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一年越しの供養
瑪瑙は、もう少し遅かったら、狩られる方に成長していたかもしれない鬼だった。
年も、その時で多恵より一つ上であと一歩の覚悟がないまま、弱い立場の幼い鬼や狐たちを守り続けていた。
多恵と共に助け出された後、瑪瑙はこの地に残り、生きる道を決めた娘を守り続けている。
修行に出た時にも、この地に尼僧として舞い戻った時も、瑪瑙は陰で脅威を払ってくれた。
「で、今は、村のまとめ役、か」
セイの足元で、あくびをかみ殺しながら四つ足で歩く黒い塊が、大男を見上げた。
この国では珍しい、毛の長い黒猫だ。
「まあ、まとめ役ではあるが、流石に表にはもう出れない。何人か後継は選んであるが、あんたたちと今後も付き合いを続けるのなら、もう少し教え込んでおかんとな」
「だから、どうしてあんたらは、大袈裟な話にするんだ?」
鬼にしては顔つきも目つきも温和な大男は、そのうんざりとした顔に思わず吹き出す。
「あんたが、大きなことをやってるくせに、小さい事と偽ろうとするからだろ」
どういう意味だと、眉を寄せるセイを見上げ、足下の黒猫が大男に言う。
「悩ませるな。何を言い出すか、分かったもんじゃないから」
「あんたら周りが、そういう風に甘やかすから、こう言う奴になるんじゃないのか?」
「そんなわけあるか。こいつはな、元々こんな奴なんだ」
真面目な二人の会話は聞き流し、セイは辺りを見回した。
草は生い茂り、家の姿はほとんど見えなくなっていた。
焼けた家があったであろう所も、草が茂ってしまっていて、火事の痕跡は見つけにくくなっていた。
「しかし、一棟焼く火事だと言うのに、他の家は無事だったのか。どんな手妻を使った?」
「雨が多い時期だったし、風もなかった。後は、周りの家にまで、火が移らないようにしてただけだ」
その、だけ、が難しいと言うのに、セイはこともなげ気に答え、溜息を吐いた。
「……では、そろそろ、お勤めに移らせていただきます」
多恵が、そんな若者を優しく見つめ、静かに告げた。
ごく簡単な、呪いの準備を終えると、そっと手を合わせる。
僧が唱える読経ではなく、古谷の御坊から受け継いだ、呪いの言葉だ。
歌うように、滔々と唱えられる言葉を耳に、セイも瑪瑙も手を合わせて黙祷した。
夜の澄んだ風が、僅かに張り詰めるのを肌で感じ目を開くと、若者は黙ったまま辺りを見回した。
「私は、我儘だ」
不意に、いつもの声音で呟くセイに、言い返そうとする尼僧に首を振り、更に言う。
「ここで亡くなった人たちも、山の主も、私は助けたかった。もう少し、私の口が達者なら、あの人たちを説得できたのだろうか。子供を手にかけた人の目を覚まさせるにしても、別なやり方はなかったのか……ずっと、考えてた」
考え始めると、あの夜に至るまでの自分が取った動きや、言った言葉まで気になって来る。
「私は、まだまだ未熟だ。物事の先を見ようと目を凝らせても、悪い方へと向かうのを、止める力がない」
求められるままに、あの群衆の中に舞い戻ったのも、そう考えてのことだった。
そして、この村でその力不足が、骨身にしみた。
周りの者の手を借りようにも、説得する言葉を見つけられない。
「村の男たちは、もう抜け出さない所まで落ちていたから、山の主とどちらを助けるかと言う所は、躊躇わなかったんだけど」
それは、初めに追いすがられた時に気付いた。
男衆の目は、自分たちの着物や、まがい物の大小の刀を物色していた。
その日の昼に出会った、村の話を餌にかどわかしを目論んだ、盗賊たちのように。
考えてみれば村の男たちを虐殺した者も、その指示を下したセイ自身も、所詮は同じ穴の狢であり、果たして偉そうに罰を下せる立場なのかと、国元へ知らせて、罰してもらった方が良かったのではと、これも悔いることの一つだった。
「いいえ、それは、違います」
セイの考えに首を振った多恵は、その村の男衆の事は知らないが、聞いた限りでは、国元での裁きを受けさせてはならぬ事態だった。
