尼僧と若者

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尼僧と若者

 多恵(たえ)は、その言い分を聞いて出来るだけ厳しい顔を作った。 「あなた方は、使いで来られただけだと言うのに、そのようなとんでもないことを、しでかしたのですかっ」  老女ながら、迫力がある。  それは当然だった。  一月前に、師匠である先代古谷の御坊が鬼籍に入り、遅ればせながらその責を、一心に背負うことになった重みは、鬼気迫る所まで、多恵を追い詰めていたのだ。  師匠を荼毘に付し、身の回りがようやく落ち着いたこの日、京の寺へ申し出ていた話の返事が届いた、のだが。  使いとしてやってきた僧たちの、妙に落ち着かない仕草が気になり、問い詰めると天井を仰いで、何かに毒づきたい気持ちになった。  多恵が欲しかったのは、村の浄化の許しだ。  一応京で修業をして、尼僧として戻っては来たが、その位は低い。  勝手に事を成して目立つのは、避けたかったのだ。  事情を、全て記したわけではない。  ただ、不慮の事態で村人不在となった村を、気休めでもいいからお祓いじみたことをして欲しいと、役人から申し出があった旨を書簡では記しただけだ。 「それでなくとも、この件はお国の役人が申し出たものです。あなた方が手柄目的で、どうこうすることのできる案件では、ありません」 「も、申し訳ありませぬ。しかし……」 「何ですかっ」  心を沈めながら返した尼僧に、使いの一人が上目遣いで言う。 「恐れながら、あなたお一人で、あの狐の退治は、荷が重いのではないのでしょうか?」 「……誰が、狐退治すると、言いましたかっっ」  話がどう伝わったのか、質の悪い狐を退治して、村をまた生き返らせるつもりだと、使いの僧たちは考えていたらしい。  多恵は、仮にもこの地では慕われていた、古谷の御坊の弟子だ。  その尼僧の手伝いを買って出て、名を売ろうと言う下心が見え隠れする。  それは誰よりも、今は亡き師匠に失礼な話だった。  先代の古谷の御坊は、何も化け物退治で名を上げたから、この地で慕われているわけではない。  上目遣いなのに、上から見下ろされているような言われ方だ。  気の短い所のある多恵は、一人一人使いの僧たちを見据えた。  その目は、完全に据わっている。  弟子が見ていたら、竦み上がること請け合いの迫力だが、その口が開く前に奥から悲鳴が聞こえた。 「セイ様っ、駄目ですっ、そのままそんなところに、お手を入れてはっっ」  何事かと、そちらを見る使い達の前で多恵は我に返り、わざとらしい笑顔になった。 「確かに、返書は受けとりました。どうぞ、お引き取り下さい」  急に話を治めにかかる尼僧に、僧たちは何かを言いかかったが、多恵はその口を、持ち前の気迫で抑え込んだ。 「お引き取り、下さい」 「は、い。では。よろしく、お願いいたします」  礼を尽くして門前まで見送り、家内に戻った尼僧はすぐに、奥の間へと急いだ。  もしもの為の準備と言って、その場に時期的に必要でないはずの、火鉢を持ち込んだ若者が、尼僧の弟子の若い僧に、手を取られて手当てされている。  若い僧は、涙目で言いつのる。 「ですから、繕い物は私が承ると申しておりますのに。どうして、そんな細かい事から、出来るようになろうと、思われるのですかっ」  その言葉で、先の悲鳴の理由を察する。  若者は、今年桜が咲く時期に、この地に舞い戻った。  その時、何と言う奇跡か、固い義手をつけていたはずの両手が、生え揃っていたのだ。 「トカゲの妖しだった、という訳じゃないと思う」  真顔で言って挨拶する若者は、更に神々しさを増したのだが、尼僧は何とかその気持ちを、顔に出さずに済んだ。  昔の騒動と去年の事を考えると、長居していただくには崇める行いを慎む方がいいと、考えたためだ。  その努力のせいか、元々そのつもりだったのか、セイは先代の古谷の御坊を看取って送り出した後も、こうしてこの家に留まってくれている。  留まって下さるのは嬉しいのだが、たまに使い慣れぬ手先の扱いが、乱暴になるのだ。 「どうされましたか?」  声をかけると、セイが顔を上げた。  透き通るような顔と、それに溶け込むような艶のある、真っすぐに伸びた金色の髪。  これを客人に見せる訳にはいかない、と言うよりもあのような者たちの目に晒す気など、欠片もない。 「大袈裟なんだよ、ただ針で指をついた位で」  無感情のまま若者が言うと、若い弟子が言い返した。 「でしたら、慌てて火種を、手づかみしないでくださいっ」 「……すまない」  素直に謝られ、僧が顔を上げて若者を見直した。 「わ、分かって下さったのなら、それでよいのです」  とても目に心地よい光景だが、そうのんびりとしている訳にはいかなくなった。 「セイ様。返書が届きました」  何事もない様に切り出し、返書の内容を話す。 「こちらで、良いようにしてよいと。ただ……」  気になることを、使いの僧たちが伝えてきた。 「山の主らしき者に、あの辺りを通った時に襲われたと。