(15)しばらく一人にしてください

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 顔が見られなかったのは残念だが、そろそろ帰るかと思っていたら、「もしかして……立神(たつがみ)先生でいらっしゃいますか?」と斜め横手から声を掛けられた。  伊達眼鏡と帽子で素性はバレにくくしていたつもりだったけれど、日和美(ひなみ)の職場――『三つ葉書店学園町店』では近々サイン会をすることになっている。  信武(しのぶ)の顔を見知った店員がいても不思議ではない。  視線を振り向ければ案の定、眼鏡越し。信武が見下ろした視線の先に、サイン会の担当窓口になってくれている女性店員が立っていた。  普段のやり取りは大半を懇意(こんい)にしている編集に任せている信武だったけれど、一度だけ。  まだ日和美がここへ勤め始める前、ここで眼前の彼女と顔合わせをしたことがある。  名前は確か――。 「ああ、多賀谷(たがや)さん。お久しぶりです」  即座に不破(よそいき)モードにシフトしてニコッと微笑んで見せたら、目の前の店員がポッと頬を赤く染めたのが分かった。  顔合わせの際、初めましてをしたと同時、半ば食い気味に『私、立神信武先生の大ファンなんです!』と熱弁してくれた彼女は、確かに信武の著書をしっかりと読み込んでくれている、コアなファンだった。  まさに、サイン会担当にふさわしい人選だろう。  というか、今回のサイン会自体、彼女の熱意があってこそ実現したのだと、編集から聞かされている信武だ。  サラサラの黒髪を後ろでバレッタ留めした多賀谷は、清潔感にあふれていたし、一般的に言えば美人の部類に入るだろう。  だが、信武にとって、日和美以外はその他大勢に過ぎないのだ。  例え家でとも、中身が日和美ならば可愛く見える自信があるのだから不思議だ。 (ま、実際見せてもらったことはねぇんだけどな)  日和美は信武の前ではとても綺麗なパジャマを着ている。あれは恐らく不破(ふわ)と暮らすようになって新調したものに違いない。
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