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鬼の正体
村の男たちは、戸惑っていた。
大きな振動と音が響いたと思ってそこに来てみれば、ぽっかりと道が続いていた。
いつも見慣れた夜道だったが、朝そこに現れたはずの岩が、跡形もなく消えている。
「ど、どういう事だ? なぜ、岩が……」
「もう、気が済んでしまわれたのか? たった一人で?」
「そんなはずなかろう。気難しい方なのだぞ」
めいめいに話し、若い衆の中でも頭の切れる男が、苦い顔をした。
「……血を流し過ぎたのが、気に食わなかったのか?」
呟く様な声だったが、村人たちは動揺してざわついた。
特に先程斧を使った若い衆は、歯もかち合わせられぬほどに震えている。
「どうすればいいのだ、このままでは、わが村の者達にまで……」
村長が歯軋りして唸った時、道の横の林から小さな影が現れた。
ぎょっとした村人たちを認め、その影は弱々しく近づいていく。
「た、助けて下せえ、こ、殺される……」
「と、留吉? お前、なぜここに……」
先ほどから姿が見えなかった小柄な老人が、村長の前によろよろと歩み寄った。
右の手首から下が切り取られ、血が滴っているその老人を、傍の若い衆が支える。
「でけえ音が気になって来たら、あんなバケモンが……」
「化け物?」
聞き返した村長の後ろで、男衆がざわつく。
「ま、まさか、ここに来てるのか、山の主様はっ」
「こんな人里に近いところにまで、降りて来なすったのかっっ」
「お、お許し下せえ、すぐにきれいな供物を用意しますんで、どうか……」
混乱して喚く者、恐怖で蹲る者、命乞いで祈り始める者がいる中、村長は何とか男衆を落ち着かせようとしていたが、混乱しているのは村長も同じだった。
兎に角、この場を離れなくてはと男衆を見回した時、無感情な声が響いた。
「……いい加減、一人の妖しに何でもかんでも被せるの、やめてみてはどうだ?」
ぎくりと体を強張らせ、振り返った先を見て、若い衆たちが小さく悲鳴を上げた。
驚きさらに混乱する村の衆たちを見回し、細身の若者はゆっくりと言った。
「そこまで心配せずとも、山の主はお主たちの事を、憎んではおらぬ」
自身を落ち着かせるためにも、セイは武士の言葉を心掛ける。
「そんなこと、あなた様に言われても、信じられぬ」
「そうか、ならやめておこうか? そいつを止めるのは?」
村長に返し、セイは追って来た者を見つめた。
それを追った村の衆の目の先で、若い衆の一人にすがっていた留吉が顔を上げたのを見た。
その顔を見た村長が、喉の奥で悲鳴を上げる。
目の前で見る羽目になった若い衆は、そのまま座り込んだ。
逃げる余裕もなく、留吉の手に捕まり正体を失って暴れたが、その小柄な男のどこにそんな力があるのか、びくともしない。
夜目に見ても明らかなほどに、体がどんどん膨らんでいき、元の大男の姿に戻った留吉は、ようやくありつけた餌に喜びを隠さず、悲鳴を上げ続ける若い衆に食いついた。
絶叫が、夜道に響く。
「このくらいの冗談は、許してもらおうか。私も少し、あなた方にしてやられているのだから」
少し笑いながらセイは言い、左に巻いた組みひもを軽く振った。
いつの間に近づいたのか、若者は大男の残った左手を切り落とし、絶叫するその体を若い衆から引き離していた。
慌てて仲間を抱える村の衆たちを見、呆然と自分を見る村長を見返す。
「あなたは、何者だ?」
「ご存知の通りだ。世間知らずの、只の旅の浪人。まさか、一晩でこのような事態に陥るとは、この国は、まさに火の国なのだな」
それは関係ない、と言う連れの声が聞こえそうだが、ここまで村の者達が集まった場所に、彼らが来れるとも思えない。
何とかなりそうだな。
まだ油断はできないが、一つの願いは成就しそうだ。
「……これが、山の主か。何も知らずに住まわせていたあ奴が……」
「いいや、山の主は、別にいる。だが、供物としての旅人を欲していたのは、この男だ」
「では、今迄の、我々の所業は……」
「ただ、人を喰らうこの鬼に、いい餌場をくれてやっていただけだ。山の主も、いい迷惑だな」
己の罪の重さに、村の衆たちが気づき始めるのを見て、セイは静かに告げた。
「私は、生き証人と言う奴になったのだが……」
ぎくり、と睨む男たちを見返すと、若者は続けた。
「こうして生きて戻れたので、良しとしたい。代わりに……」
意外な言葉に目を剝く村の民たちに、セイは留吉だった大男を指さした。
「この男を頂けるか? きっちりと借りを返して、退治してしまいたい」
「む、無論にございます。どうか、この人食いを、退治して下され」
腰を低くして村の衆たちが村へと戻る後姿を、半ば呆れて見送ったセイは呟いた。
「どこの人も、こういうところは同じだな。己を守れる方を選んで、後は切り捨てる。……あんたは、何度切り捨てられた?」
話しかけた先には、両手を切り落とされ、怒りを抑えきれず唸る大男がいる。
