喧嘩

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喧嘩

ある日の夕方。 仕事を終えた私は、18時半頃に帰宅した。 いつもなら、両親が揃ってニュースを見ながら夕食を先に食べている。 が、この日は違った。 母親が1人で夕食を食べており、父親の姿はなかった。 仕事で帰りが遅くなる事があっても、私よりも後に帰宅する事などない。 父親の職場は歩いて5分ほどの距離にあり、私と同じ時間に仕事が終わったとしても片道1時間程度かかる私よりも確実に先に帰宅する事になる。 母親に父親の事を聞いてみると 『夕べのご飯の残りが少なかったから、私がご飯炊いたんだけど、それが何か気に食わなかったみたい。それから口も利いてくれないし、朝もお昼も食べなくて、帰って来てもすぐ寝室に行っちゃって』 と、言った。 なんだ。夫婦喧嘩か。 父親はもう75歳になる。昔気質というか、頑固者というか、古風というか。 亭主関白で、昭和の父親という感じである。 気に入らない事があるとムスっとし、数日間喋らない事はざら。 私が生まれる前に両親が喧嘩した時は、1ヵ月も話してくれなかったと聞いた事がある。 父親は普段から全てを話す方ではない。 「分かるだろ?」「聞けばいい」「勝手にするな」 というような父親だ。 母親も、長年連れ添っている。多少の事なら分かる事もあるだろう。 しかし、お互い元は赤の他人。 全てが全て分かるものではない。 聞かなかった母親も、言わなかった父親も、お互いに非はある。 そもそも、私が口を出す事ではない。 そのうち自然と仲直りするだろう。 しかし、それから3日。 いまだに喧嘩は続いていた。 当然、父親はその間、朝から夜まで何も食べていない。 断食でもしてるのかと勘違いするほど。 父親も、引くに引けなくなっているのだろうが、母親はどうすればいいのか分からずに、毎日夕食の時に私に愚痴を言ってくる。 だが、よく考えてほしいものだ。 両親が今どれほど幸せな時間を過ごしているかを。 どれほど贅沢な時間を過ごせているかを。 それに全く気付いていない時点で、両親はお互いに悪いと思う事が出来ないだろう。 喧嘩。それは1人では決して出来ないもの。 相手がいて、初めて出来るものである。 理由はどうあれ、今、そこに喧嘩を出来る人がいるのだ。 口喧嘩をして、言い合いをして、お互い自分の思う事を言える相手が存在している。 それは、とても幸せな事なのだ。 私はもう妻と喧嘩する事はかなわない。 口喧嘩も出来なければ、怒られる事も、気持ちがすれ違う事も、ましてや仲直りする事すらも出来ない。 だが、両親は違う。 喧嘩をしても、仲直りする事が出来るのだ。 それがどれほど幸せな事か、両親はまだ分からないらしい。 愚痴を言いたくなる事もあるだろう。 喧嘩する事もあるだろう。 だが、それを私に向ける事だけはやめてほしい。 私には喧嘩をする相手がいないのだから。
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