1ー2 恋は海に映る月の道のように

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1ー2 恋は海に映る月の道のように

 アメジスト王国の上空には、城ほどの大きさの大地が浮いている。その大地は守護山と呼ばれ、守護山を起点に国を覆うようにして薄い光の膜が放射状に放たれていた。  その光の膜は太陽の光を浴びて時に七色に輝いている。それは幻想的な光景で、その光こそが守護の証でもあった。国民はその光に祈り、感謝し、あらゆる脅威から守られていると安心しながら日々暮らす事が出来ていた。  白いフードを被った背丈の似た二人が、競い合う様に城の広い廊下を進んでいく。磨き上げられた床は周りの柱を映し出す程で、壁や柱の細工はどこも美しい花や精霊を象った彫刻で飾れている。普通の者なら踏み出す足すら躊躇われる麗美な廊下を我先にと進む姿に、時折通り過ぎる官僚や侍女達は頭を下げ、道を開けていった。 「お前のせいだからな。お前がいつまで経っても起こしに来ないから俺まで遅刻じゃないか!」   この国の結界魔法の礎を築いた生きる伝説のオルフェンは、唯一の弟子であるエーリカを睨めつけながら先を急いだ。弟子のピンクブロンドのカールがかった長い髪が踊る様に跳ねながら付いてくる。 「それは師匠が昨晩眠くないってだだをこねるからですよ! 付き合わされた私もくたくたなんですからね! 第一、毎朝私に起こさせようとするのが間違っているんです!」  たまたま話が聞こえてしまったらしい警備の兵士はぎょっとしたが、もちろん顔には出さずに二人の到着を待って扉を押し開いた。  扉の先には小さな空間があり、そこで行き止まり。真っ白い壁に真っ白い床。天井は開き、この国を包む優しい光が波打ちながら輝いて見えていた。 「やはり弱まっていますね」  じろりと視線を向けてくるオルフェンの黒い瞳に威嚇され、エーリカは押し黙った。余計な事を口にしてしまった自覚はある。長い白のマントから覗く武骨な手が前で重ねられると、それに習いエーリカもまた、前で手を重ねた。オルフェンが異国の古代の言葉の詠唱し、指で床に向かって文字とマークを描くと、二人の足元にあった円が反応し、光の輪が出来始める。輪は一瞬にして強い光を放ち二人を包み込んでいき、次の瞬間にはすでに別の部屋に立っていた。今度は扉はない。出入り口の開いた先の広場には、両陛下を始めとしたこの国の重鎮達が、最後の結界魔術師達の到着を首を長くして待っていた。  半年に一度、国を包む守護魔法は張り直される。広間の中央には台座があり、その上には見上げる程高く、大人が腕を広げても届かない程に太いルートアメジストが置かれていた。  薄紫色の表面に、深部は濃い紫の美しい守護石の周りを囲むのは、ルートアメジストに選ばれた四人の結界魔術師達。その石の名をそのまま名前として名乗る事が許された選ばれし者達だった。  オルフェンは十段ほどある台座の階段を上がると、先に待っていた同じ結界魔術師達に頷き、右手で薄紫に輝くルートアメジストに触れた。それに倣って他の結界魔術師達も触れていく。同時にそれぞれ保護を意味する文字とマークを描くと、やがて薄紫色に輝いていたルートアメジストの中に、金色の筋が幾つもの入り始める。そのあと、赤、青、緑と更に線が入っていき、意志があるように動き回ったあと、上下に飛び出していった。勢いで被っていたオルフェンのフードが外れる。肩まである黒髪の房が零れ、そこから覗く筋の通った鼻梁と、覗く漆黒の双眸が一瞬苛立たしげに揺れたが、それに気付く者はいなかった。弟子のエーリカ以外は。  この国に純粋な黒髪も黒い瞳もいない。限りなく黒に近い色でも黒ではない。濃紺や少し灰色がかった黒色でさえ、珍しがられるのだった。オルフェンがどこの国の生まれなのか、幼い頃に聞いた事はある。その度にいつもはぐらかされていたし、物心ついた時から今に至るまで変わらないその姿は見慣れたものだったので、もはや珍しくはない。エーリカは僅かに乱れたオルフェンの魔力を感じながらも、階段を降りながら気付かれない様に視線を巡らした。  国王両陛下と、侯爵で宰相の任に就いている父親とその補佐をしている三つ上の兄を見つける。父親は一瞬嬉しそうな顔をしたが、それには目もくれず更に視線を動かした。 ーーごめんなさい、お父様。