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二人の狐
何やら、付きものが落ちたような顔で、村の男衆が戻って来た。
話し合うのは明日にして、めいめいの家に引き払って行くようだった。
「本当に退治できているのか、その時は分からなかったけど何だか村の衆の顔つきが、さっきと違って見えて、少しほっとしたんだ」
手妻でも得手としているのかほんの一刻あまりで、男衆の思いつめた顔は緩んでいた。
「……オレと違って、あいつは術の類は全く効かねえ。それに、ものによっては人にかかった呪いも一声で破れる」
蓮の緩んだ顔に、雅は笑みを返して頷いた。
「もう一人、呪いを掛けられて苦しんでいた人を、あの子は助けていったんだよ」
それは、村長の妾であったすえだった。
その夜、雅は寝付けずに目を閉じたまま考え事をしていたのだが、誰かがそっと寝間を出て行く気配に気づいて目を開けた。
「あの人、元々、弱い人で、何だか放って置けなくて、それとなく気にしていたんだけど、土間の方に向かうのを見て、不味いなって……」
慌てて後を追って土間に降りると、女は小さな壺を抱えて中を覗いていた。
「……おかしいわ。まだ、こんなに残ってる。早く、消えてしまってよ……じゃないと、呪いが効かないじゃない」
呟く女に狐が声をかける前に、すえが振り返った。
雅に気付いて、目を剝いて声を張り上げた。
布を引き裂くような声と言うのは、こんな声だろう。
ようやく落ち着いた村に響いた奇声は、うとうととしていた旅人たちをも、飛び起きさせるほどの声だった。
「な、何だっ?」
戻って来ていたオキが、耳を抑えながら顔を顰め、エンが部屋を出て様子を伺う。
慌ただしい足音と、女たちの争う声、それを止めようと怒鳴る男の声が響く。
ぞろぞろと様子を見に来た客たちの目に、土間に降りた長吉に馬乗りになって、首を絞めるすえの姿が見えた。
「やめなさいっ。このままでは、長坊がっっ」
いねがそんな妾に取り付いて、子供から引き離そうとしている。
「離してっっ、どうしてよっ、どうしてこの子が……いなくならなくちゃ、呪いが出来ないじゃないのよっっ」
「すえ様っ、お気を確かにっ」
コトもすがるようにいねの加勢をするが、それすらも跳ねのけて子供の首を絞め続けている。
「……何だ、これは?」
力で止められるはずの村長は、呆然と女の傍に転がる壺の中身を、覗いていた。
中のものを取り出して、女を見下ろす。
「これは、骨、か?」
「憎い奴の血縁の子供を、壺に閉じ込めて呪いを込める。壺の中に何も残らなくなったら、呪いは成就する……あんたが、苦しみ死に絶えるさまを見れれば、私は地獄に行っても構わない。あの人を、死なせた報いを……」
動かなくなった子供を抱え、女は立ち上がった。
「な、にを、言っているんだっ、すえ、お前はっ、何てことを……」
ひきつけを起こしたように笑いながら、女は土間の隅のかまどの傍に歩み、包丁を手にする。
「……エン、子供を頼む」
思わず、唖然として見ていた男の背後で無感情な声が言い、我に返る自覚もないままに動いていた。
その先で、女の動きが唐突に止まる。
包丁が手から滑り落ち、子供を抱えていた腕も力なく落ちた。土間に落ちそうになった長吉を、エンは寸での所で掬い取って抱き上げた。
動かない体をゆすり、息をしていないのに気づき、青褪める。
「ち、長吉っ」
いねが、悲痛な声で叫びながら縋り付く。
「す、すえさま?」
コトが、恐る恐る目を見開いたまま立ち尽くす女に近づくが、その前に立った若者に阻まれた。
「……いい加減にしろ。どこまでかき回せば済むんだ」
「な、何を……」
見上げたお武家は、無感情の目でコトを見下ろしていた。
その冷たさに声を失くす少年に、セイは笑って見せた。
「逃げ場と言うだけではなく、餌場の一つだったのか。五十年前、一休みしてから、痕跡を探したのに全く消えていたから、どういう事かと思った。すでに馴染んでいたせいで、息をひそめる必要もなかった、ということか」
「……怪我で、おかしくなったのですか? 私、五十年も前から、ここにはいませんよ?」
「本当に?」
やんわりと若者は笑うが、目は全く変わらぬ無感情のままだ。
その目を、二人の村の民に向けた。
いねは、目を見張ってコトを見ている。
村長は、息を弾ませて引き攣った声を上げた。
「お前、あのコトかっ? 私が子供の頃、みなしごとなって引き取られた……」
「何を言っているのですかっ、私は……」
「なぜ、その時と変わらぬのだっ? お前は、何だっ?」
青ざめたコトが、必死に呼びかけた。
「旦那様っ」
「すえに何を吹き込んだのだっ。長吉を手にかけて、何を企んで……」
「ああ、その子は、死んでませんよ」
無表情な声が、話に割り込んだ。
旅人の一人で、只一人今の騒動に、興味なさげにしていた大きな男だ。
弾かれたように女が見るのにも動じず、ゼツは言った。
「本物は、知りませんけど」
「……本物?」
「ゼツ」
セイの呼びかけに、男は無表情のまま返した。
「ここでもう、全ての種明かしをして、村を出てしまいましょう。何の憂いも残さなければ、あなたも気にせず、自分の事を考えられるでしょう?」
「……」
「まあ、そうねえ。オキちゃん、準備をお願いね」
成り行きを見守っていたロンが、傍で面白くなさそうに見ていたオキに声をかけ、セイに頷きかける。
それを受けて、若者は呼びかけた。
「あんたは、それでいいのか?」
溜息をついて答えたのは、エンの腕の中でぐったりとしていた、長吉だった。
「ここまで明かされたら、そうするしかないじゃないか。中々あくどいな、あなたのお連れ方は」
目を開けた長吉は、安堵の顔で見下ろすエンを見上げ、微笑んだ。
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