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episode恵 01
1999.12.1 -WEDNESDAY-
雨…、冷たい雨。
かつての東京湾の上にある人工島都市“新東京”。
底知れず拡大した企業の力が創り出したシティ。そこには膨大な、夢という名の欲望、希望という名の金、そして情報という真実が日々交差していた。
そんな新東京 愛理出地区にある“セントホークタワービル”。
今そこでは大変な騒ぎが起きていた。
セントホークタワービルは、大企業“庄司エンタープライズ”が所有、運営している複合商業施設。レトロな高級感を意識したデザインは美しく、いつも人で賑わっていた。
だが今夜の人混みはいつもとは違った。
ビルの前は何台もの警察車両が止まっており、辺りは回転灯で真っ赤に染まっている。
大勢の警察官、現場確保のテープの外側に群がるマスコミ。
ビル前だけではない。上空も、警察やらマスコミのヘリで、バタバタとうるさかった。
十五人からなるテログループが、ビルを占拠。人質を取り、すでに声明と要求発表していた。
テログループは“クァ・ヴァーキ教”という新宗教団体の者たち。
代表の浦林 明紀が提唱する“全ては私になれ”という独自の宗教思想を持った団体の内の一派だ。
四年前に、国会を狙って化学兵器で、政治家を一斉に殺害すべくテロ攻撃を実行しようとしたが、自らで作った毒ガスが運搬中に漏れ出し、失敗に終わっていた。
その際、漏れたガスを吸って、3人が死亡している。とんだ欠陥品を使ったものだが、中身は本物の殺傷兵器。警察は危険な団体としてマークしていた。
「…来たぞ」
びしょ濡れで現場を確保している警察官の一人がそう言った。
やってきた輸送バンが二台、それを見て言ったのだ。
車体には“SAT”とペイントされている。警視庁の誇る精鋭部隊が到着したのだ。
停車して後部の扉が開くと、中から隊員が次々と降り立った。隊員たちはバシャバシャと駆け足で整列していく。数、一個小隊四十六人。全員がサブマシンガンやライフルで武装している。
装着しているボディアーマーが、屈強な隊員たちの凄みをより印象強く見せた。
「状況の説明をもう一度しておく」
小隊の前に立った指揮官、高田警部は厳しい表情で言った。
「ビル内に武装したテログループが立て籠っている。その数は十五人。どこで手に入れたのか、かなり“いい武器”を装備していることが判っている」
手際良く警備室を占拠し、監視カメラを始め、ビルの警備システムは完全に抑えらていた。そのため、搬入口から非難口までもが電子式のロックがかけられていた。
そして犯人を取り押さえようした武装警備員は、全員死亡したとの報告を受けていたが、それを無線連絡してきた最初に駆け付けた警察官からの連絡も途絶えていた。
「くそ、今回の奴ら、随分とやってくれたな」
隊員の一人が呟いた。クァ・ヴァーキ教は過去にもテロ行為を何度もしてきたが、本格的な籠城は初めてだった。
要求は、刑務所にいる教団幹部たちの解放と、現金十億円と、逃走用のヘリを用意すること。
人質は二十八人。子供や、妊婦も含まれ、全員の救出は困難を極めることが予想された。
「我々はこれから、人質の民間人を救出し、犯人を捕らえ、ビルを奪還する」
高田の説明が終ると、現場リーダーである新船巡査部長が大声で「任務開始!」と叫び、隊員たちは仕事に取り掛かり始めた。
小隊は二班に別れ、表のメインエントランスと、裏の搬入用のゲートからの突入の命令が出た。
「しかし、やることがこれまでより派手な割には、ありきたりな要求だと思わないか?」
搬入ゲートへ向かう二十人を率いている新船は、隣を歩いている益田 恵巡査に言った。
「…確かに、引っ掛かりますが、人質を生きて助けることに集中しましょう。事件の内容については、捜査部のお仕事ですよ」
冷静に返す恵に、新船は微笑んだ。
「ああ、ま、そうだな。ヘリで屋上から、長谷川の小隊も突入をする。上手く行けば、制圧にそう時間はかからないはずだ」
上にちらりと目をやりながら新船が言ったように、屋上からも隊が突入し、挟み撃つことが全体の作戦となっていた。
裏口が見えてくると、新船は二人の隊員に電子ロックの解除を命令した。
命令を受けた隊員二人がロック解除の作業に入ると、今度は他の二人の隊員に援護、応戦体制を命じる。
ゲートが開いた途端に犯人が発砲してきても、すぐに対処出来るようにするためだ。
