ここまで難しいとは、思わなかった」 「……」 「他の奴らは、どうやってそんな終わり方を、作ってるんだろうな……」  深刻な顔で言う若者に、蓮は鼻で笑いながら答えた。 「満足できるように、話を強引に捻じ曲げてるに、決まってんだろうが」 「どうやって?」 「知らねえよ。オレには、そんな性悪な知り合いはいねえ」  きっぱりと言い切る若者に、セイは思わず返した。 「血縁はいるじゃないか」 「あの人とは、それ程親しくしてねえよ」  金髪の若者は、懐から取り出した布袋を見下ろした。 「……あの村の話、カスミも知ってた」  セイは、京でもう一人の顔見知りと再会した。  白狐の律に、腕のいい細工師と紹介された男を一目見て、思わず叫んでいた。 「あんた、何でこんな所で、顔を見せるんだよっ」  そんなセイと、驚き呆れるオキの前で、男は真面目な顔に、少しだけ笑みを浮かべた。 「驚いたようだな。頑張って、細工師の修業をした甲斐がある」 「……」  思わず、蹴り上げそうになる若者を、律が宥める。 「この人以上の細工師となると、かなり高値を付けられるぞ。その細工、黄金だろう?」  持ち合わせは、殆んど使えない。  文字通り、汚い金だからだ。  自分の用で使うならいいが、人の物を繕う時に使うのは気が引ける。  出来れば地道に働いて、その勘定を払おうと思っていた。  だから、多少高値でも構わないと言い切る若者に、律は根気よく言った。 「そんな細かい細工を、失敗せずに繕えるのは、この人くらいだ。他は、高値で引き受けても、満足な仕上がりから、遠ざかる場合もある。台無しにしたくは、ないのだろう?」 「流石だな、お前は。口先八寸の、丸め込みが上手い」  折角言い含めているのに、当のカスミがぶち壊すことを言う。 「旦那、あなたが、この子と、会いたいと言って来たんでしょう? 話したいのなら、少し黙っててください」 「すまんすまん、つい、この口が」  セイが気を静めたのは、律が疲れた顔をしたせいだ。  これ以上、心労を重ねられるのも、心配である。  オキと共に、その場から立ち去る白狐を見送り、若者は無言で、男の前に繕い物を出した。 「……大丈夫だったようだな。傷の治りはともかく、腕はあった方が困らんだろうからな」  鏡月に会ったことも、知っているようだった。 「あんたの息子だって、聞いたんだけど」 「正しくは、ランの母親の連れ子、だ。血は繋がっていないが、母親の家系も少し変わり種でな、ああいう子に育ったわけだ」  切れた小粒の鎖の部分を見つめながら、カスミは言った。 「話は、ここまで流れているぞ」 「何の?」 「性悪な狐が、村人を村から、消し去った話だ」  目を見開いたセイに、作業を始めながら続けた。 「まだまだ、事の治め方が荒いな。しかも、肝心の者を取り逃がすとは」 「あんたなら、死にゆく人の願いなんか、叶える考えはないんだろうけど、私はまだ……」 「何を言うか、この優しい男を捕まえて」  真面目に返す男に、セイは思わず目を見開いて返す。 「そっちこそ、何を言ってるんだよ。悪さする人間を、揶揄って遊ぶ男が」 「いいではないか、善良な人間は、揶揄わんのだから」  まあ、そうだが。  セイは別に、嫌いだからこの男の動きに、ケチをつけるのではない。  まだ幼かった自分に、あんな連中を押し付けて、夜逃げしたのが気に入らないだけだ。 「適当に、その辺に座って置け。腹が減ったら、飯を作るから」  座らせてくれるだけでも、まだ気遣われている方だろう。  作業をしながらの言葉だから、飯はカスミの腹が減ったら、だ。  そこまで付き合う気のないセイだが、落ち着く狭さの家の中を見回しながら、適当な場所に座り込む。 「ああいう村は、多いのか?」 「お前が見た限りでは、どうだった?」  聞き返すカスミに、若者は静かに答えた。 「通ってきたところは、あそこまでではなかった。でも……」  言いかけて、つい溜息を吐く。 「どの国も、どんなに小さい集落でも、奥底でしっかり繋がっているんだな」  独特な風習がある村も、多々あった。  それは、近い村同士で似通っている時もあれば、突然様変わりすることもある。 「まとまって生きるのは、悪い事ではない。どんな生き物でも」  数が増えても、それが身を守る術なのならば、気にする事はない。  だが、その頂点にいる者が、狂っていたら。  まとまっている分、その考えは周りに浸透しやすい。 「まっとうな村は中々作れないが、崩れる時は、あっという間だ。どの群れもそうだが、そうなっては、完全に滅ぼさぬ事には、後に尾を引く。だから、要らぬ情けは、掛けぬのがいいのだがな」 「……あいつらを、生かしたまま逃げたのは、情けじゃないのか?」  カスミの手が、初めて止まった。  肩越しにセイを振り返り、薄く笑う。 