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その頃。
蒼摩は、自室で至心にヴァイオリンを弾いていた。幼い頃から続けている、唯一の趣味であり習い事である。
ヴァイオリンの音色は、人の声に似るというが…
その理の如く、蒼摩が奏でる旋律は、言葉よりも雄弁に、彼の心の裡を語っていた。この小さな木製の弦楽器は、蒼摩にとって魔法そのものである。
他にも、ピアノやフルートなどを習ってみたが、どの楽器も、ここまで彼を燃え立たせてはくれなかった。無口な蒼摩にとって、ヴァイオリンだけが、行き場のない感情を昇華し、外へと開放してくれる唯一の手段だったのである。
練習用の電子ヴァイオリンにヘッドフォンを繋いで、今日も蒼摩は、無心に弓を滑らせている。難しい顔で睨みつけている楽譜は、『ローデの練習曲24のカプリース 11番』だ。
ジュニアコンクールの課題曲であるが、音楽学校の入試にも使用されるレベルとあって、12歳の少年には難題である。小さな手では、まだ上手く弦を押える事が出来ず、少年は苦戦を強いられていた。
焦燥と葛藤。
時間を忘れ、我を忘れて、ひたすら練習にのめり込む。
──と、そこへ。
不意に、ほとほとと部屋の扉が叩かれた。
「蒼摩、いるんだろう? 出て来なさい。」
だが、ノイズキャンセリングで遮断された蒼摩の耳に、その声は届かない。
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