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2 そもそもの話
そもそもこんなはずではなかったのだ。
年末の十二月三十日から年明けの一月二日まで、本当ならば天音とふたりきりのはずだったのだから。
寮生のほとんどが年末年始に帰省する中、昴は寮に残ることにした。両親がペア宿泊旅行の懸賞に当選し、実家が留守になるからだ。天音が実家に帰らないタイプで、正月も寮で過ごすことになっていたのが当然ながら最大の理由ではあるのだが。
そんな中、寮の管理と食事を世話する寮監夫婦が老齢の親のために実家で新年を迎えることになった。寮監や学生たちが帰省先から戻り始める一月三日の朝まで、広い寮の中で天音とふたりきりで過ごせると確信した昴は、心の中でガッツポーズした。昴だけではない。天音だって意味深な視線で、はにかみながら昴を見つめていた、はずだった。
天音とそういう意味でベッドを共にしたのは夏季休暇が最後だった。
その時もなんだかんだ理由をつけて寮に残った昴は、初めて天音を抱いた。
互いの思いを確認し合い、熱烈なキスを交わすようになったのはもっと以前のことだった。だから、寮に残っている学生の存在を気にしながら、それまで我慢した分の欲望のたがが外れたかのように、互いに堪えきれない声を懸命に抑え、何度も我を失うほどに夢中になって貪り合った。
あの時覚えた天音の肌の熱や手触り、声の響き、におい、舌先で感じる味わいと、肉体に収まった時の彼の締めつけ具合は得も言われぬ快感を昴にもたらし、平たくいえばぶっ飛びそうなほど最高に気持ち良くて、その後思い返すだけでいくらでも夢見心地になれた。
しかしそれ以降、こっそりキスをしたり、互いの手でいかせ合ったりしたことはあれど、一度も身体を繋げていない。
理由は人目を気にしたからというだけではない。天音の身体のダメージが予想していた以上に大きくて、翌日以降の練習に支障をきたしてしまったからだった。
だから、オフシーズンの、誰もいないこの年末年始こそ、気が済むまで――いや、そんな境地に至れることなどけっしてないだろうけれど――天音を抱こう、彼が音を上げるまで悶えさせ、誰にも遠慮せずに声を上げさせ、欲望のまま愛情を交わし合おう。そう強く心に決めていたのだった。
そんな昴の願望が無情にも打ち崩されたのは、三十日の夜のことだ。
自分たち以外の寮生全員と寮監夫妻が出かけていき、ようやくふたりきりになれた、どことなく照れ臭い空気の中で天音と視線を合わせた時、天音のスマートフォンが鳴り始めたのだ。
新藤優馬のことはもちろん昴も知っていた。同じ野球部の同級生というそれ以上でも以下でもない関係性だが、自分よりもずっと成績の良いスラッガータイプの外野手である新藤は、才能とは裏腹に一見淡泊にも見える練習態度、先輩や監督、コーチたちにも遠慮のない話しっぷり、何より部員の中でもひと際がっしりとした大柄な体躯で、とにかく入部の時から目立っていた。
そのうえ高校時代からのチームメイトである天音とは親密な様子をしばしば見せるのだから、嫌でも目についたのだ。
新藤は寮に入らず近くの学生向けマンションでひとり暮らしをしており、野球部の練習がない時期にはアルバイトをしたり夜遊びをしたりと、大学生活を満喫しているのもなんとなく鼻についた。
その新藤から「マンションの鍵をどこかで落とした。友人は皆帰省してしまったから、寮に泊めてほしい」と天音に電話がかかってきたのが三十日の夜だ。
日付が変わる直前に訪れた新藤は、アルバイト先のコンビニエンスストアでもらったという弁当や総菜、酒やつまみを両手いっぱいに持っていた。
昴にとって新藤は迷惑な来訪者でしかないのだが、寮監夫妻がいない間の食料を無料で手に入れることができるのは、認めるのは悔しいけれどもありがたいことだった。
三人は就寝時を除いて天音の部屋で過ごした。部員といえど寮外生を無関係の部屋に泊めるわけにもいかないから、新藤は天音のルームメイトのベッドで眠り、昴は暖房の切られた自室で冷たい布団に丸まった。絶対にそんなことはないと信じつつも、天音の部屋でふたりがどんな風に夜を過ごしているのかを想像しては寝返りを打って気を紛らわせた。
大晦日、新藤は「疲れているから」と天音の部屋で昼過ぎまで眠り、午後からコンビニのアルバイトに出かけた。ようやくふたりきりになれたと言えども、何時間かすればあの男がまた戻ってくるのだと思うと事に及ぶ気持ちも萎え、そうこうするうちにふたりだけの空間に気が緩み、前夜ほとんど眠れなかったのもあって天音のこたつでうたた寝をしてしまった。
日が暮れてずいぶん経った頃ようやく目が覚め、同じ頃に「早く上がれた」と新藤が帰ってきた。両手には前日と同様に大量の弁当と酒を携えていた。
三人でこたつを囲み、蕎麦のカップ麺を食べ、やけに賑やかなテレビ番組を見ながら年を越した。
明け方までとりとめのないことをしゃべりながらだらだらと酒を飲み、窓の外が白み始めた頃それぞれ寝床についた。
元日の昼間は新藤の提案で近所の神社へ出向いた。当然昴は気が進まなかったが、案外乗り気の天音を新藤とふたりで出かけさせるのも癪なので一緒に出かけた。寮に戻ると再び天音の部屋でテレビをつけ、弁当を食べ、酒を飲んだ。新藤は「今日はシフト入ってないから」と出かける様子がなかった。
救いようがないほど無意味な元日がそうやって過ぎていった。
そしてまた同じようにうんざりとしながら、昴は一月二日の朝を静かで冷たいベッドの中でひとり寂しく迎えたのだった。
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