衝突

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衝突

 ゼツの言葉を聞いて、不覚にも呆然としていたのは僅かな時で、我に返ったエンはすぐに事情を察した。  村の民の、しつこいまでの引き留めは、儀式のためだ。  儀式が外に漏れないのは、この雨の多くなる時期、旅人にしか明かさないからだ。  しかも、その旅人は村を出れない。  なぜなら、儀式の供物が、旅で立ち寄っただけの男たちだからだ。 「……神隠しが、聞いて呆れるわね。そういうことなの」  人を食ったような声音で、ロンが呟いた。  抑えられたその声が、男の心境をはっきりと表しているのが、近親者には分かる。 「これは、素通りなんて、出来ませんね」  穏やかに、エンも頷きながら、笑顔を浮かべる。 「そうねえ。まさか、こんなことに、よりによってあの子を使おうとするなんて、ちょっとのお灸じゃあ、済まないわねえ」  二人が顔を見合わせて頷き合うのを、他の二人は、自分の心境そっちのけで見つめ、身を縮めた。  まずい、これは……。  二人して、その場を離れる理由を探っていたが、その前にロンがオキに呼び掛けた。 「オキちゃん。この村の近くに、他の子たちは何人くらいいそう?」 「別れたのは、随分前だからな。いるとすれば、祭り目当てのジュラ、ジュリ兄妹くらいだろう。あと、酒でつられて、先の村で居座ってるはずのメルだ」  尋ねられるままに答えてから、オキはぎょっとなった。 「おい、まさか、この村を……」 「ええ。呼んであげて」  有無を言わせぬ口調の命令に、男は思わず、黙って頷いていた。  立ち上がったオキに続いて、立ち上がろうとしたゼツを、エンが止める。 「お前は、今あいつがどういう状況か、匂いを辿ってくれ。ちゃんと動いているのか?」 「は、はい」  固まって座りなおした大男の肩を叩き、オキは足早に部屋を後にした。 「……大丈夫です。動いています。村人たちが、山から戻って来ました」 「やっぱり、あの子は置き去り?」 「はい。……家に残っていた鬼と、狐の一人が動きました。山に向かっています」 「狐と鬼? 狐は男の方か?」 「いいえ。女の方です」  答えたゼツの声が緊張を含んだ。 「鬼が、あの人に近づきました」  見苦しくても、足掻きに足掻いて、老衰で死ね。  真剣にそう約束させられた時の事を、セイはずっと心に刻んでいた。  その約束と共に、お守りと手渡された物は首にかかっていた。  ここまで生きてしまったのだから、どうせなら、これをこの手で本人に返したい。  村の男衆が立ち去った後、激痛に堪えて身を起こしたセイは、その一念で右腕の傷の止血をしたが、思わずため息を漏らした。  これでは、右腕は完全に使えない。  玄人の刃で、こうなったのなら分かるが、相手は農村の若い男だった。  油断したつもりはなかったが、こういう突発の悲劇が起こるのも、旅暮らしの中ではよくあることだ。  だからこそ、注意しなければならなかったのに。  大きく息を吐いてから、セイは周囲を見回した。  山の斜面が薄暗い中でも伺え、さほど高い山ではないと分かる。  その山の、ほんの入り口当たりの鳥居の内側に、セイは取り残されていた。 「……なるほどな」  昼間、エンも言っていた。  神隠しは、何も本当に神が連れ去るという訳ではない。  かどわかしや、不慮の事態で行方が分からなくなることもある。  その、不慮の事態の一つがこれ、ということだろう。  打たれた頭の痛みと、切られた腕の痛みの中、げっそりとして肩を落とす若者の耳に、何かが地面に落ちた音が聞こえた。  振り返って、思い出す。  木に、斧で縫い付けられていた自身の腕が、その重みで落ちた音だった。  まだ、縫いついたままの袖の切れ端には目を向けず、セイは膝で近づいて、落ちた腕を拾い上げた。  肘下から指先までは義手だが、残りは生身だった。  