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新婦にだけ挨拶をして店を出たが、信号待ちをしている時に、ショールを忘れたことに気が付いた。戻ろうか迷っていると、背の高い人影が走って近付いて来るのが見えた。
「良かった、追い着いた」
「遠宮さん」
「はい、忘れ物」
と、ショールを私の肩にふわりと掛けてくれた。
「ありがとうございます、わざわざ」
「ついでに駅まで送るよ」
「大丈夫ですよ。すぐ近くですから」
「遅いし、茉緒ちゃん酔ってるでしょ」
「そんなでもないですよ」
「ほっぺ赤いよ。寒い?」
と、長い綺麗な指で私の頬に触れる。そんなことされれば、そりゃ赤くもなる。
「い、いえ」
「どっち方面?」
「下りです」
何だか断れないままに、並んで歩き始めた。
「茉緒ちゃん、今日、ピアノ弾いてたよね」
「あ、はい」
「すごく上手だった。教えてたりするの?」
「いえ、趣味で弾いてるだけです」
「そうなんだ?それであんなに弾けるんだね。クラシック?」
「習ってたのは、そうです」
「ジャズとかも弾ける?」
「詳しくはないですけど、メジャーなのなら」
「そうなんだ、いいな。今度聴かせてよ」
「そんな、大した腕では…」
「オレ、楽器って何にも出来ないからさ、すごい憧れる」
「…じゃあ、機会があれば、いつか」
「ホントに?やった。約束ね」
と、遠宮さんは、嬉しそうに笑う。冗談でもこの人に“約束”なんて言われたら、誤解する女の子がいっぱいいそうだ。
駅までは本当に数分で、すぐに着いた。
「電車、すぐ来る?」
「ええと、あと十分くらいです」
「じゃあ、もうちょっとお喋りしよ。茉緒ちゃんて地元?」
「はい」
「この辺、観光するところある?」
「そうですね、一応観光地なので。大きな神社とか、それなりのお寺とか有りますよ」
「オレこっちにいられるの、多分半年くらいなんだけど、まだどこも行ってないんだよね。いいとこ教えて」
「魚が好きなら、港湾に海鮮通りとかありますよ。あとはまあ、滝とか、吊り橋とか」
「空いてる時、案内してくれない?」
「え?」
「地元っ子のお薦め。メシおごるから」
「はあ…」
「あ、電車来たかな」
「あ、はい、ありがとうございました。おやすみなさい」
「うん。気をつけて」
慌ただしく電車に乗ってしまったが、走り出すまで、遠宮さんは見送ってくれた。
思っていたよりもフレンドリーな人で、ピアノ聴きたいとか観光行きたいとか言っていたけど、社交辞令と思っていいだろうか。たまたま一緒に飲む機会があったけど、同じ職場だと知っているかもわからないし、知っていたところで、どうなるものでもないだろう。
久し振りに楽しかったから、それでいいかな、と思いながら、家に帰った。
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