羨望と、

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「…何で、約束事をする時は小指同士を 引っ掻けるんでしょうか、」 突然の一言。 教室の静かな空気を貫いた声は、 まるで柔らかい真綿のような、 暖かな春の日光を集めたような、 そんな穏やかな声だった。 「…は、?」 彼に予想外の話題を振られた俺は 思わずそんな可笑しな声を漏らした。 隣の席で推理小説を開きながら 空を見ている彼は、窓から差し込む 夕日に当てられ、その端正な横顔が 茜色で美しく縁取られていた。 男用の制服を見なければ、 女子にも間違われそうな彼は端正で とても整った顔立ちをしている。 そんな彼を見て、俺はまるで映画の ワンシーンのようだなとどこか今の風景を客席から俯瞰するように思った。 彼は続ける。 「いや、あの今読んでた小説で恋人達が 指切りするシーンがあったんです、 それで何で小指なんだろうな、って。」 不思議そうにそう言った彼は、 まるで俺に答えを求めるかのように 真っ直ぐと俺を見つめてきた。 ぱっちりと開かれた彼の大きな双眼。 その純粋そうな美しい瞳に真っ直ぐと 見つめられると、何故だか後ろめたい ような気持ちになる。 …小指、か。考えたこともなかったな、 改めて言われれば何故小指なんだろう。 「ちょっと待って、」 彼に向かってそう言った俺は、 スクールバッグから紺色のスマホを 取り出し、素早く検索をかける。 他の奴だったら「知らない」の一言で 片付けてしまうことも、彼に問われると 何か特別な事のように思えるのだ。 自覚はあるが、俺はかなりこいつに 甘いのかもしれない。…まあ、それでも 良いかと思っている自分もいるが。 『指切り 小指 何故 』 で検索すると、 様々な情報が山のように溢れてきた。 俺はどれを選べば良いのかが分からず、 取り敢えず一番上にあった サイトを開く。そこに記載された 情報を俺は読み上げる。 「…えっと、遊女が相愛の客への 誠意の証として本当に小指を切ってて、 それを誓いとしたから、?だって。」 いまいち理解できていないが、 俺は調べた情報を淡々と読み上げる。 ふと横を見ると、彼は不満そうに 紅色の頬を膨らませていた。 「…何、どうしたの。」 俺から出た声は自分でも驚く位に 甘さを含んだ声だった。それはそれは 砂糖を吐いてしまいそうなほど。 不満そうにぷくりと膨らんだ彼の 柔らかそうな頬に俺は手を伸ばし、 ふにふにと指先で遊びながら言うと、 彼の口からぷしゅ、と空気が抜けた。 すると彼は余計不満そうにじとりと俺を睨んだ、…とはいっても迫力はないが。 それを可愛いなと思いながら 眺めていると、彼は俺から目を反らし、 つんと尖らせていた唇を開いた。 「…僕はネットの情報じゃなくて、 先輩の考えが聞きたかったんです。 …先輩さんだったらどう思うのかが。」 彼はいじけたような口調でそう呟いた。 その姿はもう彼が高校生だと言うのに、 まるで小さな子供のようだった。 ああ、そういうことか。 俺はようやく彼の意図を理解した。 彼が俺に質問してくる事はあった。 それは正解を求めるよりも、俺の曖昧で 不安定な答えを求めるようなもの。 俺は答える。 「…そうだなあ、俺だったら、 小指は引く指だからだと思うな。」 「…引く指、?」 彼は不思議そうに首をこてんと傾げた。 先ほどまで俺を睨みつけていた瞳は、 すっかり好奇の瞳に変わっていた。 表情がころころと変わっていく彼は、 見ていて飽きない。今も早く早くと言った様子で見つめてくる彼に思わず頬が緩む。彼の機嫌が悪くなる前に俺は続きを話す。 「小指は、物を持つ時とか 引き寄せる為に必要な指だから、 ほら、運命の糸とか言うじゃん、 だって小指無くなると約束も運命も 結べなくなるでしょ。」 「…運命を引き寄せる、って どういうことです?」 彼はますます分からないと言った ように顔をしかめて言った。まったく、 よくそんな風に表情が変わるもんだ。 彼のそんなところがとても愛らしい。 「あー、縁を結ぶ、とか、 約束を結ぶ、って言うでしょ、 俺は結ぶ為にまずそれを引き合わせる、引き寄せる必要があると思うから、 運も引き寄せるって言うし。」 「なるほど、…僕、そんな事 考えたことも無かったです。」 俺の話を聞いた彼は目を丸くした、 まあ、そりゃ俺の持論だし、こんな変な事誰にも言ったことないしな。 そんな事を思いながら俺は思った ことをそのまま口に出した。 「…そんな事言うなら 何で指切りで小指を使うかとか 考えた事も無かったよ。 お前の着眼点ってやっぱ凄いわ。」 そう言うと、彼は驚いたように目を 丸くした後、すぐ顔を赤くして俯いた。 「…別に、ただ暇だからですよ。」 彼がこうやって俯いている時は、大抵 何かやらかした時か、照れている時だ。 多分、いや今は絶対後者だろう。 彼のバレバレの照れ隠しが可笑しくて、 思わず吹き出してしまった。 ああ、彼はなんて愛おしいんだろう。 「うっあっ、? ちょっと、 先輩、何笑ってるんですかっ、?」 「ふっ、いや、別に笑ってないよ、」 「あっ、もう、今完全に 笑ってるじゃないですかっ、!」 夕陽が、沈んでいく。 こんな幸せな時間も一生は続かない事を示唆するかのように。それでも、 目の前の怒ったように頬を赤らめて いる愛しい彼を、羨ましい彼を、 俺の恋人を、まだ離さずにいたい。 「な、指切りしよう。」 「え、?」 突然の事に驚いたように声を漏らす彼、 そんな彼に俺は小指を差し出す。 「これからも一緒に居られるように。」 「…何言ってんですか、そんなの、 当たり前じゃないですか。」 彼はふわりと優しく微笑む、 その笑顔に俺も思わず微笑んだ。 「ゆーびきーりげーんまん、」 まるで柔らかい真綿のような、 暖かな春の日光を集めたような、 そんな穏やかな、純粋な声。 「うーそつーいたーら、 はーりせーんぼーん飲ーます、」 あんな無邪気な声は俺には出せない、 子どもではなくなってしまったから。 大人を知ってしまったから。 「ゆーびきった、!」 それでも彼のように、 例えそれが子どもの真似事でも、 ただ純粋に願えたものなら。 にかっと歯を見せて笑った彼。 その細い指に俺の指をするりと絡めた。 すると彼はまたもや頬を赤く染めた。 「…帰ろうか。」 「はいっ、」 俺の言葉に元気よく返事をした彼は、 机の横に掛けていたリュックサックを 背負った。俺も自分の鞄を手に取る。 俺は彼を羨んでいる、が彼は自分を 俺よりもずっと劣っていると思っている。 その事実に安堵と満足感を覚えている 自分に吐き気がする、気色悪い、くそ。 これは罪悪感か、自己嫌悪か。 二人で教室を出た、俺の羨望と罪悪感に 濡れた手と彼の無垢な手を繋いだまま。 意図的に引いた出会いでも お前なら許してくれる、よな。
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