第一章 侮蔑の魔女 1

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第一章 侮蔑の魔女 1

 魔獣が私に接触する間際、先端が剣のように鋭利な太い木の根が、地面から無数に生え、巨大な壁となって魔獣の行く手を阻む。 「厄介な魔法だ」  魔獣は一度バックステップで距離をとり、うんざりするように吐き捨てる。 「私のこと、名前しか知らないわけじゃないのでしょう? 同胞達からは“裏切りの魔女”なんて呼ばれてるけど、それより前は“追憶の魔女”なんて呼ばれてたりもしたのよ?」  そう言いながらも、私は一時も魔獣から意識を離さなかった。他の同型の魔獣とは明らかに動きも違う。  普通ならさっきの魔法で殺れているはず。咄嗟にバックステップをして距離をとるなんて戦い方、普通の魔獣に出来るはずがない。 「懐かしい呼び名だ、すっかり忘れてたぜ」  魔獣は少し遠い目をしていたが、すぐに視線を私に戻し、身構えた。 「だが同時に思いだした! 今のお前には昔ほどの力はもう無い。だから新緑の悪魔なんていう、危険な悪魔と契約したんだろ? しかもこの森の維持でほとんど魔力も残っていない。お前を殺るなら今なんだ!」  魔獣が動き出そうと足に力を入れた瞬間、私は無詠唱のスピード重視の魔法で、木の根で出来た無数の槍を前方に飛ばす。 「鬱陶しい!」  苛立った声を上げ、魔獣はジャンプして躱す。  しかし私は、魔獣がジャンプしたと同時に、同じく無詠唱で地面から生やした木の枝で魔獣を縛り上げる。 「お前の言う通り、今の私に全盛期の力はもうほとんど残っていない。それでも、それでもよ……追憶の魔女とまで呼ばれた私が、お前程度に殺されるわけないでしょう?」  私はそのまま魔獣を締め上げる。  口では強がっているが、実際には今の魔法の行使でもう魔力はギリギリ、この魔獣の指摘は全て正しい。私が自由に使える魔力はほとんど残っていない。  魔獣は声にならない唸り声を響かせながら、脱出しようとバタバタ暴れている。  このまま殺してしまうのも悪くないが、コイツは明らかに他の魔獣とは違う。いろいろと尋問するべきね。  私はさらに魔獣の締め付けを強めながら、ゆっくりと魔獣に近づく。  魔獣は徐々に動きが緩慢になる……  そのまま動かなくなったかと思ったら、僅かに光だす―― 「しまった!」    私が油断していたことに気が付いた時にはもう遅い。  急いで離れようと翼の展開を始めるが、手遅れだった。  魔獣に光が収縮していき、空気がわずかに揺れたかと思うと、そのまま爆発した!  自爆だ!  目の前が真っ白になり、その直後、凄まじい衝撃が私の体に叩きこまれる。爆発は、先ほど見たものと同じ規模の威力だった。  爆風に身を包まれる刹那、自身の迂闊さを痛感する。  まさかあの規模の爆発を、なんの詠唱も準備も無しに起こせるとは想定外だ。  それにあの爆発が“自爆”だったとは思いもしなかった。この魔獣は最初二匹いたのか? 「くっ!」  数メートル吹き飛ばされた私の全身を熱風が包み、口の中までも熱い空気で凌辱される。  私は全身に火傷を負い、爆風の衝撃で衣服は破れ、体はほとんど動かせない。  だけどこれで、敵もいない。とりあえずこのままここで魔力が回復すれば、この程度のダメージならなんとかなる。  そう安心した時、少しづつ自分に近づいてくる気配を感じた。最初はレシファー達かとも思ったが、方角的にそうではないと知る。  となると答えは一つ、敵だ。私はゆっくりと体を動かそうとするが、まるで動けない。 「良い眺めだな、裏切りの魔女」  声のしたほうに視線をやると、そこには先ほど自爆した魔獣と同じタイプの魔獣が、厭らしい視線を私に向けてくる。  こいつら、二匹だけじゃないの? まさか森にいつも攻めてくるあの魔獣達と、同じ数だけいたりしないわよね?   私は最悪を想像する。あれだけの数の魔獣でも迎撃出来ているのは、あの魔獣の能力が低いからだ。  いま私のことを厭らしく眺めているコイツと同じだけの能力があったら、とっくに森の防衛機構は突破されている。その証拠に、一回目の爆発でここらの森の防衛機構は失われてしまった。 「厭らしい駄犬ね」   私は静かに挑発する。特になにか狙いがあるわけではない、このままコイツに殺されるのが我慢ならないだけだ。 「口だけは達者だな、もう抵抗するだけの力もないくせに」  魔獣はゆっくりと私に近づいてくる。