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1 こんなはずでは
新年早々、光城昴は不機嫌だった。
何故ならば、こんな風に正月を過ごしているはずではなかったからだ。
今頃は熱い時間を欲望のままに、たったふたりきりで過ごしていたはずなのに。
だというのに当の相手、柿坂天音といったら、そんな昴の気も知らずといった様子で、穏やかな笑顔を昴ではない別の男に向けている。
昴はじっと正面を見据える。
大学野球部の部員が暮らす寮の、狭い個室に置かれたテレビの前に、床のほとんどを占めるようにこたつが鎮座している。テレビと昴の間では、そのこたつに窮屈そうに下半身を突っ込んだふたりの男が画面に向かって声援を送っている。
そのうちの天音ではない方をこっそりと睨みつけ、昴は心の中だけで罵言を吐く。
ふたりきりだったはずなのに、なんでお前なんかがここにいるんだ。
この三日ほど、事あるごとに思い浮かべては声に出せない言葉をするめとともに奥歯で噛み締める。
「おっ、すげえ!」
男が画面に向かって大きな声を出す。先ほどからずっとこんな感じだ。
テレビ画面の中では黄緑色の芝の上で、真冬だというのに半袖半パンに身を包んだ屈強な男たちが楕円球を追いかけながら、その肉体をぶつけ合っている。
その男たちに負けないほど体格の良い男、新藤優馬は先ほどから大学ラグビーの生中継にすっかり熱くなっている。
正月真っ只中の一月二日に、なんでこんな状況で、興味のない番組を、興味のない相手とともに観なくてはならないのだ。昴は今度はハイボールとともにその言葉を喉の奥に流し込み、息継ぎのふりをして大きく溜め息をついた。
何が腹立つって……。
「あいつラグビー部に移って正解だったよな、なあ天音」
新藤の言葉に天音が微笑み、頷きながら柔らかい視線を返している。
マウンドで笑みを零せば観客席から黄色い声が聞こえてくる天音の顔立ちは、部員の間でも一目置かれるほどには整っている。
周囲を魅了してやまないその表情を、自分ひとりが思うがままに独占していたはずなのに。どうしてこんなことに。
昴は目を逸らし、グラスにウィスキーを注ぐ。これが何杯目なのかはもう覚えていない。
昴と野球部の同期であるふたりがラグビーの中継を熱心に観ているのには訳があった。天音と新藤は同じ高校の野球部出身で、在学中にその野球部からラグビー部へ転向した元チームメイトがこの試合に出場しているからだ。当然その男と昴にはなんの面識もない。
ふたりを見る自分の目がじとっと、恨めしげというか陰湿というか、拗ねた子供じみているだろうことは鏡を見るまでもなく自覚できる。
野球部でエースと呼ばれる天音は新藤ほど馬鹿でかくはないにしろ身長が高く、テレビからもっとも遠い位置に座る昴からすれば、目の前に大きな山がふたつ立ちはだかっているような圧迫感を与えられている。
幸いふたりともテレビの中で起きる身体のぶつけ合いにすっかり夢中で、昴のいじましい視線に気づく様子はない。昴に後頭部を向けたまま、時々ふたりで顔を見合わせて「すごいな」とか「やべえ」とか笑い合っていて、もうひとりの存在などすっかり忘れているようにも見えてくる。
「おっしゃ、ターンオーバー!」
小さなこたつの中に両脚を突っ込んだまま、新藤がガッツポーズをする。同時にこたつの上の空き瓶やグラスがガチャンと不快な音を立てる。
「危ないって、優馬」
笑いながら天音が制する。
優馬、と新藤のことを名前で呼ぶ。ただそれだけの、どうってことない事柄さえ昴の心にさざなみを立てる。
「おー! トライ! コンバージョン決めれば逆転じゃん」
新藤と天音が満面の笑みで視線を絡め合わせ、片手でハイタッチをした。再びガラス類がぶつかって音を立てる。テレビから聞こえる歓声もひと際大きくなった。
新藤だけではなく天音までもが、瞳をキラキラとさせ、頬を紅潮させている。
普段は物静かな天音がいつになく興奮していることが、その横顔から伝わってくる。
「氷取ってくる」
昴は小声で呟くと、こたつから脚を抜いた。
立ち上がる直前に天音がちらりと振り返って「うん」と答えてくれた。
その表情を――自分以外の誰かと自分以外の事柄に夢中になって高揚する、天音のその顔を見る勇気が出なくて、昴は逃げるように廊下へ向かった。
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