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治まり悪い終わり
女は、少し前から病んでいるようだった。
「元の旅の道連れの連れ合いの男が、冬場に病に倒れて結局帰らぬ人となって、子供が出来なかった村長夫婦の願いで留まって、村長の子供を産んだ。その頃から、今思えばあの名も知らない妖しに、惑わされていたんだね」
「……お前さんが、その子供に成り代わってたってことは……」
「間に合わなかったんだ」
血の匂いが届くころには、何もかもが遅い。
小さな子供なら、尚更。
「まだ乳飲み子だった長吉は、土間に頭から落とされて、こと切れてた。あの壺の中のものは、骨ではなかったよ。私が、木の枝と入れ替えて、亡骸は懇ろに弔った」
だから、数年たったその時には、もう殆んど骨も残っていなかったはずだ。
「何で、死んだ子に成りすまそうと思ったのかは、自分でもよく分からない。でも、それでよかったって、言ってもらえた」
セイは、雅がその子に成り代わっていなかったら、コトと名乗っていた妖しが、その姿を使って言いようにかき回していただろうと言った。
「長吉になっていれば、疑われず山に入れるようになるし、何よりもいい隠れ蓑となったはずだって」
「成長したら、苦労なく村長を継ぐことになるだろうからな」
今の村の長は、世襲制が殆どだ。
鏡月は頷き、話を促す。
雅は小さく笑ってから、再び話し出す。
「今まで話したことを、多少話す人の考えも交えて話しただけだよ。でも、それでよかった。私は自分の思いも告げてもらえたし、安心して山に戻った」
「……」
だが、翌朝には、村が一変していたのだった。
「後は見たとおりだよ。村から人の姿は消えた」
何故なのかは分からないが、考えうることはあった。
「村を捨てて出て行ったんだろうと思う。本当の化け物を目のあたりにして、怖くならない方が、おかしい」
眉を寄せて、何と返事してよい物かと迷う葵の隣で、蓮は小さく息を吐いた。
「そうか。人がいなくなった土地は、寂れるのが早い。梅雨時なら、まだ稲も植えたばかりだろうに」
「手入れなんかできないから、そのまま雀の餌になっちゃったよ」
「そりゃあ、勿体ねえな」
笑いあった後、蓮は尋ねた。
「じゃあ、上野様の所で聞いた話は、大袈裟だったんだな」
狐が村の衆を惑わせ命を取った、と言う話だった。
「時がたつと、そう言う事もあるって、あなたも言ったじゃないか。女衆が自刃したという話が流れてたのは、驚いたけど」
笑いながら雅も頷き、戒の頭を軽く叩きながら、客たちに言った。
「こんな収まり方では面白くないだろうけど、こういうことだったんだ」
その後、村を離れた者達がどうなったのかは知らないが、それこそこの手の話をして回っているのかも知れない。
「だけど、文句言える事じゃないから、今後もあのお坊さんみたいな人たちが、ちょっかい出してくるかもしれない。だから、戒だけでも、どこかに預けたかったんだけどね……」
雅はそう締めくくった。
その夜はそこに泊めてもらい、蓮と葵は翌朝江戸へ向かって発つことにした。
夜動くことが多い蓮は、疲れ果てて眠る葵を横目に暗闇にうっすらと見える木々を眺めていた。
「何だ、眠らんのか?」
背後の声に振り向くと、寝たふりしていた鏡月が、身を起こしていた。
「あんたこそ、狸寝入りしてねえで、しっかり寝たらどうだ?」
「今は寝るのに飽きている。それに、出来れば人知れずやってしまいたいことがある」
「もう一つの預かりもの、に関わる事か?」
「……届ける場所に、届けねば、な」
奥の方を気にかけながら、鏡月はそっと言った。
「お前は、眠らんのか?」
もう一度問われ、蓮は苦笑した。
「さっき一休みしちまったからな。これ以上は、逆に気が休まらねえんだ」
昔からの、性分のようなものだ。
「それならいいが。江戸に戻ると決めたはいいが、やはり気になっているのかと、邪推してしまうではないか」
「何だよ、邪推って」
問う若者に、鏡月はにんまりと笑って答えた。
「昔別れた女に、後ろ髪引かれているのではと、思ったんだが、違うのか?」
「何を、言ってる?」
思わず鏡月を凝視して返すと、若者はのんびりと言った。
「カスミはな、血の繋がったものに対しても、ひねくれた救いを差し伸べる男だ。女の死に立ち直れぬ者を前に、気が合いそうだと、誰かを有無を言わせず連れて来る……それだけしか、しないはずがない」
「……」
「己にすら軽々とやってのけるのだ。赤の他人も同然の男を女子に変えて、連れて来るくらい、平気でやるだろう」
顔を逸らす蓮に笑いながら、鏡月は頷いた。
「本当に、いやがらせとしか思えんことを、あの男はしでかしたのだな」
「……寿命が来たら、往生する。そういう諦めなら、まだましだよな、こういう時は」
あの時、立ち直らせてくれた者が、別な衝撃を連れてやって来る。
蓮は、少しでも会う時を遅らせたいと思っているのだが……一目でもいいから、遠目で元気か否かくらいは、確かめたいと言う思いもあった。
「……気になるのなら、会ってから戻ろうぜ、な?」
寝ぼけ眼で身を起こした葵が、奥を気にしながら小声で、若者に呼び掛けた。
「別に、気になるって程でもねえよ」
やはり小声で返す蓮に、鏡月は首を傾げながら切り出した。
「気にならんのか? 雅の話の嘘が、どこなのか?」
「……」
目を細めた若者の代わりに、大男が目を丸くして問い返した。
「嘘? あの人が、嘘ついたってんですか? 知らねえとかじゃなく?」
「そんなの、どこか位分かる。聞くまでもねえ」
「そうなのかっ?」
思わず声を張り上げてしまった葵をどつき、更に睨む蓮に小さく笑いかけ、鏡月は外に目を向けた。
「あの村に行ってみたい。付き合え」
静かだが、真剣な声に二人は思わず頷いて、音もなく外へと向かう背を追って外へ出た。
雨はすでにやみ、かき分ける草は重いが、歩きにくいと言う程でもない。
「なあ、あの人の話の、どこが嘘だったんだ? まさか……」
「村の衆がどうなったのか、あの狐は知ってるだろうな。あの戒ってガキ、さっきオロオロしてたぜ」
「人間は、都合のいい考え方をする生き物だ」
山を下りながら、鏡月は二人に頷いた。
「相手を見た目でどういう者か決め、気弱になり逆に強気になる。あの狐は、幼い子供に化けていた。もう一人の化け物とどちらが退治しやすく見えるか、考えるまでもない」
「山狩りを、夜のうちに決めちまってるな、ありゃあ」
本当にあくどい奴らだ、と蓮は苦い気持ちで吐き捨てた。
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