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集合
納骨式の後、妻の両親と兄から私の実家へ寄りたいと申し出があった。
断る理由もない。両親も子供と少しは遊びたいだろう。
そう思い、私も両親も快諾し、それぞれの車で私の実家へと向かった。
私の実家に着いたのは、午後2時半頃。
子供は久しぶりの私の実家で、少しはしゃいでいるようだ。
元気に走り回り、私の部屋や姉の部屋からぬいぐるみを持ってきて嬉しそうに抱きかかえている。
母が全員分のお茶を用意すると、何やら話を始めそうな雰囲気である。
察知して私が座ると、突然、兄が口を開いた。
『あのさ、小学校に入るタイミングで子供を引き取るって聞いたんだけど、それって本気で言ってる?』
私は間髪入れずに
『うん、そのつもりだけど』
と、答えた。
すると兄は
『いや、それは無理だね』
とだけ、言った。
私は何が無理なのか、全く分からなかったので
『ん?無理っていうのは何で?』
と、聞き返すと
『え?いやいきなり生活環境変わるし無理でしょ。それにこの1年、子供との
間に何か変化あった?ないよね?それじゃ無理じゃない?』
と、兄は言った。
全く意味が分からない。
生活環境なんてものは、いつでも変わるものであり、それに対応していかなければならないものである。
早い子では小学校からお受験をする子もいる。
中学受験、高校受験、大学受験、就職活動。
様々な場面で変化は生じ、就職してからも転勤や転職での変化もある。
むしろ何の環境の変化もないまま人生を終える人は、少数ではないだろうか。
生まれた時から死ぬまで、住む場所が変わらずに、入院生活などもない。
友達関係の変化もなく、一人暮らしをする事もなくずっと実家にいる。
そんな人は、私の知る限り誰一人としていない。
天災が起きて、生活環境がガラリと変わる人も少なくない。
強いてあげるなら、義兄が小さい頃の引っ越しがある程度で、あとは特別大きな変化のない人だということ。
だから私は
『いや、生活環境なんて変わるでしょ。保育園から小学校に代わるだけで友達も違うし、全然変わる。それなら、そのタイミングで新しい小学校に行っても問題ないと思うけど?』
と、言った。
すると兄は
『そもそも父親らしい事、何もしてないよね。なのに無理に小学校に入るタイミングで引き取るっておかしくない?』
と、言ってきた。
父親らしい事。それは一体どういう事を指すのだろうか。
悪い事をした時に頬を叩いてでも叱る事、箸使いや食卓マナーを教える事、休みの日に一緒に遊ぶ事、泊りで遠出して思い出を作る事。
どれも「父親らしい」という事ではない。
そもそも、「〇〇らしい」というのは、その人の固定観念であり、基本的に決まっているものではない。
それを押し付ける事は間違いだし、だとしてもどれも今の私には出来ない事ばかりではないか。
『無理に引き取るも何も、自分の子を自分で見るって言って何がおかしいのか分からないんだけど』
と、私は、少し語尾を強く言った。
兄は負けじと
『子供がそっちで暮らしたいっていうならいいけど、そうじゃなかったら俺は賛成出来ないね』
と、言った。
私は、あまりにも理不尽な意味不明な義兄に対して、こみ上げてくる怒りが抑えきれず
『こっちで生活もしてないのに、こっちで暮らしたいとか言うわけないよね。別にあんたの賛成とか必要ないし。何なら裁判でもするか?子供を返してくれませんって。100%こっちが勝つよ?そんな事して無理にでも子供を返してもらっても良いんだけど、それじゃ角も立つし溝が出来るからしない事分かってないよね?あんまりなめんなよ?』
と、言った。
私のこの一言に、それまで沈黙を続けてきた両方の両親が口を同時に開き、私を静止した。
もちろん、私も子供ではない。
このまま殴りかかるような暴挙はしないし、至って冷静である。
が、この義兄のあからさまな「俺の子供は渡さない」という姿勢。態度。反応。
これがあまりにも腹ただしく、不愉快極まりなかった。
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