第三章 悲哀の魔女クローデット 3

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第三章 悲哀の魔女クローデット 3

「行きますよ!」  私の合図でレシファーはためていた魔力を一気に開放する。  私の魔力がほとんど切れかけているのなら、レシファーの魔力を使えばいい。魔女が悪魔と契約した時の一番の強みがこれだ。  片一方がダメでも、もう一方が力を行使できる。お互いが近くにいれば、その契約は効果を発揮する。  巨大イノシシの遥か上空、レシファーが一気に解放した魔力が緑色の閃光となって、周囲を明るく照らす。  高位の悪魔、新緑のレシファーの名に恥じない、凄まじい魔力量に大気が震える。  あたりの小型の魔獣は、あまりの魔力の大きさに一瞬動きを止める。  レシファーの本気中の本気の大技。  そして緑の巨大魔法陣が砕け散った瞬間、直径30メートルはありそうな大樹が上空から地面に向かって一瞬で生えていく。  巨大な物質が落下していく時特有の、空気との摩擦音があたりに響く。  そして真下にいた巨大イノシシに何もする暇を与えず、意図も容易く押し潰してしまった。  そのあまりの速度と威力に、彼女の力量を知っている私でさえ体が震えてしまった。  あまりにも攻撃の範囲が広すぎて、イノシシ型の魔獣工場が死んでいるのかの確認さえ出来ないが、流石にあれで生きているとは思えなかった。 「レシファー!」  レシファーは、魔力を一気に消費した影響で飛行能力を一時的に失い、真っ逆さまに落ちていく。  私は翼竜にギンピの毒針を放ち、その隙にレシファーをキャッチする。  追ってくる翼竜に対して、私は今の魔力量で出来る限りの魔法を駆使する。  地面に向かって片手をかざし、少しばかりの魔力を込めると、周囲に広がる森たちが反応して動き出す。  森のあちらこちらから伸びた無数のツタたちが翼竜を絡めとった。 「今回の見せ場はこの子に譲っちゃったけど、契約者の私が何もしないわけにはいかないものね」  そう呟き、合図を送る。  その瞬間翼竜に絡みついたツタ達は、一斉に締め上げ翼竜を絶命させた。  締め上げられ大量の血液を空中に散布した翼竜を尻目に、レシファーとともに小屋に降り立つ。  まだ小型の魔獣は残っているが、そいつらの相手は森が勝手にしてくれる。 「アレシア! レシファー! 大丈夫?」  エリックは目に涙を浮かべながら駆け寄ってきた。 「大丈夫よエリック、レシファーは一気に魔力を放出した反動で眠っているだけだから」  私はそうエリックを安心させ、自室のベットにレシファーを寝かせる。 「ゆっくり休んでね、あとは私がなんとかするわ」  眠るレシファーの頭を優しく撫で、自室を後にする。  外ではまだ少数の魔獣が森に攻め入っているが、その程度の魔獣達ではこの森の攻略は不可能だ。 「アレシア。ごめん」  部屋を出た私の前には頭を下げるエリックがたっていた。 「どうしたの? 別にエリックが謝ることなんて何もないでしょう?」  私の言葉にエリックは激しく首を横に振る。 「そんなことない! アレシアとレシファーが戦っているのに、僕は無力で、足手まといで、いずれ僕のせいで二人が死んじゃうんじゃないかって……守ってもらうだけの自分が情けなくて、それで」  それ以上言葉は続かなかった。エリックは抑えていた感情が溢れだしたのか、思いっきり泣き出してしまった。 「大丈夫よ、大丈夫だから……お願いだから泣かないで!」  私は泣き出したエリックを強く抱きしめる。  情けなくなんてない。  エリックの年であんな化け物を見たり、大量に血と死が蔓延する戦闘を見てしまったら、普通は気が狂ってしまう。  ましてや今の時代は、私が全盛期だった時とは違い平和そのものだ。  死体を見ることなんて、普通はありえない時代だ。  そんな世界に生まれて生きていた子が、いきなりこんな血と死が支配する世界に迷い込んでしまったら、怖いのは当たり前。 