でも探しているのはお父様達ではないの。  そう思いながら今日は来ていないのかと諦めかけた時、人々から少し離れた出入り口の近くでその姿を見つけた。詰め襟の黒い騎士団の制服に、肩には騎士団である鷹の紋章をつけている。見間違える訳がない。他の者達より頭一つ分高い背に、ラピスラズリの青を閉じ込めたような、少し硬そうな青い髪。周りを警戒する様に動かしていた視線がこちらに向く。髪の色よりも少し薄い青い瞳と瞳がかち合った気がした。  見間違えるはずがない。アメジスト王国の第一王子クラウスだった。歩いている間にもどんどん距離は縮まり、心臓の音が激しさを増していく。エーリカは瞳をそらして以降顔を上げることが出来なくなったまま歩き続けた。急に前の背中が止まり、盛大にぶつかる。オルフェンは小さく舌打ちしたが、それはエーリカにしか聞こえないくらいのものだった。オルフェンは国王陛下の前で止まると軽く頭を下げた。本来は膝を折って最敬礼をするべき相手だが、オルフェンだけはそれをする必要はない。何より国王陛下がそれを望んでいないからだ。 「オルフェン、我が友よ。万事上手く行ったようだな」  齢五十を越えても今だ現役で戦地に赴けるほどに鍛えた体を前に、オルフェンは子供のようだった。しかし年齢不詳の容姿を持つオルフェンは意地悪く笑ってみせた。 「失敗する訳がありませんよ。僕達がかけているんですから」  オルフェンの後ろに膝をついていたエーリカ達は気恥ずかしさを感じながらも顔には出さずに深く頭を下げた。 「優秀なのだな、今の結界魔術師達は。実に頼もしい事だ」 「ただ今より強固な結界にしたいので、後程ご相談に伺っても?」  貴族も集まる大事な儀式の手前、オルフェンなりに丁寧に話しているであろう会話を聞いていると、吹き出したいのを必死で堪えた。 「オルフェン殿、勝手を申されるな。直に面会の申し出など……」 「よいよい! ヨシアスは本当に堅い奴だな。オルフェンと私との仲だ。後で執務室へ来い」  オルフェンは外面用の笑みを浮かべるとフードを戻して歩き出した。エーリカは国王の後ろに立って渋い顔をしている父親のヨシアスに笑顔を送ると、オルフェンの後に続いた。  出口にはクラウスが立っている。実際に地上への転送魔法を発動させるのは魔術団の仕事だが、その周囲を警備する姿は惚れ惚れするくらい素敵だった。しかし見られているかもしれないと思うと顔が上げられない。その時、自分のマントの裾を踏んでしまい、大きく体制を崩してしまった。しかし大恥をかくことも痛みもなく、体は誰かに支えられていた。 「大丈夫ですか? 魔術師様?」  顔が上げられない。声の主は分かっている。クラウスが自分の体を支えている思うと信じられずに固まってしまった。 「魔術師様? どこかお怪我でも?」 「い、え……」  意を決して顔を上げようとした時、思いきりクラウスの腕の中から引き離された。 「大丈夫ですよ、こんくらいで怪我なんてしませんから。うちのがご迷惑をお掛けしてすみません」  首根っこを掴まれたまま転送魔法陣の上に連れて行かれる。クラウスの顔を見る事も、お礼を言う事も出来ないまま、エーリカは放たれた光に飲まれて地上に戻ってしまっていた。 「師匠! 何てことするんですか師匠!」  エーリカは声をかけても止まらないオルフェンの背中目がけて手を伸ばした。マントを摑んで引き止めると、再びフードが外れる。中から現れたのは盛大に不機嫌な顔だった。美しい顔が歪むとそれはそれで大層恐ろしい。すぐ後から来た結界魔術師である火の魔術師ルーと水の魔術師のハンナは、またかと苦笑いを浮かべながらそれぞれの持ち場へと戻って行く。  結界魔術師は普段はそれぞれ、魔術団の中で細分化された部署で働いている。別れた二人はそれぞれ火と水の力を主とする魔術を扱う部署の責任者でもあった。オルフェンは全魔術師の長でもありながら、土の魔術の部署の責任者でもある。その為、当然弟子のエーリカも土の魔術を扱う部署に属していた。更にルートアメジストに選ばれた者達は結界魔術師としても働いているので、仕事量は他の魔術師達よりも多いものだった。 「いい加減に離せ。この馬鹿力弟子!」 「せっかくクラウス様とお話出来そうだったのに師匠の馬鹿!」 「話すも何も固まっていただろう。俺は助けてやったんだぞ、お礼を言われる事はあっても馬鹿扱いされる謂れはない」  もっともな正論に押し黙ると、オルフェンはふっと笑い頭を抱え込んできた。 