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大陸南方、コシナ王国コロンボ郡ドリオ村では、多数の冒険者たちが酒場に集っていた。
ドリオ村近郊のフォリエ川で大暴れしていた末に、冒険者ギルドから討伐依頼を出され、しかし神獣にも近いと言われるその強大さから、6パーティー合同での大規模戦闘を組まれた大海龍ザカリア。
その大海龍討伐を成し遂げた冒険者たちが、祝杯を上げるために酒場に集まっているのだ。
戦闘の中心に立っていたパーティー、『鼬』のリーダーである重装兵バルトロ・デュランが、エールで満たされた木製のジョッキを手にして声を張り上げる。
「それじゃあ、皆さんジョッキは手に持っていますかー?」
「「おぉーっ!」」
酒場に集っていた冒険者たちが一斉に声を返した。その返事を聞いて笑みを浮かべたバルトロが、大きな声を発した。
「よし、それでは、大海龍討伐の大規模戦闘大成功を祝して、かんぱーい!!」
「「かんぱーい!!」」
乾杯の発声に、次々に木製のジョッキが掲げられる。そのジョッキが次々に持ち上がる中、困惑した様子できょろきょろと辺りを見ている人物がいた。
『鼬』に所属するチェーザレ・アルトだ。年若い斥候の彼は、しかし大海龍にトドメを刺したその本人でもある。
困った様子でジョッキを両手で持つチェーザレの肩を、隣に立っていた『鼬』の治癒師、ドミツィアーナ・バンビアンコがつつく。
「かんぱーい! ほらチェーザレ、何してんの」
「えっあっ、か、かんぱーい!」
ドミツィアーナに促されて、ようやくチェーザレもジョッキを掲げた。その様子に小さく笑みを見せながら、上半身に包帯を巻いた隻腕の男が体を揺らしながらチェーザレの肩を抱く。彼の仲間、『鼬』の戦士であるルカ・バッソだ。
「いやぁ、やるじゃないかチェーザレ。まさかお前が大海龍にトドメを刺すことになるとはな!」
「本当よ。斥候の貴方からしたら人生最大級の首級だわ」
「い、いやあ、そんな。たまたまだよ」
ドミツィアーナも一緒になって、チェーザレに祝辞をかける。それに対してますます困惑しながら返すチェーザレだ。
だが、チェーザレの内心はちっとも穏やかではなかった。何しろ、そこにいるチェーザレはチェーザレ本人ではないのだ。
「(い、言えぬ……!)」
そう内申で零しながら冷や汗を垂らしているのは、誰あろう、大規模戦闘で討伐対象になっていた、大海龍ザカリア本人なのだ。
あの瞬間チェーザレと交錯し、紆余曲折あった後、ザカリアは人間に化けるスキル「人化転身」を用い、チェーザレを装って仲間たちに合流した。当然生きている。
それが今、ザカリアを討伐することに成功したという判定をくだされて、祝宴を上げているのは、人化転身するにあたってザカリアが自分の身体のあちこちを切り落とし、素材を残したからだ。その素材があるからこそ、冒険者ギルドに討伐したという証拠も渡せたのである。
「でもさ、運が良かったよね。あの時ルカがチェーザレを投げ飛ばさなかったら、そのまま波に飲まれていたでしょ」
「う、うん。ルカのおかげだ……僕の代わりに……」
「鼬」の付与術士、パオラ・アルビノーニがわき腹をつつきながら言うと、ザカリアはつつかれたわき腹をかばうような仕草を見せながら言った。その視線は自分の隣にいて、片腕でチェーザレの姿をしたザカリアの首を抱きながら、木のジョッキに口を付けるルカに向けられている。
先程の大規模戦闘で、ルカは腕と武器を失ったのだ。ザカリアが最後のあがきにと放った大波に飲まれそうになったチェーザレを、すんでのところで掴み上げて放ったルカ。その腕が刃のようになった水で吹き飛ばされたのだ。
