第五章 苦悩の魔女アデール 5

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第五章 苦悩の魔女アデール 5

「私の心がレシファーに乗っ取られることなんてあり得ないわ。それはない」  私は心の底から断言する。  一度たりとも彼女を疑ったことなどない。 「それに、安心しなさい……私が心を乗っ取られるのを貴女が目撃することはないわ」 「断言できるほど、レシファーを信用していると言いたいのかしら?」 「それもあるけれど……その前に貴女には退場してもらうから!」  私はそう強く宣言する。  これは覚悟の宣言だ。  あきらめの宣言だ。  説得してもキテラの呪いによってアデールは死ぬ。そうなると私達が殺されるか、彼女が殺されるかの二択……  悪いけど私には守るべき人がいる。  ここで死んであげることはできない! 「大きく出たわね、アレシア。その小屋がいくら頑丈でも、攻略法なんていくらでもあるのよ?」  アデールは相変わらずエリックを狙うつもりらしい。 「小屋を壊さずとも、小屋ごと沈めてしまえばどうということもないわ!」  マズイ!   私は一気に速度を上げ、小屋に向かって急降下する。  彼女はここら一体の地形を変えるつもりだ! 「水よ、侵入者にノアの箱舟を!」  私が小屋に到着するのと、アデールの詠唱が終わるのはほぼ同時だった。 「エリック!」  エリックはいつでも動けるように準備していたらしく、盾を持って小屋の入り口付近に屈んでいた。 「行くわよ!」  私はエリックを抱きかかえ、宙に浮かぶが、前方から凄まじい量の水が押し寄せる!  彼女の詠唱にもあった、ノアの箱舟の神話のような大洪水を引き起こす魔法……  目前に迫った濁流の高さはおよそ五メートル。  とても間に合いそうにない! 「命よ、我に従い、その名を示せ!」    レシファーも呪文で地中から大規模な壁を作り出し、少しでも濁流の到着を遅らせる。  私は懸命に上を目指す。  はるか上空、レシファーの待つ空へ向かって。 「助かったわ」  なんとか濁流から逃れた私とエリックは、レシファーと並んで、アデールを見る。 「小賢しい!」  アデールは苦悩に満ち溢れた眼で、私を睨む。 「どっちがよ! エリックばっかり狙って、魔女としてのプライドはないの?」 「ふん。私が悪魔を理解していないのと同じように、貴女も魔女のことを理解できていないようね、アレシア」 「どういう意味よ」 「私は、魔女の誇りにかけてそこの人間を狙っているのよ! 魔女同士の果たし合いに、人間なんて下賤な生き物はいるべきじゃないのよ!」  私は一瞬耳が遠くなったように感じた。  下賤な生き物?  誰が? 人間が? エリックが?  分からない分からない分からない!!  アデールが言っている意味が理解できない!  あの女の考えが魔女の定義であるなら、魔女のことなどどうでもいいのかもしれない。  彼女たちの考え方が理解できないなら、私はすでに魔女ではないのかもしれない! 「レシファー。エリックを頼むわよ」 「アレシア様?」 「アレシア?」  私の感情を失ったかのような冷たい声に、レシファーとエリックは不思議そうに私の顔を凝視する。 「片づけてくるから、良い子にね」  私はそんなエリックの頬に口づけをして、ゆっくりとアデールに向かって飛行する。 「もういいかしら? 今度こそ仕留めてあげるわよ、アレシア!」  アデールはそう叫ぶと、無詠唱で水の弾丸を無数に私達全員に当たるように飛ばす。 「まかせて!」  エリックは盾を構えると、レシファーとエリックに飛んでいった水の弾丸は、見事に跳ね返り、アデールに向かう。彼女はそれに新たな水の弾丸をぶつけて相殺する。  私はなんの防御策も取らず、ただ前に進むのみ。  この程度の攻撃、私が何かしなくても森から伸びたツタが叩き落とす。  久しぶりに本気で怒っているのを自覚している。  内臓が熱い。血液が滾る。心臓の鼓動が速くなる。