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「えーっと。……なんて書けばいい?」
「それを自分で考えるんでしょ」
「やべえ、ぜんっぜん思いつかねー」
唇を突き出して鼻の下にサインペンを挟み、むーん、と考え込む。
「ヘンな顔」
「うるへー」
色紙とにらめっこしながら、和久井は自分の耳たぶを引っ張り始めた。
――あ。真剣に悩んでる。
私は笑いを噛み殺した。
本気で苦悩すると、和久井はこんな風に耳をさわる癖がある。
授業中、彼がまじめに学習に取り組んでいるか否か、離れた席からでも私にはお見通しだった。おそらく本人は自覚していないと思うが。
悩みすぎて梅干しみたいになっている顔を眺めながら、ぼんやり考える。
和久井ももちろん知らないんだろうな。私の下の名前。
興味がないことは覚えなさそうだし……っていうか下手したらこの人、私の名字さえ分かってないんじゃ……。
「――よし、決めた」
サインペンがサラサラと色紙の上を滑る。
『サギヌマ先生ありがとう!』
書き込まれたのは、考え抜いた割にまったくヒネリのないメッセージだった。
「見て。カンペキじゃね?」
「うん……まあいいんじゃない。名前も書かないと」
「あ、そうか」
てへっと笑って、なぜかひらがなで名前を書き始める。
『わくいしゅ』のところでスペースが足りなくなり、隣のメッセージを跨(また)ぐように『んすけ』と書き足した。
「…………」
「何だよその顔。文句あんのかよ」
「きったない字」
「うるせ。いーの。その分ココロがこもってるから」
完成した色紙を、和久井は満足げに眺めている。
窓の外は相変わらず騒がしい。卒業式の余韻と中学生活への名残惜しさで、みんななかなか帰れずにいるのだろう。
「卒業してからだって、会おうと思えばいつでも会えるのにな」
同じことを考えていたのか、和久井が笑いながら言った。
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