恐らくは逆に仕掛けて、返り討ちになったのでしょうが、娘一人ではなく、五人で……」  子供が二人と、男二人が一緒だったと言う。 「男の一人は、とても大きな男だったとのことです」 「そういう、手助けしてもらえる伝手があったのなら、良かった」  僅かに表情を変え、セイが呟いた。  ここに戻る前、神隠しで知られていた村を通って来た若者とその連れは、その寂れ方に、言葉を失くした。  連れの内二人は、山の主を討って、村は全く変わらぬ生活を続けていると思っていたから、その惨状に唖然となった。  村人が、どうなったのかを知る男とその翌朝、何事もなかったかのように、この国の娘に姿を変えて、合流してきた二人の娘も、村が完全になくなっているのを見て、呆然としていた。 「逃げる方を、選んだんだな」  オキが白々しい事を呟き、ロンは苦い顔になった。 「ってことは、山の主は健在なのね。運がいいわねえ」 「今は、いないようですね」  溜息を吐き、辺りを見回しながらゼツが言い、空を仰いだ。 「思い通りにならないことも、たまにはありますね」  多恵は話の顛末を、師匠の見舞いに来た、白狐に聞いた。  セイたちと入れ違いに、この地を去ったその狐は、オキから詳しい話を聞きだしたらしい。 「あの村の事を、まだ悔いているらしい。だから、出来ればその話には、触らないでやってくれ。せめて、話せるようになるまでは」  去り際の頼みにより、セイたちにはその狐に使いを頼み、かねてより国の役人に頼まれていた話を、寺の最高峰に持って行ってもらった旨を話したのみで、村であった事には触れていなかった。 「……古谷さんの見舞いに来たのなら、ついでに持って来て、置いて行ってくれれば良かったのに」   何の含みを持たせなかったため、セイはそんなことを呟きながら首を傾げただけだった。  だから、山の主に関する話を伝えた時のその表情に、すこしだけほっとした。 「良いお方でしたか?」 「私が知る狐は、大体人がいいんだ」  腕を更に斬り落とされると言う、不幸に見舞われたセイは、その後宿を取った村で、あっさりと連れの探し人と、顔合わせした。  この国を放浪しながら、その人物を探す積もりだったが、目当ての人物と接触が出来てしまったため、後はただの放浪旅になった。  壊れた預かりものの装飾品を繕ってもらうため、有名どころの上方へと足を向けたところ、そこで顔見知りの狐と再会したのだ。  今は静かな、この近くの山に巣食っていた、鬼の討伐をセイに持ち掛けてきた狐だ。  その時、助けられた幼い子供に交じっていたのがその時十七だった多恵で、助けるはずの子供たちに、邪魔されて逃がしてしまった者が、神隠し村の後ろで画策していた狐だった。 「その子供たちは、それぞれ厳しい寺の預けたらしい。一緒だった狐二人は、知り合いの狐に預けたそうだ」  その二人の狐の、伯母に当たる少々質の悪い狐らしいが、白狐からは血縁には優しいと、太鼓判をもらった。 「そうですか。……あの二人の狐は、もしや」 「萌葱(もえぎ)浅葱(あさぎ)。その伯母の狐に、名付けられたそうだ。間違いない、あの山の主の、弟の二人だ」 「……」  例の狐の思惑が、ここにも見え隠れしている。  顔を曇らせた多恵が、考え込む。 「あまり強い呪いでは、その山の方にも、障りが出るやもしれません。ですが、生半可なものでは、人を介した画策を、打破することなどできません」 「そこまで考える事はないだろ。あの山の主は、弱くない」  そして、例の狐の方は、さほど強くない。 「だから、あの狐が、じかにこの辺りを縄張りにできない様、網を張ってしまえばいい。強い者は引っ掛からない類の物でもいい」 「ですが、それでは、それこそあの頃のような、鬼たちが現れたら……」 「あんた達なら、すぐに分かるだろう?」  あの時のように多すぎる鬼は、封じるだけが精一杯だが一対一なら。  そう言ってから、セイはこともなげに続けた。 「それも難しい時は、知らせてくれればいいから」  多恵の目が、真ん丸になった。 「つまり、セイ様。私たちを、これからも気にかけて下さるんですねっ?」  言った後ろで、弟子たちが手を合わせた。 「有難うございます」  座ったまま身を引いた若者に構わず、多恵は涙ぐみながら深々と頭を下げた。 「……いつ、始めるんだ?」  逃げ場を失っているセイが、話を戻した。  涙を拭いて、気を取り直した尼僧が答える。 「善は急げと申しますゆえ、今夜にでも向かおうと考えております」 「一人じゃないよな」 「勿論、瑪瑙(めのう)にも声を掛けます」  その名に頷き、若者は少し躊躇ってから切り出した。 「……邪魔はしないから、私も行っていいか?」 「勿論ですともっ」  すぐに返事してしまってから、多恵は思い出した。  大丈夫なのかと口にする前に、セイは僅かに微笑んで頷いた。 「大丈夫だ。ただ、もう少しゆっくりと、あの村を見て回りたい」  薄れていない思いの、収まる場所を探すために。
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