「聞きなさいエリック、君は情けなくなんかない。むしろ強い子よ? 実際、エステルから私を助けてくれたじゃない! だから君は生きていて、君が生きていてさえいれば、私は戦えるわ」 「それは、僕がいなくなると光を失うから?」  そうエリックは恐れた視線を私に送る。  そうか、エリックはそこも不安だったんだ。私がエリックを命がけで護る理由を、彼はどこかで疑っていたんだ。  それもそうよね、エリックがいなかったらまた光を失うのは私。  光を失わないためにエリックを護り続ける……たぶんエリックはそう思っているのね。  本当にバカな子、それだけの理由でエリックを護っているわけないのに。 「そんなわけないでしょう? 私は呪いとかそういうのを抜きにして、純粋に君が好き」 「本当?」  エリックはびっくりしたような顔で私を見る。 「ええ、そうよ」  私は、エリックを再度抱きしめて一番伝えたいことを口にする。 「私にとっての本当の光は君自身よ、エリック」  そう告げた瞬間、私の背中に回された手がより強く私を抱きしめた―――― 「落ち着いた?」 「うん」 「どうしたのよ、そんなに離れて」  急に私から離れてイスに座り、背中を見せるエリックから返事はなかった。  さっきまで不安で泣いていた自分が恥ずかしくなったのかしら? 「なによ、恥ずかしいの?」  私がそういうとエリックの背中が一度ピクっと跳ねた。  本当に可愛い子、分かりやすくて単純で、それでいて私の気持ちを疑って、今度は恥ずかしくて顔も見れないというわけ? まったくもう…… 「エリック。恥ずかしがっても、私の気持ちを疑って泣いてた過去は変わらないわよ?」   「アレシアのいじわる」  エリックはそう小さく言うと、振り返り私の顔を見る。 「どうしたの?」 「なにか僕に出来ることがあったら言って。お願い」  エリックは、背筋を伸ばして再度私に頭を下げる。  この子は自分になにも役割がないことが嫌だったのね。  そんな自分が嫌で、それでも戦闘においては何も出来ないのを理解している。  そこに迫りくる死の恐怖と、私とレシファーへの罪悪感、そして私のエリックに対する本当の気持ち……  それらが混ざりあい、この子の胸中はぐちゃぐちゃになっていたに違いない。  それに気がつかなかった私は、やっぱりどこか人間とは違うのだと思い知った。 「じゃあ……掃除?」 「ちょっとアレシア~」  私が冗談ぽく言うと、エリックにも笑顔が戻った。  この子にやって欲しいことなんて決まっている。  ただ笑って私のそばにいて欲しい、その一点以外になにもない。  気づけば、小屋の外の喧噪はなくなっていた。  もう生きている魔獣は死に絶えたのかしら?   小屋の窓から、うっすらと弱い朝日が差し込み始めると同時に、森を掻き分けながら迫る嫌な魔力を感じる。 「どうしたのアレシア?」  エリックは急に真面目な顔になった私を訝しむ。 「エリック、お客さんが来たみたいだから、レシファーのいる部屋にいてくれるかしら?」  私はそうエリックにお願いをすると、彼は私の言う意味を理解したのか、レシファーが眠る部屋へと消えていった。 「さてと……」  私は背伸びをして、独り言を発する。  このタイミングで森の防衛機構が働かない相手は、ただ一人だけ。あまりにその本人の魔力が弱すぎて、森が敵と判別しない女。  悲哀の魔女クローデッド、彼女がこちらに向かってきていた。  彼女は昔からそうだ。  自身が生み出した魔獣の群れが敗れると、堂々と自ら敵陣に乗り込み挨拶をしに来る。  その習性は三〇〇年経った今も変わっていないらしい。  あの女を小屋の中に招くわけにも行かないので、単身外に出る。  外は夜と朝の狭間、ちょうど夜明けの日差しと暗闇が混ざりあうそんな時間。凛とした声が響いた。 「久しぶりね。追憶の魔女、いえ……裏切りの魔女アレシア」
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