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少し遅れて清之介が番傘を片手に宿に戻り、玄関前の帳場を通ると、宿の主人が新聞を広げていた。
「傘、ありがとうございます」
「いいえ。それより会えましたか。今度は目的があって来たのでしょう」
清之介は雪を払い、傘を玄関脇に置くと宿の主人を振り返った。
「私のこと、覚えていましたか」
「ええ。宿帳を見て思い出しました。前にお二人で来たのが珍しかったものですから。あの時はてっきりご姉弟で亡くなった両親にでも会いにきたものだと思いました。ここはそういうお客さんが多いところですから」
清之介は静かに微笑んだ。
「昔から、この辺の土地の川は三途の川と繋がっている、なんて言い伝えがあるもので。川の向こうの白く見える山はあの世の世界が広がっている、とね。死に別れた人と今一度会いたいと願って、遠くから川岸のお寺を訪ねてくる方も多いんです。口寄せで話をしたとか、夢枕で会えたとか、いまだ会えず毎年来る方もいらっしゃいます。貴方は会えましたか」
清之介は袂から、雪に濡れた赤い椿の花を取り出し、うつむき見つめた。
一雫の涙が、赤い花びらにおちる。
「ええ、会えました」
婚礼を挙げて一年とすこしで病で亡くなった妻に。
いつも人のことを子供扱いしていた愛する人に。
病の床で、逝かないでくれと懇願し泣く自分の涙を指で拭き、最期まで微笑んでいた小夜子に。
「……会えました」
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