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予想外の話
住処の外に出て二人を見送る雅に、若者は再び微笑んだ。
「その笑顔が、さっきの蓮の笑顔に似てたんだ」
不安が、表情にしっかりと出ていたのだろう。
若者は、大丈夫だ、と頷いた。
そして、躊躇ってから左手で首にかかった物を引き出したのだ。
「どんなに見苦しくても、寿命までは足掻いて生きろ。そんな約束を強いた人から預かった物、だって。ここまで生きて、ここまで来てしまったのだから、どうせなら直接手渡したいから、こちらとしても、ここで死ぬのはお断りだ、って」
気持ちだけで、本当にそう出来るのなら、世話はない。
だが、ついついその笑顔に見惚れて、頷いてしまったのだ。
「頼もしさもあったんだけど、その君の話の下りで少しだけ、別な何かが混じった気がしたんだ。そんな表情がなんだか可愛く見えちゃって」
二人の背中を見送って、雅は頼まれたことを思い出し、ようやく考え込んでしまった。
「あの村の中での私はまだ、そんな夜遅くまで起きていられる奴じゃなかったからね。だからこそ、寝ている風を装って来たんだから」
村に戻って寝床に入り、どうやってあの旅人達に近づくかを考えていたのだが、うまい具合に事が動いた。
「村長のお内儀さんが、あの旅のお武家様の一人が、部屋から姿を消したまま戻っていないらしいと聞きつけたんだね。心配して、そっと部屋を出て行くのを聞いたんだ」
それに気づいて起き出した風を装って、同じように起きてしまった女たちと共に、旅人達の部屋に行くことが出来た。
「改めて見ると、本当に大きなお武家様たちで、そこの葵殿が混じっても分からない位だと思う」
話をしたのは主に、村長の妻のいねと妾のすえだった。
客にも滅多に出さない茶を持ちだし、お武家たちに勧めると、和やかに話を始めた。
「しかし、道中様々な村を通り、世話になっているが、この村は他の村より子供が少なく思えるな」
ひとしきり話した後、客の中では小柄な方の、穏やかな笑顔を浮かべた男がやんわりと感想を述べた。
村の存続の危機に係わる話を持ち出されたにもかかわらず、いねが神妙に頷いたのはその男の穏和な表情のせいだ。
「お恥ずかしい話です。どうやら、私共が与り知らぬ間に、不本意な噂が流れておりますようで」
「……ああ、この村であったか? 旅人が、この時期にいなくなる村と言うのは?」
日に焼けているのか、色黒の男が思い出したように言い、笑った。
「確かに、今一人、我らの連れがいなくなっているが」
「あれは、ただの迷子であろうと思うが」
受けて笑う男の後ろで、一番大柄な客は黙ったまま目を閉じている。
「どうやらそのお武家は、目が見えないらしいと村長が言っていたけど、それが正しいかは分からない」
狐は大人しく話を聞きながら、内心舌を巻いていた。
客の三人は、それぞれ表情は違えど家の者の気遣いに、当たり障りなく接しているが、その部屋の中に入った時に狐は勘づいていた。
「廊下から部屋に入った時のあの肌寒さ、相当彼らは怒っていた。なのに、何を考えているのか、それを家の者達に気づかれないように隠した上で、表面上は穏和にいねさまから、うまく話を引き出し始めていたんだ」
名前は、全員が名乗ったのをその日引き合わされた時に聞いたが、それが本当の名前かは分からない。
「部屋で寝たふりをしていた時、ひそひそと聞こえた言葉が、全く聞いたことのない言葉だったから、もしかしたらこの国の人間ですらないのかもしれないって、思ったんだ」
「その通りだ。あいつらは、この国に限らず、様々な国を祖国とする奴らだ」
鏡月の頷きに雅は頷き返し、話を続けた。
「いねさまは、顔を曇らせて、その話は、根も葉もない話だと、首を振って言い切った」
そんなはずはない、と雅も知っているし、恐らくは客たちも分かっている。
だが、あくまでも笑いながら、色黒の男が頷いた。
「狐様に足止めされた旅人を、丁寧に村に迎えて、儀式をするだけ、なのだろう?」
「そうなのです。その後、旅の方々は毎年うちの男衆に見送られて、朝方お発ちになるのです」
その時、村の男衆のみが知る、隣村への山道を教える為、消えるように見えるのだろうと、いねは強く言った。
「しかし、面白い狐もいたものだな。雨季になると、旅人を足止めるとは」
「我々も足止められたのだが、あの岩、相当な力持ちでないと持ち運べないのではないか? いつもは、別な所にあるのだろう?」
「はい、いつもは、山の入り口の鳥居の傍にある物なのですが、この時期になると、狐様が不思議な力であそこまで持って行くのだと、言われております」
その意思に、村の者は全く疑うことなく従い続けて、数百年だという。
「ほお、それはすごいな。そういうものは、大昔からの謂れがあることが多いが、この村に伝わる話は、どういうものなのだ?」
穏やかに尋ねた男に、いねは答えた。
「その昔、わが村の者は、あの山に住む狐様を、怒らせてしまったのでございます」
そして、雨を止められてしまった。
眉を寄せる旅人達に、いねは村に伝わる話を始めた。
「その昔、我が家の先祖に当たる娘が、婿となるはずの若い男に殺められて、井戸に落とされると言う、痛ましい事がございました。事が起こった時、その男はとっさに、山の狐のせいにしてしまったのでございます」
雅にとっても、意外な話が飛び出した。
思わずいねを見た狐は、次の言葉で驚きを隠せず、声を上げていた。
「後で分かったのですが、その男は村に迷い込んだ娘に心が動いて、その挙句に許婚の娘を、手にかけてしまったのです。娘の方は、旅の疲れを癒してすぐに旅立っておりましたが、とっさに男は、その娘に罪を被せてしまったのでございます」
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