テログループに警備システムを抑えられてるため、出入り口は全て電子ロックがかけられてる。しかし、ロックの解除コードは、本部に設置しているコンピューター専門の“分析チーム”がシステムに入り込み、調べ上げでいた。
昔のようにビル全体を停電にして籠城犯を疲れさせる作戦で済めばいいのだが、セントホークは太陽光パネルを備えて逐一ビル内のエネルギーを溜めておけるシステム。今日のような雨の日でも、停電した場合には非常用電源に切り替わり、数日は持つとの説明を受けていた。
「益田は今日が最後の出動かもしれんな」
解除を待つ新船がそう言うと、恵はビルを見つめながら軽く頷いた。
「ええ…」
彼女は年内いっぱいで警察を辞めることとなっていた。まだまだ若いが、とても優秀な女性である。
これから更に成長していくであろうと見込まれていた恵は、新船や他の仲間たちからも気に入られ、期待されていた。それだけに辞めるというのが実に惜しまれた。組織としても、チームとしても。
さっき、新船が微笑んだのは、冷静な恵に対し”今回も”頼れる部下だと安心をしたからだった。
辞める表向きの理由とは異なり、仲間内に語ってくれた警察を辞職する真の理由は、”大切な人が帰って来た”ということだった。
“何のこと”かそれ以上の詳細なことは彼女の口から出るとはなかったが、若くして狭き門のSATの隊員になるのも大変だったろうが、そのキャリアを短い期間で捨てる理由を、仲間達は知りたがっていた。
『巡査部長、ロック解除しました』
無線で報告を受けた新船は沈黙したまま、人差し指を立てて、ジェスチャーで二人を出入り口に見張りとして残し、それ以外の全員に前進せよという指示をした。
指示を受けた隊員は、開いたゲートに慎重に突入し、サブマシンガンを構え戦闘に備えた。
『クリア!』
『こちらもクリアです』
突入した全員が、そこに誰もいないのを確認し、円形の編隊で更に中へ突入する。
どこに犯人が居るか判らないため、各隊員が前後左右それぞれの目となる。
新船は無線で中に入ることを、他のルートで突入する隊に伝えた。すると他の隊からもビル内に入ったことが伝えられた。
セントホークはタワービルと言われるよう縦長構造なので、各フロア自体は大袈裟にだだっ広いというわけではないが、階段、非常階段、エスカレーター、エレベーターと、当然各階に移動出来るルートは複数あり、
それぞれにも犯人グループがいないかをチェックしなくてはならない。
一階のエントランスから突入した隊とも合流する。
一階フロアの制圧を確認した新船は素早く指示を出し続けた。
「よし、この階は制圧。進藤、外で待機してる機動隊にここの確保を伝えておけ」
「解りました!」
「藤田は近辺ビルに配置してる狙撃手に、よくこちらのビルを見張るように言っておけ。我々以外の動く者が見えたらすぐに教えろともな」
「了解!」
「警備システムは、間もなく分析チームが侵入を完了する。こちらの動きはテログループには見えなくなる」
各階へ移動するルート別に隊員を別ける指示を出す。
恵は新船を先頭に、他の隊員と五名でエスカレーターから上に向かうことになった。
テログループが最初に騒ぎを起こしたのは建物の中央階にあたる十五階。
建物の上下から攻められても時間が稼げるようにそうしたか、警備室の内の一つがそこにあることを踏まてのことか。どちらにしても、どこでどう知ったのか、グループは建物や警備のことをよく把握してるとようだった。
「私が先頭を行きます」
恵がそう言うと、新船は黙って頷いた。
止まってるエスカレーターからフロアを上がり切ると、恵はサブマシンガンを構え、周囲の警戒をした。
周囲の安全を確認し、二本指で前へ進むというサインを出すと、新船たちもライフルを構えながらフロアに上がる。
ゆっくりフロアの警戒をしながら前進する隊員たち。
「今、分析チームがビルのシステムに侵入したという連絡が入った」
これで占拠している警備室から、こちらの動きがカメラで見られることはない。
その連絡が入ると、恵はチラッと上部に設置されているカメラに目をやった。
その時だった。衣料品売り場から物音に気づき振り返った。
隊員三人が一斉に銃口を向けたその先には女性と子供二人がいた。三人とも床に伏せている。
「警察です!手を上げなさい!」

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