「よくお考え下さい。あの村へ、嫁を出す村はありませんでしたが、何年か前までは、あの村の娘を貰った者もおりました。噂が広まるにつれ、それもなくなっておりましたが、嫁いだ娘たちは、健在のはずでございます」
「……うちの若いのも、この村から嫁を貰った。気立てのいい嫁だぞ」
村が罰を受ければ、同じように罰を受ける事はないだろうが、嫁入り先での扱いが間違いなく変わる。
「姑との仲が元々悪かったら、それこそ格好の的だ。出戻る家もないんじゃあ、女の先は知れてる」
「そうか……」
色恋の駆け引きや、その他の恋沙汰には、全く頭がついて行かないが、こういう分かりやすい話は、よく分かる。
セイは頷いて、少しだけ安堵した。
「じゃあ、私は、大きなことを言った割に、村を潰してしまう方へと持って行ってしまった事を、山の主に謝ればいいだけか?」
若者は、背後を振り向きながら、多恵に尋ねていた。
答える前に、そこに歩み寄る人影に気付く。
「……」
体を伸ばして、その背丈のある娘を見上げた黒猫が、草色の目を見張った。
「今晩は、元気そうだね」
セイに優しく微笑んで、狐が挨拶した。
「お陰様で。あんたの方は? 弟も元気なのか?」
「ああ、この通り」
狐は微笑んだまま、若者のすぐ後ろを指さした。
「隙ありっっ」
幼い声が叫び、セイが振り返る前に、事は終わっていた。
「こいつをそんなもので殴っても、獲物の方が壊れるだけだぞ」
浪人姿の男が、男の子供を地面に押し付けながら、呆れた声で言う。
「き、貴様、どこから湧いたっ?」
「さっきからいたが」
言いながらオキは、子供の手から、つっかえ棒を奪い取った。
「というか、こんなもの、あんたの家にあるのか?」
何でもないように、瑪瑙が気になることを訊くと、狐は苦笑しながら答えた。
「さっき無人の家から拝借したんだよ。一発殴る位は、いいかなって」
「構わないけど……」
娘の言い分に、セイは真顔で答えた。
「そんな棒切れじゃあ、すぐに折れる」
「こいつ、頭が固いからな。恐ろしく」
頑固、と言う意味ではないオキの言い分に、狐は困ったように笑った。
「そうなのか。じゃあ、私は何に、思いをぶつければいいんだろうね。守ろうと思っていたものを、殆んどあなた達に奪われてしまった、この行き場のない思いを?」
「別な物で、ぶつけたらどうだ?」
優しく、しかし当てこするように問われたが、セイはすぐに答えた。
「そんな棒じゃなく、刃物や鈍器が、残っているはずだ」
「……話を聞くと言う、考えにはならないのか、あなたは?」
「話だけで、いいのか?」
思わず言ってしまったのは、瑪瑙だ。
鋭く睨まれて首を竦めるが、悪びれる様子はない。
「……あれから、何度か、術師の襲撃を受けた。村の民を襲った性悪狐、そう悪し様に言われて、それでも何とか撃退してきたけれど、もう限界だ」
「だろうと思ったから、この人に呪いをかけてもらったんだ」
「ここに戻った時、お坊さんにも襲われたよ。不意を突かれて、危うく戒まで……」
その場の来訪者たちが、全員目を瞬いた。
「何だよ」
「いや、そう言えば……お前、言ってたか?」
オキが夜空を仰ぎながら、セイに声をかけた。
若者も、考えながら答える。
「聞いてないから、言ってないはずだ」
「お前なあ、それは、礼儀でもあるんじゃないのか? この狐には、世話になったんだろ?」
呆れた男の申し出に頷き、セイは狐に声をかけた。
「申し遅れてた、私は、セイと名乗っている。あんたは?」
今更? と目を見開く狐の前で、若者は真顔だ。
「……雅だ。この子は戒」
「そうか、戒ってこの子か……」
瑪瑙が頷きながら、多恵を伺うと、案の定怒りに震えていた。
「あの者ども、このように幼い子を、術の餌食に?」
「だが、良かったな、こうしてみると、無事みたいじゃないか」
鬼が、取り繕うように言いながら、尼僧の怒りをほぐそうと試みている。
「ええ。旅で知り合った方が、お強い方で、助かったんだ」
