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「おめでとう あなた」
官製ハガキの中央に堂々としたためられていたのは、十文字にも満たないたったこれだけの文言である。しかし短いながらも流れるような万年筆の青いインクの文字は、味気ない官製ハガキの白に凛と鮮やかに浮かび上がっていた。
気持ち良くほろ酔い気分だった足立洋介は、マンションのポストから取り出したそのハガキを表裏と何度かひっくり返しては交互に眺め、エレベーターが降りてきたのにも気付かずにしばし動けずにいた。宛名は印刷で差出人は書かれていない。これは書かずとも分かるだろうということか。
洋介の心中はまたたく間に灰色の重たい雲に覆われた──と同時に急に思い出したように冬の夜の寒さに身震いして彼はコートの襟を立てた。刺々しささえ感じる美しい筆跡にも万年筆の青いインクにも、当然のように心当たりがある。文字を眺めているだけで憂鬱な気分になった。彼はウィスキーの匂いが交ったため息をふっと漏らした。果たしてこのハガキは何を自分におめでとうと言っているのだろう。もう年を明けて二十日だ。 年賀状というわけでもあるまい。
洋介に今おめでたい事があるとしたらたった一つ。来月に迫った間宮雪乃との結婚である。この青い文字は、二年前に別れた前妻月島瑛子のものに違いなかった。彼女が自分の再婚を祝うわけがない。もしそうだとしたらこのおめでとうの文字には、さぞかしたっぷりの皮肉が込められていることだろう。洋介は腹立たしさと薄気味悪さでハガキを小さく破ったが、破ったもののその場に捨てるわけにもいかずコートのポケットに押し込んだ。
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