高位の治癒士なら、失われた肉体の一部を復元することも出来る。しかしその為には長い時間、魔法をかけ続けなければならないのだ。戦場で止血をするので精一杯だ。
しかし、ルカは笑っていた。豪快にジョッキの中のエールを飲み干し、自分の腕を切り飛ばすに至ったザカリアに笑いかける。
「なぁに、気にすんな。腕こそ吹き飛んだが、命はあるんだ」
「本当よ。パオラの付与もあってのことなんだから、チェーザレが気にすることはないわ」
パオラの方に顔を向けてドミツィアーナが笑う。彼女と一緒にからからと笑うルカを見て、ふとザカリアは申し訳ない表情をした。
「(いや、本当にすまないルカ……あの時我が放った波がまさかあんなことになるとは)」
戦士にとって利き腕と武器は命にも代えがたい大事なものだ。それを切り刻んで粉々にした相手が、仲間を装って目の前にいる、と知ったら、ルカはどうするだろうか。
怒った末に、無事な方の左手で殴ってくるかもしれない。あるいは縊り殺されても文句は言えないだろう。
なんとも言えない面持ちのザカリアを見て、ルカがおやという表情になる。そのまま、彼はチェーザレの名を呼んできた。
「おいチェーザレ、どうしたんだ」
「え、い、いやあ」
名を呼ばれ、思わずザカリアは片手を振った。さすがに今の視線は不自然だったか。ごまかし笑いをするザカリアの小さな肩を、ルカが空になったジョッキの底でとんと叩く。
「誇っていいさ、お前が動いたからこそ、今回の大規模戦闘は成功したんだ。おめでとう」
「え、あ……」
その言葉に、明らかにまごつくザカリアだ。
「(おめでとう……か)」
おめでとうなんて言葉、自分がかけられるには値しない。それは自分の腹の中に収まってしまったチェーザレに、あるいは目の前にいるルカやバルトロたちに、自分からかけるような言葉だ。
だからザカリアは視線を落としながら、ポツリと返した。
「いや、その言葉は……僕には重い」
「うん?」
その言葉に、ますます不思議そうな顔をしてルカが声を漏らす。ドミツィアーナも、パオラも、首を傾げながらザカリアを見た。
なんとか言葉を吐き出しながら、ザカリアは彼の思う真実を呟くように言う。
「僕だけが言われるべき言葉じゃないよ、それは……ルカにも、パオラにも、ドミツィアーナにも、バルトロにも……他の皆にも、おめでとう、は言われるべきだ」
ザカリアの言葉に、四人の仲間が一様に目をパチクリとさせた。そして小さく笑ったバルトロが、ザカリアへと頷く。
「そうか、確かにそうだな」
「あーっ、そう言えばバルトロ、あんたさっきの挨拶で『おめでとう』言わなかったでしょ!」
「そうだぞ、お前いちばん大事な言葉を忘れやがって」
ドミツィアーナが文句を言えば、ルカも口を尖らせながらパーティーのリーダーへとツッコミを入れた。
そのまま自分の目の前でやいのやいのとバルトロに文句を言い始める仲間たちを見て、ザカリアの胸の奥がチクリと痛む。
「(本当にそうなのだ……そして我は『おめでとう』を言われるべき立場にはないのだ。それはチェーザレが)」
自分が言われるべきではなく、チェーザレが言われるべき言葉を、自分がかけられる。それがザカリアには、とても申し訳がない。
と、仲間たちに散々追求されていたバルトロが、不意にエールに口をつけていたザカリアの方を向いた。
「チェーザレ」
「えっ、うっ、ぐっ」
予想外に話しかけられて、エールが気管に入る。苦い。
咳き込むザカリアの背中を叩きながら、バルトロが優しい声で言った。
「それでも、俺はお前におめでとうを言わせて欲しい。今まで俺たちの影に隠れて、活躍する場のなかった斥候のお前なんだ。それが今回、ようやく、活躍の場を作ることが出来た」
