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狐の覚悟
村を後にした一行は、岩のあった道を抜け一休みするべく山の中に入った。
それまでやせ我慢していたセイの歩みが、目に見えて遅くなったのだ。
血を流し過ぎたせいか、元々白い顔がさらに青白くなり、震えが止まらない。
人目の付かない場所を見繕い、一行は雨風を防げるようにその場を整え、若者を休ませることにした。
オキを傍に付け、他の三人は少し離れたところで火を起した。
「……あの連中、放って置く気ですか?」
村に来た仲間三人を、ロンは軽く謝って再び帰していた。
セイが許すと決めてしまったからには、それに従うのがこちらとしては正しいが、当の若者の体調を思うと、やはり許しがたい。
エンは、セイに聞こえないように、籠った声でロンを責める。
火を大きくしながら、ロンは小さく笑う。
「そんなはずないでしょ。あの子も色々考えるようになったけど、まだまだ考えが浅いわよね」
当の山の主の狐は、こちらの思惑に気付きつつも、受け入れるつもりの様だった。
そういうところは狐らしくなく、しかし逆に憎たらしい。
見返した男に、ロンは言った。
「今度立ち寄った時、村の衆たちがどういう生きざまをしているか。それを知ったらセーちゃんは、今夜の事を後悔するでしょうね。許してしまったせいで山の主は退治され、村の衆たちは雨の時期か否かにかかわらず、旅人を襲い始めているはずだから」
「……何ですって?」
「気づきませんでしたか?」
耳を疑ったエンに、ゼツが静かに言った。
「村に住む者は今までのどの村よりも、少なすぎました。なのに、なぜ、山の主の為の供物は、あんなに豪華だったのか」
清酒すらあると言っていた。
「なぜって、物々交換することは、どこでもあるだろう?」
「それに見合った物でないと、中々貴重なものとの交換は出来ないわよ。おとぎ話じゃないんだから」
その見合った物は、どこから湧いて出ているのか。
「国からの探りもあるだろうに、証が出ない。これは、国元で交換しているわけじゃないからに他ならない。あんなに少ない田畑で、年貢や自分たちの生活の分より多く、作物を作っているはずもない。そこまで言えば、あなたにも分かるはずだ」
「いくら、あの子の事が気になるからって、そこまで周りを気にしないなんて」
笑う男を見つめながら、エンは思い出していた。
この男とゼツが、代わる代わる村長達に行った種明かしは、元凶のはずのコトに化けた、妖しの事ではなかった。
死んだ子供に化けた山の主の思惑や、自分たちが退治した人食いについての事しか、話していなかった。
「次に立ち寄った時には、間違いなく、手を下してあげましょう」
「……あの狐を、村の連中に、殺させる気ですかっ?」
「だって、全ての元凶は、あの狐なのよ?」
何をそんなに驚くのと、不思議そうにロンは首を傾げた。
「元凶は、違う狐の方でしょうっ? そういう八つ当たりは、あなたらしくないでしょうっ」
「ただの八つ当たりとは言い難いですよ。あの狐本人も、こういう形での罰を、望んでいたようです」
「……」
全く気にもしていない二人を無言で睨み、エンは立ち上がった。
「もう手遅れよ」
そんな言葉を背に投げかけられたが、足早に歩き出した男は止まらなかった。
山の中を通って、セイは岩の前に出た。
なら、この先に村を通らずにあの山の中に出る道があるはずだ。
歩みはだんだん早くなり、殆んど走り出していた。
夜も更けて、村に静けさが戻ったように感じるが、それは密やかな動きを悟られぬように、そう装っているにすぎない。
そんな感覚が、山に戻った狐には感じ取れた。
「……戒、これを」
狐は、戒を拾った後、村長の住居で偶然見つけた書簡を、戒に差し出した。
「この村の先の村の名高いお坊様に、お前を頼むと言う旨の書簡だよ。お前をあの坊様に託した方は、私なんかにお前を養って欲しくないはずだ」
「何を、今更……」
「すまなかった。一人の時が長すぎて、ついつい、手離しづらくなってしまったんだ」
優しく笑いながら、小さな手にその書簡を握らせた。
「今からでも遅くない。これを持って、隣村を訪ねなさい」
「あんたは、どうするんだ?」
「……ここに残るに、決まっているだろう。ここは、私が生まれた所で、死に場所でもある」
覚悟を決めたその言葉に、戒は泣きそうな顔をした。
それを見て、思わず笑ってしまう。
「気づいているのか。村の事」
「……奴ら、弓矢や鍬を手に、ここにやって来る。あんただけで、太刀打ちできる数じゃない。何でそうなる? あの人食いがいなくなったら、岩が無くなったら、何もかも元に戻るんじゃ、なかったのかっ?」
「その元が、山狩りだったからね。それが、発端だ。あの時、大人しく倒れていれば、こうまで恐ろしい事には、ならなかった」
「その時の目当ては、あんたじゃないだろうっ」
悲鳴に近い声で叫ぶ子供に、狐は首を振った。
「山に巣食う、質の悪い狐……私も含む言葉だ」
「馬鹿な事を言うなっ、あんたは、悪い奴じゃない。オレが、よく知っている」
体ごとぶつかって狐に抱き着いて、戒はしっかりとその体を捕まえた。
「あんたは、オレが、守る。何人あんな爺共が来たって、離れるものかっ」
言葉足らずだが、本音だった。
それが嬉しくて、小さな体を抱きとめ、背中を軽く何度もたたく。
「ありがとう。幸せだった、本当に」
暫くの間のそれを、噛み締める事が出来ることも、狐にとっては有り難いことだった。
無数の足音が、山に足を踏み入れて来る。
「さ、早く行きなさい」
意外に進む足は速い。
ここに村の衆が辿り着く前に、子供を逃がさなければ。
そんな狐の思いに、子供は涙を浮かべて言いつのろうとして、気づいた。
狐も、まだ山の中をいくばくも歩いていないはずの足音が、止まったのに気づく。
戸惑いながらも狐は村の男衆たち以外の、匂いをかぎ取った。
そのうちの一人は、先程発ったばかりの武芸者の一人だった。
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