「飛び起きてすぐ上に行ったから腹が減ったな。何か食おう」  エーリカはまだ納得はしていないものの、確かに感じる空腹に負けてオルフェンに付き従った。  クラウスは自らも下に降りた途端、目に入った二つの白いマントを目で追い、消えた廊下の先を見つめていた。 「オルフェン様もあんな顔をされるのですね」 「あんな顔とは?」  後ろに付き従っていた騎士団副隊長補佐のフーゴは赤味がかった瞳を開いて興味深いものを見る様に唸っていた。クラウスより背の低いフーゴは人懐っこい笑みを向けて見上げてきた。 「楽しそうな? 顔ですよ。だって結界魔術師のオルフェンといえば、常にマントを被り、素顔を滅多に見せないじゃないですか。それにたまにマントを取ればあの容姿ですよ! 笑わない、表情を崩さない、おまけに年齢不詳。不思議過ぎてにわかには信じられない噂が幾つもありますよ」  騎士団は少数精鋭。同じ騎士団寮で食事と寝泊まりをし、共に訓練をし、命を預け合う生活をしているせいか、たまに王子という身分を忘れられていると感じられる程の軽口に苦笑いしながら、クラウスもオルフェンの事を思い出していた。  確かにオルフェンは謎が多過ぎる。物心ついた時にはすでにあの地位にいたし、国王にも特別扱いをされる程の魔力を持っている稀有な者。そのオルフェンが初めて弟子を取ったのが、エーリカ・ルートアメジストだった。 「エーリカ嬢はオルフェン殿のお気に入りのようだな」 「あぁ、あの二人はもう夫婦のようなもんじゃないですか?」  クラウスは歩き始めた足を止めて怪訝そうにフーゴを見た。 「それも噂の一つなのか?」 「まぁそうですね」 「それはエーリカ嬢を侮辱する噂だろう」 「そうですか? エーリカ様は侯爵家の出とはいえ、もう魔術団の方なのですから一般の貴族令嬢の枠には当てはまりませんよ。だから貞操を守らなくても……」 「やめておけ。誰が聞いているか分からない」 「でも有名な話じゃないですか、魔術を使うと体が昂るって」 「フーゴ、それ以上は許さないぞ」  フーゴは納得していないような、楽しげな間延びした返事をした。確かに魔術団に入れば貴族のしがらみから開放される。厳密には貴族より特別な存在となるのだ。入団時に誓約魔法をかけ、あらゆるしがらみを受け入れると共に、魔術師という独立した権力を持つ事になる。エーリカは魔力が強い故に幼い頃に家族から切り離され、魔術団に入れられた。だから魔術の才を伸ばす為の教育に追われ、普通の貴族令嬢が行う作法はほとんど習ってはいないだろう。 ーー本来受けるはずだった王妃教育も。  エーリカは魔術団に入るまでは第一王子クラウスの婚約者だった。侯爵、伯爵家令嬢の中から選ばれた政略結婚だったが、幼いながらにクラウスも受け入れていた。いつかあの子が妻になる。そう信じて疑わなかった。エーリカの魔力が暴走するまでは。 「副隊長? どうかしましたか?」 「何でもない。戦争でもない限り魔術団とは関わりがないからな。毎回の事だが、今朝みたいに力を目の当たりにしても別世界の話のようだ」  空を覆う美しい結界に目を細めると、隣りでなんと言っていいのか分からない様子で押し黙るフーゴの背中を軽く叩くと歩き出した。  王族には少なからず魔力がある。しかし自分にはそれがない。魔力の欠片も感じる事が出来ない事に苛立ちと焦燥を感じていた時期もあった。しかしそれはもう過ぎ去った事で、今は騎士として実力を付けられた事が誇らしくある。騎士としての力があれば、魔力がなくとも十分に戦える。人には向き不向きがあり、どんなものでも全ては個性なのだと教えてくれたのは、国王である養父と、騎士団隊長のルドルフだった。  国王は本当の父親ではない。ずっと王妃との間に子を授からなかったが、側室をとる事を先王の行いを理由に拒否した為、兄夫婦から養子として出されたのが自分だった。そして念願の実子が生まれても、両陛下は我が子のように接してくれた。甘やかされてはいないが大事にされているとは思う。だから魔力がなくとも腐らずにやってこれたのだ。先を走り、無邪気に振り向いたフーゴに目を細めた。 「副隊長ーー! たまには王城の食堂に行きましょうよ」
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