しかし頭は妙に冷静で、彼女が操る水よりも冷たいだろう。 「命よ、罪人に非業の死を! 血の災いを!」  今度はこちらの番。  自身の魔力が高まっているのを感じる。  最盛期とまではいかないが、それに近い魔力が戻ってきている。  やはりこの結界の中では感情が増大する。  魔力とは、自身から湧き出る物……肉体もそうだが、対をなす精神は魔力量に直結する。  私が詠唱を終えるが、なにも起きなかった。否、何か起きたと認識できなかった。 「大層な詠唱だと思えば、失敗? ハハハハハ! 裏切りの魔女にはぴったりな結末ね!」  アデールは私の魔法が失敗したと思っているのだろう。私をバカにしたように笑い、私に杖を向ける。 「水よ、侵入者に!!」  しかし彼女の詠唱はそこで止まった。  正確には止められた、私に。 「……なん、で!?」  アデールは信じられないように私を見る。  彼女は口から言葉の代わりに血を飛ばす。  血を吐き出しながら、ゆっくりと地上へ落ちていく。 「まだ分からないのかしら?」  私も徐々に高度を下げ、地上に落ちていったアデールに近づいていく。  私は地面に着地し、しゃがみ込む。  そして地面にうずくまり、もがき苦しむ彼女の顎に手をやり、引き上げる。 「私の魔法が失敗するわけないでしょ?」  私は、そう彼女の目を見て告げる。  魔法は失敗していない。  私の本気……見えない攻撃、見えない破壊…… 「花粉って知ってる?」 「……花粉?」 「そうよ。ここに生えている木々からあふれ出ている花粉……貴女だけでなく、私達も全員無意識に吸っている花粉。さっきの魔法はね、アデール。体内に残留した花粉が魔力に反応するようにする魔法なの」 「魔力に反応? そんなの……魔女か悪魔にしか効かないじゃない!」  アデールは大声を出したせいか、むせてさらに苦しむ。 「それの何が問題なのかしら? 人間をバカにしている魔女の死に際には、うってつけの魔法だと思わない? さっきの私の詠唱ちゃんと聞いてた? 血の災いをって言ってたでしょう? 最初から魔女一点狙いの魔法よ」  私はそう言って、立ち上がる。 「魔力さえなければ死なずに済んだのにねえ?」  私の言葉に反応はない。  もうアデールは体をピクリとも動かさない。  私はそんな彼女を見て、自然と涙が流れてきた。 「えっ!?」  自分でも理解できない感情……さっきまで怒りが支配していたかと思えば、今は何とも言えない虚しさが胸に広がる。  コントロールの効かない感情が自身の中でグルグルまわる。  一つ確かなことは、苦悩の魔女アデールを殺したということだけだった。  それだけだった。  私はまたも同胞を殺したのだ。  彼女とは考え方は違っていても、それでも三〇〇年来の知り合いを殺すというのは、やっぱり慣れない……  慣れなくちゃいけないのは分かっている。  分かってはいるけれど、それでも……心は痛む。  この気持ちに、この感情に名前はない。あるのかも知れないが、私はそれを知らない。  ただただ心が痛く、心が寒い…… 「アレシア」  気づくと、エリックとレシファーは私の目の前にたっていた。  声をかけられるまで気づかなかった。  どれだけ私は動揺していたのだろう。  情けないな……  エリックは、自分がかけた声に反応が無い私を、優しく抱きしめる。  久しぶりと錯覚する温度、匂い……そのどれもが私を正気に戻させる。 「ありがとうエリック……」 「えっ!? 僕なんかしたっけ?」  私を抱きしめながら驚くエリックに、少し笑った。  彼はどうしてお礼を言われたのか分かっていない。  理解しないままで、きっちり私を包み込んでくれる。欲しい時にそばにいてくれる……  本当に彼がいてくれて助かった。  レシファーは私達に気をつかってか、少し距離をとり優しい眼差しを向ける。 「本当に……ありがとう」  私は二人に向けて、ただひたすらに感謝の気持ちを吐き出した。
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