第一話 水ノ記憶

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「困った奴だ。僕が厳しく言ってやろう。」 「あなた…」  夫を(たしな)る様に穂香は言う。 「あまり強く叱らないであげて。あの子も複雑な時期なんです。」 「反抗期、か。それなら尚の事だ。いつまでも我儘を許してはおけない。あの子は、姫宮の跡取りだ。そろそろ自覚してもらわないとな。」  眉間に深い縦皺を刻んで、庸一郎は歩き始める。 蒼摩とは、暫く話をしていない。 このところ忙しくて、特別な用向きが無い限り、息子達と会話する事は殆ど無かった。  だが決して、子供たちに無関心なのではない。特に蒼摩については、親として心配もしている。そのくせ、難しい年頃の息子と、どう向き合えば良いのか解らなかった。  姫宮家の長男──蒼摩は、幼い時分から、強く自己主張して来ない子供であった。聞き分けも良く、極めて品行方正である。生まれ持っての才能も感じられて、親としても不満は無い。  唯一の欠点と言えば、子供らしい愛嬌というものが、微塵も感じられない点である。 いつも何処か悟り切った様な顔で、淡々と諸事をこなす蒼摩。庸一郎にとっては自慢の息子だったが、それだけに期待も大きく、つい多くを求めてしまう。 もう少し愛想が好ければ… もう少し社交的であれば… 彼の才能は、十二分に活かせるはずだ──だが。反抗的とも無気力とも取れる蒼摩の態度が、庸一郎を不安にさせる。
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