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episode恵 02
衣服が赤く滲んでいる親子。
普通ではないことは、すぐに見て取れた。
恵の険しい表情と、その大声、そして銃に驚いた女性は目を見開き、両手を上げ、子供たちは泣き出した。
ゆっくり歩み寄る恵。母親は瞳孔が開いているかのような目で、ガタガタ震え、見上げることもしない。正面を向いたままだ。
片膝をついて屈む恵は、その女性の顔を覗き込んだ。
衣服の赤いものは、本人の血ではなさそうだ。隣に来た新船がそれを確認する。
「ん…!おいおい、怪我してるじゃあないか」
女性の脚の出血は本人の負傷箇所だ。それを見た新船は、恵のサブマシンガンの銃口に手を置いて下げさせた。
「ひ…ひ、人質でした…」
女性は何か質問される前に弱々しくそう言った。
「…身分証になるものは、ありますか?」
恵は口調を緩めてそう尋ねると、女性は目を見開いたまま、首を横に振った。
「荷物は全部どこかに…う、嘘じゃありません」
よほど怖い思いをしたのだろう。恵と新船は一瞬、顔を見合わせた。
「では、名前と住所を」
「…はい?」
恵が質問するも、女性は意識がしっかりしていないようだ。
「名前と住所です」
「あ…はい…名前は…き、木戸です。木戸 祥子。こっちの子が陸斗、こちらが亜美です。じ、住所は世田谷区…」
恵は無線で身分の称号を分析チームに支持し、それが終わるまで親子に少し待つよう指示した。
「わ、私が足を怪我して、それで逃げられなかったのです。ここで隠れて助けを持ってました」
「奥さん、人質だと言いましたが、どうやって逃げたんですか?」
祥子は眉間に皺を寄せ、目を瞑った。
「お、男の人…男の人に助けられました」
“男“、人質の誰かに助けられたということなのだろうかと、恵は訝しげな顔をした。
無線で親子の身分に間違いなく、テログループとの繋がり、疑いはないとの回答が来た。
恵はサブマシンガンのスリングを肩に掛け、母親の足を見た。命に別状はなさそうだが、治療は必要そうだ。
救護が必要だと判断した新船は、無線でそのことを作戦本部に伝えた。
手配した救護班がここに来るまで待機、安全確保。それが指揮を取っている高田から返ってきた指示だった。
「他に逃げた人はいますか?」
新船のその質問に、母親は力なく首を横に振った。
「そうですか。何か見ました?犯人とか…」
「爆発と、銃声がいきなり…銃を持った連中がいきなり現れて…」
突然、母親はガクガクと震え出し、左右の両手で両腕を力強く握り、喋るのも困難になった。よほどの思いをしたのだろう。
「大丈夫ですか?奥さん…どうやって逃げ出したんです?」
「ち…ちょっと、ごめんなさい」
母親のあまりの様子に、新船は恵の肩をポンと叩き、(今はやめよう)と首を横に振った。
数分すると、担架を持った救護班二名が、二人の機動隊員と一緒にやってきた。担架に負傷している母親を、機動隊員の一人が、子供二人を抱き抱え、フロアを降りて行った。
それを見届けると、恵たちは捜索をしながら、犯人グループが占拠しているビルの中央階に向かって前進し始めた。
「三人救出、だな」
安堵したわけではないが、新船は少しだけ気を緩めたような口調で言った。
だが恵の表情は堅いままだった。
それに気付く新船。
「益田、どうした?」
恵は一度、新船の方を振り返り、そして視線をフロアの周囲に移して答えた。
「いえ、巡査部長。何となく腑に落ちなくて…」
「何がだ?」
曲げた人差し指を口元に当てて下を向いて考える恵。
「さっきの木戸って母親の“あの”怯えよう…少しおかしくなかったですか?」
「銃を持った輩に人質にされたら、誰でも怯えるだろう。しかも幼子もいたんだ」
「そうですが…それだけとは…」
恵は、無線の咽喉式マイクに手を当て、救急隊員の護衛についている機動隊員に応答を求めた。
「こちら益田巡査、今生存者と救急隊員についてる機動隊員、どちらでもいい、応答して」
ガッ!というノイズ音が返ってくる。
『機動隊の進藤巡査です、どうぞ』
「そのまま救急車に乗り込んで、何でもいい、生存者から何か書き出してくれないか」
『…え、自分がですか?』
「時間がない。何でもいいんだ。病院からの帰りの車は手配する」
『…了解』
訝し気な表情で問う新船。
「おい、本当にどうした?」
「…慎重になるに越したことはありません」
そう言い、恵は手で合図を送り、待機していた隊員を指示した。
フロアを一階上がるごとに恵は深く深呼吸をした。ここに来て、何か嫌な感じがしてならなかった。
恵は高校卒業と共に警察学校に入った。本当は、進路は大学進学を考えていた。成績のよかった彼女は高校の教師たちからも期待されていた。
しかし、幼い頃から“一番大切だった親友”が惨殺され、彼女の中で何かが変わり、警察官への道を進むこととなった。
無力でいることの苛立ちと、悪、犯罪への憎しみがそうさせたのだ。
優秀だった恵は愚直に自分を磨いた。若く、女性でありながらSATへの入隊はまさにその証だった。
そしてこれまで幾度も、危険な任務をこなしてきたが、そんな彼女だからこそ、今回の事件が何かいつもと違うと感じるものがあった。
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