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信武から家で待つように言われた日和美は、モヤモヤとした気持ちを抱えたままアパートへ戻ってきた。
信武がアパートへいる時には何だかんだで進まなかった読書が、信武に会えない日々が続いて捗ったのは悲しい不可抗力だ。
本人が目の前にいると思うと、どうしても気恥ずかしくて職場で読み進めていた『ある茶葉店店主の淫らな劣情』はそれゆえに読むのに結構時間が掛かってしまった。
他に積んでいた本数冊も、信武が帰って来られなくなってからは家でゆっくり読む時間が取れて早々に読了することができた。
その中の一冊。
信武には何となく言いそびれていたけれど、多賀谷が言っていた、サイン会の抽選券付き新刊『誘いかける蜜口』も、随分前には購入していた日和美だ。
立神信武の著書には茶葉店の話で初めて触れたはずなのに、何故かとても読みやすく懐かしい感じがして。
積読していた蜜口も、機会に恵まれた途端あっという間に読み終えてしまっていた。
信武と会えない日々が。彼に会いたいという気持ちが。読書スピードとともに日和美のクジ運を高めたのだろうか。
サイン会主催者側書店のスタッフだとか、そういうチート機能なんて一切なしに、純粋に倍率二倍強だった信武のサイン会抽選に当選したと知った時、これは運命かも知れないと思った日和美だ。
信武本人へ、サイン会にファンの一人として参加することを告げなかったのは、彼を驚かせたかったからに他ならない。
最後尾に並びたくて、わざと時間ギリギリに行ったのだって、計算ずくだった。
なのに――。
あんな形で自分が驚かされる側になるだなんて誰が想像出来ただろう。
「信武さんのバカ……」
吐息混じりに言いながらも、しっかり彼から言われた通りお泊まり支度をしてしまったのには、ちゃんと理由がある。
「こんなの書かれたら……信じたくなるじゃん」
信武に、半ば奪われるようにして書かれた『誘いかける蜜口』の表紙裏見返し部分にサインとともに書かれた『お前のことが好きだ。俺を信じろ』というメッセージ。
そんな言葉を残されて、塩対応なんて出来るはずがない。
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