「あいつらは、まだ崩れ切っては、いないだろう? だから、お前は、あいつらの傍に戻った、そうだな?」  そんな話をした翌日から、セイはただ働きに動き、それが済むと、預かり物の繕いが終わるのを待たずに、京を後にしたから、カスミとはそれきりだ。  だが、漠然と感じていたことが、得心に変わった。 「……私は、あの村人達を、うちの連中と重ねてたんだ」  どこに、似通ったところがあるのか明白ではあるが、正直認めたくないことだった。 「あの村を救えたのなら、まだ望みはあるんじゃないかって、そう思ってたみたいだ」 「……」  黙って聞いてくれている蓮を見返し、セイは続ける。 「約束通り、私は一度足を洗って、静かに暮らしてみた。見ての通り、その位から時は止まってて、数年ごとの転居は余儀なくされてたけど、それなりに、幸せだったよ」  だが、周りの住民の中に、本当に極まれに、何かの欲求を我慢できずに、暴れる者がいた。  言い訳を考えて暴れ、泣きながら罪を軽く済ませる者もいたが、多くはそのまま刑場へと消えた。  罪を被せられて、釈明が出来ずに罰せられる者や、外面が良かったおかげで、死ぬまで所業がバレず、死後も慕われている者もいた。  そんな場に出会う度に、セイは只見守り続けていた。  そして、ぼんやりと考えたのだ。  恐らくは、祖父がいたあの集団は、今もこんなことを続けているのだろう。 「罪を重ねる罪悪感も、罰せられることがない代わりに、積み重なっている。欲求を散らすために、あいつらは、集団で動いているのに、罪悪感は散らせない。当たり前だ、どんなに選り好みしての動きでも、やっていることは、刑場に消えた人たちと同じだ」  罪悪感を、少しでも軽くするために、あの集団の頭たるものは、極悪な所業の一族や、集団に目をつける。  先に不安を残さぬように、只雇われただけの者や、子供が気づかぬ内に出来る刻限を狙い、姿を見止めれないように充分に気遣いながら、少人数で動く。  そこまでやっても、悔いは大きく残る。  残された雇われの者が、罪を被ってしまったり、子供が親族の間を盥回しになった挙句、餓死する直前まで追い込まれることもあった。 「要するに、諸悪の根源が、あいつらな訳だ」 「私も含めて、な」  罪を被った者は、手を尽くして解放に持ち込み、子供は何とか助けた上で、身寄りを探し出して事なきを得ていたが、そもそも、そんな苦労をしているのは、方々の国から集まった、欲求まみれの連中のせいで、その連中の為に、その場所を襲う計画を立てた、頭のせいである。 「あいつら、大きく動くたびに、その後苦しむ人を見て、悔やむんだ。悔やむくらいなら、やらなきゃいいのに。そう思うけど、長くこんな事やっている奴らは、やめることが、出来ないらしい」  あの村の事も、そうだった。  エンは、残された女衆の最期に、随分気を病んでいた。 「あの夜、私は休むと偽ってあいつらから離れて、女衆を束ねていた人に、会いに行った。ロンが話さなかった事も、この村の男衆の所業も、残らず話して来た。そうすることで、前向きに話し合ってくれればと思ったんだけど……」  女達が感じたのは、絶望だった。 「強引に満足な方にって、あんた言ったね。私も、その時やろうと思ったんだ。男たちの事も、一連の出来事や、私が話したことも全て、無かったことにしようと。でも……」  何故か、躊躇った。  躊躇った事を戸惑う間に、女の方から、コトの命乞いを切り出されたのだ。 「お前は、遠慮が過ぎるからな。それは、性分って奴だから、仕方ねえよ」 「……」  軽く返す蓮を、若者は思わず見返した。 「性分?」 「お前は、優しいんだよ。何だかんだと、文句は多いが、最後には引き受けちまう。足洗ったくせに、あいつらの事を気にしてるんじゃあ、もう、離れられねえよ」  そのことに関してはそうだろうと、自分でも思っていたセイは、言い返せない。  そんな若者を見ながら、蓮は不敵に笑って続けた。 「だから、お前が変えちまえ」  目を見開いたセイに、若者はいつもの笑顔で言い放った。 「救うんじゃなく、お前が、そいつらの性分を、徐々に変えてやれ。心配しなくてもな、お前には、それが出来る。昔を知ってる俺からすりゃあ、今でも充分あいつらは変わった。お前が、その根源だ。なら、それ以上に変えられるはずだ」 「……」  目を見開いていた若者が、不意に破顔した。 「あんたが言うと、何で、こうやる気が出るんだろう」  珍しく声を立てて笑いながら、セイは頷いた。 「そうだな、やってみる。やって駄目だった時は、覚えとけよ」 「その時は、一緒に、奴らを滅ぼしてやるよ」  不敵に笑いを返しながら、蓮は請け負った。  一つの約束を遂げ、また一つの約束を掲げた瞬間だった。
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