終焉

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この世は地獄らしい。 「つまりね、皆さん誤解されてます。皆この世に落とされた天使なんですよ。この世を生きぬき、そしてあの世、つまり天国にいくんです。でね、またこの世で間違いを繰り返した人間はこの世に戻されるという訳です。」 テレビの向こう側で、有名な霊能者が前のめりで話している。その様子を今流行りの若いタレントは、眉間に皺を寄せながらわかったように頷いていた。 「間違いとは、なんかねぇ。」 美憂はひとりごとをいったつもりだった。 「うそつくことー!」すぐ横から返答がくる。四歳になる娘の陽葵が口をとがらせて美憂を見ていた。 「嘘はダメなん?」美憂が聞き返すと、陽葵はしゃがんで絵本をひらくと、頷いて言った。 「うんー、パパがいってたよー。」 「パパが…。」 パパ、つまり将太は、昨日も帰ってきていない。少し前まではきちんと言い訳のメールを寄越していたが、最近はそれすらも無くなり、泊まりがけで居なくなることも多くなった。 残業だと言われたある日、将太のジャケットから有名なレストランの領収書が見つかった。焦る様子で、会食だったと言う将太に美憂は何も言わなかった。 結婚して、地元の愛媛に住もうと約束していたのに、いざ家を買う時になって将太はこう切り出した。 「うちのおかんがさぁ、少し金出してくれるし、千葉に住もうよ。」 将太の母親は将太が実家をでたあと、一人で千葉に住んでいた。働いているわけでもなく自身の両親が残した財産を使って暮らしているのだ。 なかなか癖のある人で、いつまでたっても息子を「しょうちゃん」と呼ぶような人である。 将太の浮気がバレた時も、借金が見つかった時も母親は美憂に電話をするのだった。 「あのね、しょうちゃんがあんなことしちゃうのは、奥さんである美憂ちゃんがいけないんだからね!わかってるよね?」 そんな母親のそばに住むことを拒否する権利など、勿論美憂にはなく。現在、歩いて十分ほどの距離に住んでいる。週に二度は訪ねてきて勝手に台所を使い、陽葵に菓子をたっぷりあたえ、美憂に嫌味を言って帰っていく。 正月や盆に美憂が実家に帰りたいと話せば、「陽葵は置いていってよね。」と釘を刺される。将太に助けを求めても「まぁ、家のかね少しだしてもらってるし、美憂の両親もまだ死んじゃうような歳じゃないだろ。」この悲しい一文で終わってしまう。 美憂の両親は、陽葵を抱いたことは無い。 電話越しで「いつか会いたいわ」と母に言われる度、心が苦しくなる。 勝手に帰ってしまおうかとも考えるが、手持ちの現金がない。働くことは反対され、毎日千円渡される。「飯代」だ。 「つまりね、この世は地獄。あの世は天国。正しい行いをしていれば、天国にいけるんです。」 テレビの音量がぐっと上がったかのように感じるほど、その言葉が美憂の耳を支配する。 「陽葵、地獄じゃなくて、天国に行きたいね。」 「うん、そっちのが、いい!」 美憂の不思議な問いかけに、陽葵は純粋な目を向ける。 「ママ、陽葵とずっと一緒がいい。」 「ひまもだよ」 美憂は愛らしい顔をした陽葵の頭を、灰皿で強く殴った。痙攣して、動かなくなった陽葵にとどめを刺すように、もう一度強く殴りつける。 「天国、いこうね。」 美憂は包丁をとりだして、自身の首を深く切りつけた。 意識が薄くなり、目の前が見えなくなっていく。 血だらけの娘にどうにか手を伸ばす。 この世は、地獄。
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