「男の二人連れか。一人は大きい男だったらしいな」
「……ああ、そうですよね、ああいう手合いは、何事も、大袈裟に話したがるから」
瑪瑙が重ねて問うと、雅と名乗った狐は、優しい笑顔で頷いた。
「大きなお侍さんも、いたよ。私と道連れになった方に、丁度追いついてきたのが、ここだったんだ」
言って、ある方角へ目を向けた。
「ほら、あの方」
振り向いた先で、何かが振動を立てて走って来ていた。
「げっ」
思わず身を引き、逃げ腰になるオキと、その迫力に目を見張った多恵を、背後に守る緊張気味の瑪瑙の前で、その振動の主は叫びながらセイに抱き着いた。
「セイっっ、お前、生きてたのかっっ。良かったなあ、こんなにでかくなって……」
吹っ飛ばされそうな勢いでの大男の襲来に、雅は流石に及び腰になったが、セイは目を見開いて、自分を頭の上まで抱え上げて喜ぶ男を見た。
「葵さん?」
「おう、久し振りだなあ」
満面の笑顔に、若者も顔を緩ませた。
「あんたは、相変わらずなんだな」
「お前も、笑うとめんこいとこは、変わってねえ」
葵は、嬉しそうにその笑顔を見ているが、周りで見ている者たちには、衝撃的だった。
「……葵、頼むからこいつに、そんな顔をさせるなっ。と言うか、お前、何でこんな所で迷ってる? 蓮と一緒じゃないのか?」
滅多に見れない、極上の笑顔に当てられそうになり、オキが大男に話しかけると、葵はようやく周りの者に気付いた。
「オキ、お前も、あれ以来、変わってねえようだな」
「まあな。お前、江戸に出たんじゃ、なかったのか?」
「そうなんだ、聞いてくれよ」
葵は眉を寄せて、愚痴り出した。
「蓮の奴、お江戸のお殿様と大喧嘩しちまってな、江戸から逃げちまったんだ」
「蓮が?」
抱えられたままの姿勢で、セイが目を丸くする。
「おう、しかも、オレが知ったのは、出て行った二日後だぜ。あいつ、お偉いお方に顔が利くんだよ。その内のお一人が、蓮の事を教えてくれてな、探して連れ戻すようにと、仰せつかったんだ」
「……無謀な方も、いたもんだな」
「だろ、本当に、何度夜中に、道を確かめたか……」
遠目がとても利く葵は、夜中に高い位置から道を見下ろし、何とかこの近くまで辿り着いたらしい。
「で、見つかったのか?」
「おう。その人と、旅の道連れになって、ここまで来てた所で、追いついたんだ」
セイの動きが、止まった。
見下ろしていた葵の顔から、大男が走ってきた方へと、目を向ける。
そこに、もう二つの人影があった。
「あの人、オレが迷って途方に暮れてた時に、話しかけてくれてな、一緒に、蓮を探してくれたんだ」
そんな紹介を聞き流しながら、近づいてくる二人を見守っていたセイが、葵を再び見下ろした。
「……蓮って、あんなに小さかったっけ?」
大男が返す前に、その言葉を聞いた蓮が動いた。
同時に、セイも大男の腕から離れ、その拳を避ける。
「……久し振りに会った旧知の者に、最初に言う言葉が、それかっ」
「仕方ないだろっ。思わず出たんだからっ」
「仕方ないだあ? なら、これも仕方ねえなあ、お前の目線が高すぎて、顔が良く見えねえんだ。ちょっくらその足、切り落とさせろ」
怖い笑顔で、小柄な若者は刀に手を置く。
「ふざけるなよ、折角あんたより大きくなれたのに、そんなことされてたまるかっ」
二人とも、真剣な言い合いだ。
追いついた鏡月がその二人を前に、呟いた。
「何だ、意外にあっさりとすんだな」
「……子供が、増えた」
雅も気が抜けた声で呟く中、オキが笑いながら二人に茶々を入れ、葵がおろおろと二人の間に入って、喧嘩を止めようとしている。
そんな中、尼僧と大男の一人と戒が、子供じみた喧嘩をしているセイを見たまま、固まっていた。
「……どちらがいいんだろう。悪い虫をつけないために笑わせないのと、始終笑っているようにして、周りに見慣れさせるのと」
「前者だと、ああいう具合だな。奴ら、育て方を間違っているのではないか?」
「……育て始めから、あんな感じだ」
オキが、聞きとがめて二人を振り返った。