私は心臓が高鳴るのを感じた。 「不死の呪いと言っても、寿命で死なないだけで、殺されればちゃんと死ぬ。長年生きた魔女の断末魔……楽しみだ」  魔獣は口から大量の涎を垂らしながらそう呟くと、口を大きく開け、容赦なく私の太ももに噛みつく。  私はあまりの痛みに、声にならない悲鳴をあげる。  太ももに噛みついた魔獣は私の悲鳴に気を良くしたのか、続けて腕や腹、胸にも噛みつく。その間、私は痛みで意識が飛びそうになるが、それでも痛みで意識が戻る。  数分たった頃、痛みと出血で意識がぼやけてきた頃、私以上に苦しそうにもがく魔獣の姿を視界に捉えていた。  いいざまね……  私は心の中でそう呟く。  血だらけで横たわる私の目の前には、私をいたぶっていたはずの魔獣が口から血を吐き、もがき苦しんでいる。 「貴様! 何をした!」  魔獣は私を睨む。  そう……まだ気づいていないのね。  魔女の体を口にするということが、どれだけ危険な行為なのか気づいていない。 「ケホッ! 私を一口で噛み殺せば良かったものを……私の体に……欲情していたぶる、から……そうなるのよ」  話すたびに口から血が流れる。  それでも……口にしたくて仕方がない! 「何をわけの分からないことを!」 「簡単よ……昔から私達魔女は、数多の薬を開発して、それを人間に……売りつけて生きてきた」  私は息も絶え絶えになりながら説明を続ける。 「効果の無いものを売ったって……意味が無い。だから私達魔女はね、自分の体で薬を試すのよ、それも何種類もね。そんな薬漬けの魔女の体を……あんなに悦に浸って噛み続けたら、そうなって当然よ」  今度は私が厭らしい笑みを苦しむ魔獣に送る。 「だが、どうして俺が魔女なんかに、特にお前なんかに欲情した? そんなはず……」 「失礼ね……実年齢は、三〇〇歳を超えているけれど……見た目は、二十代前半ぐらいのものよ?」  魔獣は苦い顔をして私を睨む。 「冗談はさておき……魔女が作る薬で、一番有名な薬って知ってる?」  私はここであえて魔獣に問いかける。 「まさか、媚薬か!」 「そのとおりよ。私が……爆風で動けなくなって、お前が現れた時に……ばら撒いて、おいたのよ。結果は上々ね」  私が息も絶え絶えにそう言い終えた後、獣は毒が全身に回ったのか横たわる。 「もう限界かしら? さようなら、愚かなワンちゃん」  私も人のことをどうこう言える状態じゃないが、最大限侮辱してやりたい。私が仕向けたこととはいえ、魔獣なんかが私の体をいたぶったのだから…… 「そうして……余裕を、見せられるのも……今のうちだけだ。直に……四皇の魔女が、お前を殺すだろう」  魔獣は苦しみながらも口を開く。四皇の魔女? 聞いたことがない呼び名ね。 「なによ、四皇の魔女って……聞いたことがないわ」 「そらそうだ。なぜなら……お前が眠っている間に、この結界内で呼ばれ始めた……もの、だからな」  さらに聞き出そうとしたが、魔獣はさっきの言葉を最後に息絶えていた。  私は魔法を呼び戻しの魔法を行使して、死んで間もないこの魔獣の意識だけ呼び覚まして尋問をしかった。  しかし自分もほとんど死に体となっていて、魔法どころじゃないことに気がついた。  私も限界に近い。血を流しすぎたためか、視界が霞む。  ポツポツと水滴が顔を滴る。  最悪なことに、このタイミングで雨まで降ってきた。  自分の体が急速に冷えていくのを感じる。このまま、本当に死んでしまうかもしれない。  やっと死ねるかもしれない……  そう思った私の脳裏には、死別した彼とエリックが並んで映る。  そうだ、まだまだ死ぬわけには行かない。私がここで死んだらエリックはどうするの? 人間たちを魔獣から護っている森は誰が維持するの? 「くっ!」  私は全身の魔力をかき集め、なんとか体を動かし、不格好ながら翼を展開してほんの少しだけだが浮上する。このままここで倒れてしまっては、本当にエリックを残して死んでしまう!  「アレシア様!!」  渾身の力で宙に浮く私が、白くぼやける視界に捉えたのは、エリックを抱えて飛んでくるレシファーの姿だった。 「レシ……ファー、エリック……」  彼女たちの姿を見て気が緩んだのがいけなかった。私は彼女達の名を呼び、そのまま意識を失った。
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