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穏やかな時
その話は、武勇伝のようだった。
ある群れを率いた男の片腕となり、力をふるい続けたミヅキと名乗る男が、所帯を持つことになるまでの話だ。
「ミヅキは、それ程大きな男じゃなかったが、そこの鬼位の大男相手に、平気で斬りかかり、勝って戻ってくる男だった」
鏡月が言い、オキが小さく笑った。
「こいつは、元々は目が見えていたが、ミヅキは随分幼い頃の病が元で、光を完全に失っていた。それで、あの動きを見せられたからな、化け物かと思ったもんだ」
ミヅキに助けられたのが、オキと律だった。
そして、その時追っていたのが、ここにいる男の父親が率いていた連中だったのだ。
「……その時、お前は子供だったんだろう? そんな幼い子供まで、手にかけるような連中だったのか?」
古谷家に戻った一行を迎えたのは、いつも遅くても、夜更けには戻って来るエンだった。
家にいないセイを心配して外で待っていたが、無事な姿に安堵した後、連れたちにぎょっとなった。
その中に、山の主である狐もいるのを見て、早々に部屋の奥に引っ込もうとするのを、何かを察したオキと鏡月が、強引に引き留めた。
居心地が悪いながらも話は気になるらしく、エンは男の話に眉を寄せた。
「ああ。オレはまだ、親の威を借りていただけの、子供だった」
「その時、手を下そうとしていたのは、赤毛の野郎だったな」
「ああ。……カスミの旦那の、兄貴だ」
国が倒れ、主君を逃がすために殿を務めて力尽きたミヅキと、共に取り残されたその従弟の鏡月は、その時カスミの元に、客扱いで身を寄せていた。
「あの人が、シノギの旦那と一緒に、カスミの旦那を傀儡に色々と遊んでいた頃が、懐かしいわ」
白髪の娘が、溜息を吐きながら言った。
ジュリの姿は、光の下では更に目立つ容姿だった。
透き通るような肌に、映える紅い目には雅も驚いたが、聞いてみると同じ色合いの兄もいるらしい。
「あの親父さんを、傀儡に? そんなこと、出来た人が、いるんですかっ?」
「いたのよ。だから、あんなことになって、足を洗うと言われた時、ここはもうダメだと思ったわ」
エンは、父親が嫌いらしく、言葉の所々で棘が出ている。
「シノギの旦那は残ったが、二人揃ってのカスミの旦那の腕、だったからな」
あんなこととは、ある術師に死に際にかけられた、質の悪い呪いだった。
「質は悪かったが、その気になれば解けたかもしれない。何せ、あの術師の言葉は、『周りの全ての者を皆殺し』だったからな。それをどうやったのか、ミヅキはシノギの旦那のみの命を狙うだけに、とどめた」
それだけに留めたのはいいが、それを成就したらどうなるか分からない。
分かるのは、シノギと顔を合わせない限りは、温和な男だと言う事だけだ。
「だから、足を洗うことを決め、ついでに、所帯を持ってみようと言う事になった」
「ついで?」
目を険しくしながら、雅が返す。
ミヅキは、世話好きな男だった。
鏡月やオキを始め、多くの子供が世話され、成長したら巣立ちを見送られていた。
自分の子供は欲しいが、出来ないと諦めていた。
「あの人、女には引く手あまただったんだが……」
それは、シノギもそうだったのだが、そちらは女より剣に生きる男で、気になる女以外は見向きもしなかったせいで、ミヅキの方に女が集まったようだ。
だが、いざ、閨を共にすると、女がもたなかった。
「? もたなかった?」
言葉尻を問いで返され、鏡月は咳払いした。
目を泳がせてしまう若者に代わって、オキが続ける。
「だからな、ミヅキが満足する前に、女の方が気絶してしまって、だな」
「……」
そういう事で、所帯を持っても子供は無理だろうと、ミヅキは諦めていたのだが……それを聞いたある女が、手を上げたのだった。
「それが、お前の母親の寿だ」
理由は、言うまでもない。
「……つまり、母は、元々は……」
「お前の話を聞いて、驚いたぞ。子供に、そこまで思い込ませるほどに、いい母親をしていたんだな」
雅は大きく溜息を吐いて、ある話をした。
それは、戒を唯一預けられそうな、母に会いに行った時のことだ。
寿はまだ幼い戒を上から下まで眺め、舌なめずりをしたのだ。
「子供として大切に育ててくれ、と頼んだら即断られました」
こんな逸材に手を出すなとっ? などと言う迷いごとを吐かれ、すぐに雅は諦めたのだった。
「分かった、成長するまでは、子供として育てるから、何て言いつのられましたけど、信用できなくなってしまって。連れ帰ってきてしまったんです」
それで、よかったと思う。
もう脅威は完全に消えた、と言ってもいい安心感が、雅にはある。
隣に座る戒は、若い僧が数人忙しそうに歩き回るさまを、珍しそうに見ている。
「……父が友人とした、約束と言うのは?」
「ああ、それなあ……」
オキと鏡月は顔を見合わせ、ジュリはくすくすと笑った。
「人の姿を取れる子供が、あなた一人と聞いて、流石に大丈夫なのかと、少し気になってたんだけど……」
「カスミの旦那も、中々、な」
小さく笑うオキも、にんまりと笑う鏡月も、その約束事を口にする気はないらしい。
「まあ、旦那がお前を見たら、あんな約束するんじゃなかったと、悔やむかもしれんな。本当にミヅキそっくりだ」
「そんなに、似ていますか?」
「律が見たら、固まる位そっくりだ」
オキもさっき、驚きで固まった。
「あの人を女にしたら、きっとこんなだろうと言うくらいだ」
「そうですか……」
いい加減な父親に似ていると言われているのに、なぜか前ほど嫌ではない。
若き日の父親の話を、聞いたせいだろうか。
突然、山を去った理由が、分かったせいだろうか。
何となくほっとした雅が、次に考えなければならないのは、今後どうするか、だった。
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