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鬼退治
足音が近づいて来る。
意外にゆっくりとした足取りの所を見ると、こちらがすでに体力を使い果たしていると考えているのか。
山の中に再び戻り、木に寄りかかって立っていたセイは、そっと残った手で懐を抑えてみた。
そこには、祖父の形見ともう一つ、首から下がって丁度胸元にある、ある若者の大事な物がある。
少し触れて、小さな音を立てるそれの存在を確かめ、セイは少し表情を緩めてしまった。
これの本来の持ち主は、言葉使いは荒いが人情のある若者だった。
戦の世を生き抜き、世の闇を見つめ続けている割に、真っ直ぐに人を見、自分のような者の事まで気に掛ける、そんな人だ。
ほんの五十年では、あの性格は変わらないだろう。
自分も、変わらない。
だが、変わらないなりの、生き方を見つけた。
それを、自分自身に分からせるには充分の事態が、今ここにあった。
この後、どうなるかは分からないが、どんな終わりを迎えても、それを聞いたあの若者は、話す自分を不敵に笑って、受け止めてくれるだろう。
生きて、会えるならば。
伏せた目の端に大きな足が入り、セイは顔を上げた。
にんまりと笑う大男を見上げ、自分も笑う。
「……遅かったじゃないか。あんまり遅いんで、眠る所だった」
動かずに立ち尽くしていたのは、残った力を充分にかき集めておくためだった。
木に預けていた背中を引きはがしながら言う若者に、大男は何の変わりもない。
だが、言葉は分かるはずだ。
この鬼も、元々は人間だ。
元となった姿もこれだけ大きかったのだろうが、村に潜むときの姿とは似ても似つかない。
言葉は分かっても、化けられる程ではないから、その後ろに誰かがいる。
その誰かは、恐らくは山の主とは別の、もう一人の狐、だ。
そして、狐二人と鬼を見極めてから今までで、連れたちにも黙っていることがある。
この狐二人は、血縁者だ。
恐らくは、最近山の主の前に姿を見せなくなったと言う、母方の叔父、だ。
話を聞いてから、分かったことは多々あるが、未だに分からないこともある。
この血縁関係のあるはずの狐が、なぜこのような事態を仕組んだのか。
この男に聞く事は難しいから、まずはこの場を乗り切ってから後の事は考えよう。
頭ではそう考えながら、セイは大男を見上げている。
見返す方は、息を整える気もないらしく、血走った目で若者を見下ろしていた。
言葉は分かっても、聞く気がなければ意味がない。
だからセイは少ない言葉の後、黙って大男を見据えていた。
見返す目が、更に狂気をはらむのが分かる。
顔も歪ませ、耐えきれなくなって咆哮し、両手でセイの肩に攫みかかるが、その勢いに乗せて若者が動いた。
力がほとんど残っていない分は、相手の力を使う。
攫みかかる手は身を低くすることで避け、思いっきり足を突き上げた。
まともに腹に入った足が肉にめり込むが、男は呻いて体を曲げただけだ。
身を引くくらいには打撃を受けた男から離れ、手ごたえの弱さに舌打ちする。
そんなセイを見据え、大男は更に攫みかかったが、不意にその拳を固めた。
殴られる前に身を避けたが、避けた先のもう片方の拳が若者の体を捕えた。
息が詰まる程に殴りつけられ、セイの体は宙に浮き地面に叩きつけられる。
まずは動けなくすることにしたらしい大男は、更に倒れた体を足で踏みつけ、声もなく呻く若者の首を攫んだ。
骨を砕く勢いの力で締め付けられ、セイは弱々しく男の腕を攫む。
大男と若者の間で、鮮血が噴出した。
絶叫と共に大男が離れ、セイが座り込みながら咳込む。
首に張り付いたままの男の手をはがしながら、若者は言った。
「目には目をって言葉、知ってるか?」
手首から下を切り落とされ、泣きわめくように絶叫する大男を見上げ、髪を結っていた組みひもを左手に、立ち上がった。
「もう少し切り刻んでやるよ。食われた分には、足りてないからな」
軽く振ってついた血を落とすと、荒くなる息を殺しながら言い切った。
痛みと怒りと、恐怖を混じらせた目で、男は若者を見下ろしていたが、不意に踵を返して走り出した。
思いもよらない動きに、セイも目を見張ったが、そちらの方へ目を向けて溜息を吐く。
「ああ、やっぱり、音が大き過ぎたな」
大男が逃げる先には、人の気配が集まり始めていた。
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