「あ……」
目の端に涙を浮かべたザカリアがハッとした顔になる。なるほど、確かに斥候という職業は戦果を上げにくい。今までチェーザレが仲間の陰に隠れていた様子も、ありありと想像できる。
その彼の、一生に二度とないような大金星。それを、自分は奪ってしまい、今後得る機会も奪ってしまったのだ。
「そう、だったか」
「そうだよ。だから、お前が一番、おめでとう、なんだ」
悲しみにまたも胸がチクリと痛むザカリア。そんな彼の手を、バルトロが両手で包んで持ち上げた。
そのまま、優しくバルトロはザカリアの手を揺する。その手付きはこの上なく優しい。
「(そうだったのだな……チェーザレ。すまなかった)」
今までの竜生で感じることのなかった、誰かに手を取ってもらうという温かみに、ますますザカリアの目元が熱くなる。そのままつうと涙が零れそうになるのを堪え、手で目元を拭いながらザカリアは仲間たちに言葉をかけた。
「あ、あの、僕、ちょっとお手洗いに」
「おっと、そうか。大規模戦闘が始まってから一度も行くタイミングがなかったもんな、すまなかった」
手洗いに向かおうとするザカリアの手を、バルトロがそっと放す。そこから逃げ出すようにして酒場の隅にある手洗い場に向かうザカリアの背へ、ルカとパオラが声をかけてくる。
「ちゃんと戻ってくるのよ!」
「手洗い場でぶっ倒れるなんてことしても、俺はもう抱えてやれないからな!」
「わ、分かってるよ!」
彼らになんとか声を飛ばしながら、ザカリアは手洗い場の扉を開けて中に飛び込んだ。他に手洗い場を利用している客はいないらしい。
「ふー……はー……」
息を整えながら、ザカリアはいくらか人化転身を解いた。本来の大海龍の姿にこそなれないが、竜人の姿になる程度でもだいぶ気持ちは楽だ。
そっと板張りの扉の方を振り返りつつ、ザカリアが零す。
「な、何とかなっただろうか、我」
「いやぁ残念」
だが、扉が小さな音を立ててゆっくり開いた。そうしてザカリアの声をまるでその場で聞いていたかのような声をかけてきなら、手洗い場に入ってくる誰かがいる。
「それがちっともなってないんだよな、大海龍ザカリア」
「いぅっ」
そしてザカリアの名を呼んだ彼に、竜人の姿を晒しながらザカリアが跳び上がる。恐る恐る、相手の名前を呼ぶ。
「ば、バル、トロ?」
そこにいたのは「鼬」のリーダー、先程まで話をしていたバルトロだった。先程の言葉から、自分を追いかけてきたのは明白だ。
バレた。というかさっきからバレていたらしい。何ということだ。
ガクガクと震えながら手洗い場の壁に縋るザカリアを見ながら、バルトロが話し始める。
「口調もそのまま、性格もそのまま。ルカやパオラ、ドミツィアーナには隠し通せたかも知れないけど、な」
話しながら、バルトロがザカリアの手を掴んだ。鱗に覆われ、指の間に水かきのある手、その下にある手首をつつく。
「出てたぞ、手首のヒレ」
「えっ……あ……」
そう、ザカリアの手首、海竜らしく生えたヒレである。
チェーザレ・アルトを装ったザカリアの人化転身は完璧だった。現に仲間たちと合流したときから今の宴の間まで、ちっともバレていなかった。
しかし、どうしたって疲れが生じるし、酒も飲んだ。転身がわずかにほころびを帯びても不思議ではない。おまけに先程バルトロに手を持たれていたのだ。
申し訳ない気持ちに沈みながら、ザカリアはバルトロの前に頭を垂れる。
「その、すまぬ。チェーザレは……」
「分かってるよ、俺は見たんだ」
それに対して、すぐに頭を振りながらザカリアの言葉を遮るバルトロだ。
