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二階にある私の部屋、南向きの窓、冬の日差しが入り込む薄いレースカーテンの隙間。はっと見ひらいたその瞳で、湊は寄り添い合う彼氏彼女を見下ろしていた。ネイビーの袖からすらりと伸びた白い指先を愛おしげに絡めとり、彼氏は――私のお兄ちゃんは幸福そうに眼差しを和らげた。弾む声音は私たちにまで届かなかったけれど、やわく白んだ息遣いがお兄ちゃんたちの親密さを示していた。お兄ちゃんは窓越しの私たちに気付いていない。だから、彼女の頬を骨っぽい手のひらで包んで、引き寄せて、目を瞑って。
湊がぎゅっと目を瞑った。繊細な睫毛は小刻みにふるえていた。それを目の当たりにした私の、むすんだくちびるも小さくふるえていたはずだ。湊が身じろぐ音が聞こえた。湊が息を吸う音が聞こえた。湊が、――そっと涙をこぼしたのに気付いた。
はっ、と私を見た湊の眼差しがゆがむ。怯えたような表情で私をしばし見つめたのちに、まるで懺悔をする罪人のような声音で言った。
「美月……。変だって分かってるけど、おかしいって分かってるけど、気持ち悪いって分かってるけど、俺は、」
声は、肝心な言葉を言う寸前で立ち消えた。だけど私は知っていた。だって、私の眼差しはずっと湊のことを追っていたから。
「変じゃないよ。おかしくないよ。気持ち悪くないよ」
私は慎重に手を伸ばした。湊の長い睫毛のそばで、おののくようにたたずむ涙をすくいとる。
変だって思うわけがない。おかしいって思うわけがない。まして、気持ち悪いだなんて思うわけがない。ただ、苦しいってそれだけだよ。だって、私は――
重なり合う眼差しが互いの切なさを交錯させる。苦しい、って気持ちが通じ合った。湊は私の苦しさの理由を知らないけれど、でも確かに、そのとき。
途端に、湊の眦に触れた私の指先が意識された。
夕弦、と消えそうに頼りない声で湊がうめく。目を瞑ったのは、たぶん私の方がほんの少し先だった。切れ長の二重まぶたはお兄ちゃんと同じだよ。むすんだくちびるの薄さも、おそらくは。
湊の学ランからシトラスの匂いが香る。私のセーラー服からも、シャボンの匂いがきっと湊に届いた。
誘われるように、惑わされるように、湊は私のくちびるに自分のそれを合わせた。合わさった瞬間に、湊は私の肩を掴んで引きはがした。
「……ごめん」
後退って、眉根を寄せて、瞳をふるわせて、肩もふるわせて。
「ほんとに、ごめん!」
湊が自分を責める表情をするから、私は気軽なふうに笑うしかなかった。
「なんか……えと、当たっちゃったね? こんなの……ほら、事故! ぜんっぜん気にしないから、湊もさっさと忘れて」
「でも、」
「ほら、宿題の続き!」
私がシャーペンを握ってプリントにむかえば、湊もためらいながらシャーペンを握った。その後も全然気にしていないふりを続けたら、湊の態度も数日後にはまったく元通りになった。さっさと忘れて、と私が言った通り、湊はもう忘れちゃっているのかもしれない。
でも、私はずっと覚えている。今日までずっと、あの日のキスを覚えている。
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