幼い頃、セイは両手と親を失い、回りまわって祖父のいた集団に、身を寄せる事となった。  早くから怪我の治りが悪い事を知っていた祖父は、大きくなっても大丈夫なように、どんどん長さや大きさを変えてこしらえた義手に、更なる工夫を凝らした。  使うことがなかった工夫だが、村に戻るにしろ戻らないにしろ、やらなければならない事には、必要な工夫だった。  それでも、形見であるそれを壊すのを躊躇っていたセイは、村の方から来る足音に気づいた。  村人が舞い戻って、自分の様子でも見に来たのかと、緊張して何とか立ち上がり、少し身構えた若者は、思わず唖然としてその人物を見上げた。  少なくてもあの村の中にはいないはずの、自分の連れの一人位の大男が、セイを見下ろしていた。  背丈は連れの一人位だが、体格はけた違いに大きい。  思わず、見上げたまま立ち尽くす若者に近づいた大男は、血走った眼で若者を見つめていたが、やがてにんまりと笑った。  そして、色々な疑問が頭を埋めている若者の両肩を掴み、大きく口を開けた。  血生臭い匂いに我に返ったセイは、噛みつかれる前にとっさに手にしていた物をその口に押し込んだ。  そのままその手から逃れようとして、思い出す。  再び口に押し込んだものの指を掴み、引っ張った。  大男と怪我人の引っ張り合いは、焦れた大男が若者を殴りつける前に、当の怪我人が焦れて攻撃することで終わった。 「この、放せっ」  精一杯の力で大男の腹に蹴りを入れ、腕を取り戻したセイは、ふらつきながら、取り戻した物を見た。  無駄な部分は、なくなっていた。  大男の歯で、噛み取られたらしい。 「……」  残った義手から、大男の方に目を向けると、大男はあの攻撃を受けた後にも拘らず、身を起こして何かを貪り食っていた。  何を?  自分の、腕を、だ。  一瞬、頭の中が、真っ白になった。  と、思った時には、走り出していた。  斜面を駆け上がり、木の根に躓きながらも、走り続けた。  混乱と衝撃が収まって、ようやく足を緩め、木の根に躓いて転んだところで、そのまま蹲った。  吐き気がする。  こんな状況でも、吐けなくなった強靭な心が、心底憎い。  吐く代わりに、しばらく咳込んでから、セイは顔を上げた。  木の幹に背を預けて座り、傷口から大きく響く心音が、落ち着くのを待つ。  人相で分かっていても、その目で実際に見るのは、覚悟がいる。  それも、分かっていたが、ことごとく意表を突かれ、血が減って来ているせいもあってか、混乱が止まない。  まずは、血を止めよう。  ようやくそう思い立ったセイは、思い当たった。  今、村の中にいるはずの連れたちが、自分の今の状況に、気づいてしまったかもしれないことを。  匂いを辿れる大男が、道連れの一人にいる。  完全に、頭が冷えた。  冷えすぎて、血の気が更になくなった気すらする。 「まずい」  自分を、頭領に据えているあの男たちは、なぜか一様に自分の体調を心配する。  多少の怪我くらいは、こういう生活の中では仕方ないのに、神経質なくらいに気にする。  誰かに故意に怪我を負わされると、その者に報復する方向で固まってしまう。  気が合わない筈の連中が、そういうときだけ一致団結し、本当に宥めるのに苦労してしまう。  今、この大怪我が、村の者の手によると知れたら……村は、滅びの一途をたどる。  それは、止めなければ。  セイは短い思考の後、決断した。  腕は、もう隠しようがない。  だから、山に興味を持って入ったら迷ったことにし、暖を取ろうと薪を作ろうとして手が滑って切ってしまった事にしよう。  どう考えても怪しい言い訳だが、仕方がない。  その怪しい言い分を、少しでも怪しくないようにするために、この山を焼く。  何かが住んでいるかもしれないが、その何かには、後で謝ろう。
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