「どの国でも、戦のあとには見かける。負け戦で逃げ続け、匿われた先で裏切られて討たれる者を。その無念は、後々まで残る。だが、あんたみたいに大きく、無数の怨念が固まる事は、自然ではないと聞く」
やり方が乱暴だと、初めにこの姿を見た時、驚いた。
大きな亡骸に、かき集めた怨念と何かしらの欲を押し込んだだけの、人形の生き物。
「どういう心算で作り上げたのかは、作った本人に尋ねてみることにするが、まずはあんただな」
組みひもを回しながら、セイは微笑んだ。
「あと少し、切り刻ませてくれ。食われた分には足りていないのだ。その後は、きっちりと息の根を止めてやるよ」
でないと、死体にすら怒りをぶつけかねない、連れがいる。
嬲り殺しは好きではないが、自分の痛み位は返さなければと言う思いでの、申し出だった。
正気の色が全く失せた大男は、怒りをそのまま体中にまとわせている。
痛みから立ち直るのを待っていたセイは、そのまま立ち尽くして相手の動きを見ていた。
こちらの体力も残っていない。
出来るだけ動かず、相手の出方次第で攻撃の合間をぬって動く。
これは、幼い頃から生きるために身に付けていた戦い方だった。
力が残っていない今は、武器である組みひもの力を借りているが、本来は手以上に器用な足を使う戦法を使う。
組みひもは普段は髪を結う事に使っているが、カスミに頭領業と共に押し付けられた髪の毛が縫い込まれた、妙に頑丈でよく物が切れる紐で、もしもの為の武器となる。
これを使う羽目になるほど追いつめられるなんて、気を抜きすぎたな……と気に病んでいるセイに、大男がようやく飛び掛かって来た。
もう、終わってしまおう、と前言とは全く違う考えで若者は大男の首を目でとらえていた。
体当たりに近い勢いの大きな体を間近に、狙いを定めた左手を振りかぶる。
その手首を、背後から捕らえた者がいた。
思わぬ事に振りほどく前に、体ごと抱え込まれる。
襲い掛かる大男に慌てて目を向けると、その体は不自然な姿勢で止まっていた。
「そこまでにしてください」
背後からの固い声が、僅かに震えながら言った。
その聞き覚えがある声を聞きながら、セイは目の前で力任せに引き倒される大男を見た。
「……本当に、思っていても口に乗せるものじゃないわね」
「本当ですね。冗談でもなんでも」
大男を引き倒して抑え込むロンの傍で、エンが溜息を吐いた。
そして、身をすくませて呆然としているセイを見て、言った。
「武器使う程動けないのなら、なんですぐに戻ってこないんだ?」
「そうですよ、これは、すぐに休まないと危ない怪我でしょう?」
「……」
言い返す力も残っていない、と言う様を作って黙るセイに、エンは穏やかに言う。
「話せないわけじゃないだろう? 走る位の体力もあったくらいだからな。そんな騙しの手は、効かない」
こういう時、付き合いが長い兄貴分は憎たらしい。
「……何で、あんたらがここにいるんだ?」
「あそこまで大きな音が聞こえれば、どんなに目立たぬと決めていても、気になりますよ」
背後の男が固い声で言い、傷口を確認した。
「大量の血を流したとは思っていましたが、まさか、こんな……」
「食ったのはこいつでも、切り落としたのはあの若いのだろう? 斧を手にして山に入った?」
「顔までは分からなかった」
きっぱりと言う若者に、目を細めて頷きつつもエンが再び口をついた。
「生き証人になった、とは、どういう意味なんだ? それなら?」
「聞き違いだろ」
頑なな声に、三人はそれぞれの表情で顔を見合わせる。
「セーちゃん、真面目に答えなさい」
「この上ないほどに、真面目に答えてるけど」
真顔になったロンの頼みにも、若者は動じない。
これは、どうあっても崩れぬ覚悟の表れだ。
しかも、今は深く踏み込めない。
「……放って置いても、大丈夫なのですか? 仮にも旅人を次々と追いはぎのように殺めていた人たちですよ。しかも、村ぐるみで」
「そう願ってる」
大丈夫とは言えないセイは、言った。
「きっかけの岩と、贄を欲するその男はいなくなる。後は……」
「後は?」
躊躇って言葉を切った若者に先を促すと、首を振ってから続けた。
「後は、こちらが怪しくないと思ってもらわなければならない。だから、あんたたちは戻っててくれ」
「それは、出来ないわ」
「何で?」
「こいつの退治は、ちゃんとやっておかなくちゃ」
「心配しなくても、私がやる」
「駄目」
今度はロンが頑なに首を振った。
「だから、何で?」
「あなたは、少しでも休みなさい。明日はすぐにここを発つから」
「オレが、付いて戻りますから」
「心配しなくても、あなたが受けた仕打ち、全部返してから葬り去るから、大丈夫よ」
ゼツとロンの言い分に、エンは何度も頷いているだけで、反対する気配はない。
今の言葉のどこに、大丈夫な箇所があったのか、セイには分からない。
いや、分かる気力はもう無くなっていた。
寝る事だけを楽しみに生きてきたセイは、今日は一睡もできていないのだ。
お言葉に甘えて、二人の連れに後は盥を投げることにしたのだった。
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