重装兵であるバルトロは、必然的に戦場の最前線に立つ。なれば、他の冒険者が後ろに下がっている時こそ、前で敵と仲間の間に立ちふさがる必要があるのだ。
あの時、バルトロは波をかわしながら頭上をチェーザレが舞うのを見た。チェーザレがザカリアと交錯するその時を見ていたのだ。
「チェーザレ・アルトはルカ・バッソに放り投げられてお前の前まで来た。お前はそれを迎え撃とうと口を開いた。そしてチェーザレはその開いた口の中に飛び込んだ……他の皆は、お前の起こした波で見えてなかったかも知れないけどな」
「う……」
そう、チェーザレはザカリアと間近でぶつかりあった。その時、ザカリアに食われる形でチェーザレは命を散らしたのだ。
神獣にも近いと言われる大海龍のザカリアは、冒険者を喰らってしまったことに狼狽した。そして自身が波を放って冒険者が視界を奪われている僅かな間にチェーザレの記憶と姿を受け継ぎ、ヒレや角などを切り落としてさらに辺りを水浸しにして、チェーザレがザカリアを討伐したように見せかけたのだ。
バルトロがザカリアの鱗に覆われた額に手を触れながら言う。
「おかしいと思っていたんだよ、お前から回収した素材は確かに必要なものは揃っていた。しかし内臓系は回収できなかった……周囲は水浸しだったから、水の底に沈んだんだろう、でごまかしたけど」
そう言って苦笑しながら、バルトロは目の前にいる竜人の額を撫でた。自分たちが先程まで相対し、自分たちの仲間を喰らった相手を。
だが、そんな彼にかけるバルトロの言葉が、ずいぶんと優しい。
「でもな」
いつの間にか涙をハラハラと流し始めていたザカリアに、優しい笑みを向けながらバルトロは言った。
「ありがとう、チェーザレを殺さないで、仲間のままでいてくれて」
「あ……」
その言葉に、ザカリアはハッと顔を上げる。
チェーザレ・アルトは確かに自分の腹の中に消えた。もうとっくに骨まで消化されて、何もかもが消え失せてしまっただろう。
だが、まだ彼は死んでいない。ザカリアがチェーザレを装っている限り、彼は死なないのだ。
目元を手の甲で拭い、目尻を赤くしながらザカリアが言う。
「その、バルトロ。我、人間のこととかよく分かっておらんし、暴れすぎて討伐依頼が出るほどの聞かん坊だし、迷惑をかけるかもしれんが……チェーザレの代わりに、一緒に」
一緒に旅に連れて行ってもらえないだろうか。そう言いたいザカリアの言葉が詰まる。しゃくりあげるように泣いてしまう。
そんなザカリアの額にもう一度手をやり、硬い鱗をこつんと拳で叩きながら、バルトロは言う。
「今更だぞ、ザカリア」
「うっ」
そう言われて、ザカリアはもう一度言葉に詰まった。しかし今度は違う、これ以上話しても結果は覆らないがゆえの無言だ。
ゆっくりと振り返ったバルトロが手洗い場の扉を開けながらこちらを振り返る。
「ほら、手洗い済ませたらさっさと戻ろう。まだお前と話したいやつはたくさんいるんだ」
そうだ、手洗いがまだだった。せっかくこちらに来たのに、手洗いを済ませないまま戻ったのでは意味がない。
わたわたと用足しに向かうザカリアに、バルトロがにこやかに言葉をかける。
「大海龍討伐おめでとう、そしてようこそ、ザカリア」
「あ、ああ……!」
その発言に、ようやくザカリアも笑みがこぼれた。
チェーザレを装うか、ザカリアとして仲間に加わるか、それはこれから考えるとしても、だ。
自分を仲間と認めて、自分の功績を褒め称えてくれるバルトロに、ザカリアはそれまでの竜生では味わうことのなかった、たまらない気持ちに胸が一杯になるのだった。
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