その目はよく見ると、いつの間にか消えた黒猫と、同じ深い草色だ。
「お前、狐と人間との間にできた娘、だったな」
「ええ」
まじまじと見つめるオキに、居心地悪くなる雅の代わりに、鏡月が続けた
「ミヅキの娘だ」
「そうか……だから、あいつは……」
一連の話を聞き、顔を曇らせた白狐の様子を思い出し、男は溜息を吐いた。
「律の奴、気になっているくせに、古谷の坊主の、見舞いだけして帰ったんだな」
「ん? あいつ、その尼僧の所に、行ったのか」
「正しくは、その師匠だった男に、だがな。去年は、まだ元気だったが、この冬にがくりと来て、寝たきりになったらしい。最期まで頭はしっかりしていて、セイと話もしたがな」
鏡月は曖昧に頷いてから、首を傾げた。
「ん? では、オレは、頼まれ損じゃないのか?」
「何の話だ?」
「律は、セイとも、こちらで会ったのだろう?」
オキが苦い顔になった。
「いや、行き違いになった。オレたちが戻った頃には、すでに去った後だった」
「お前ら、喧嘩でもしたのか?」
目を剝く若者に、男はしばし詰まってから答えた。
「喧嘩じゃない。斬りかかられはしたが」
「……何をやったんだ、浮気か?」
そういう、色気のある話ではない。
だが久し振りに会った白狐に、後ろめたい気持ちはあった。
どう話すかの心の準備と言うものが、まだできていなかったオキは、白狐の律が姿を見せた途端、本来の姿に戻って、やり過ごそうとしてしまったのだ。
「本来のって……さっきの姿の方が、あなたなのか?」
まだ固まったままの三人に呆れていた雅が、つい意外に思って訊いてしまった。
「ああ。化けると言うより、この姿は貰ったと言った方がいい。……ランと言う、昔の主に」
鏡月が、得心が言ったと頷いた。
「オレがお前と会った時、ついつい斬りかかってしまったから、話す方を先にしようと考えたんだな?」
オキと昔の主ランの匂いは、まだ混ざっている。
だからこそ律の方は気づき、その見え透いたやり過ごし方に怒りを覚えたようで、会った途端に斬りかかった。
「お前と言い律と言い、こちらの話を聞いてから斬りかかることを覚えたらどうだ?」
「オレはともかく、あいつの方は違うだろう。自分を騙そうとする伴侶など、斬り刻んでしまった方がいいと思ったのだろうな」
「……伴侶? 狐と、猫が?」
目を瞬いている娘を置き去りに、オキは苦い顔のまま鏡月に言い返す。
「斬り刻んでしまうより、話を聞いてくれと言いたいんだがっ?」
「それは、律本人に言え。仲直りはして来たのか?」
「当たり前だっ。だから、行き違いで帰られて、意外だったんだ」
だが、得心はいった。
ミヅキの娘の様子を見に行こうと出て来たはいいが、やはり後ろめたかったのだろう。
素通りかもしくは別な道を通って古谷の家に行き、老僧が病に倒れていたのを知り見舞った後、そんな気弱な動きをしたことを知られる前に、自分達と行き違いに帰ってしまったのだ。
「後ろめたいって、どうしてでしょう?」
「ああ……」
当然の問いに、鏡月が夜空を仰ぎながら答えた。
「お前たちを差し置いて、ミヅキの死を見届けたから、だろう」
黙ったまま盲目の若者を見る雅に、オキも静かに言う。
「ああいう人だから、静かに死ぬことは出来なかったが、あの人らしい死にざまだった」
「……その話もまとめて、聞きたいことが、沢山あるんですけど」
「そうか」
鏡月は頷き、オキに頷きかけた。
「……分かった。まずは、この村を出るか」
男は言いながら、不意に両手を打った。
夜に響く乾いた音が、固まったままだった三人の我を、取り戻させる。
「いつまで呆けてる気だ。こいつと長い目での付き合いを考えるなら、慣れろ」
「そんな苦行が、課せられてしまうのですね。精進いたします」
我に返って、力強く頷く多恵を筆頭に、村を出るべく歩き出す。
セイと蓮も、言い争いながら歩き出し、葵も慌てて続く。
長い夜が、明けようとしていた。
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