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その41 魔女の血脈
「――っ!?」
サニーは、自分の色覚が狂ったのかと束の間考えた。
セレンに向けて掲げられたシェイドのステッキ。そこに嵌められたブルー・ダイヤモンドから放たれる青い光が一瞬の内に何層倍にも拡大され、視界を青一色で埋め尽くしたのだ。反射的に目を瞑っても、網膜に焼き付いた青色がサニーの脳髄を容赦なく刺激する。
「グッ――!? アァァッ!!」
色味の暴力にひとり密かに耐えている傍らで、重厚さを纏った獣の吠え声のような悲鳴と、何か大きなものが地面を叩く音が上がった。
「う……! な、何が……!?」
くらくらする頭を抑え、チカチカと火花が爆ぜるような目を頑張って開ける。目の奥はまだガンガンと痛むが、視界を埋め尽くす青色はすぐに薄まり、状況が分かるようになって来た。
「あっ!?」
目を閉じる前の光景とは一変していた。泰然と立つシェイドはそのままだが、セレンの姿が何処にも無い。忽然と消えてしまった。
「セ、セレンさんは何処に――!?」
「彼処です」
淡々とした調子で、シェイドが前方を指差す。
「……あっ!」
廊下の壁に面した館の中庭。大穴が穿たれ、開けた景色の上空で満月が妖しく瞬いている。
その中庭の中央に、セレンが倒れていた。
壁にもたれて座る酔客のように胴体を折り曲げ、自慢の触手や茨の蔦がだらしなく周囲に投げ出されている。まるで巨大な黒い花が、枯れて萎れているようにも見えた。
「まさか、シェイドさんが……!?」
「ええ。【ヘカテーの落涙】には、先程までゆっくり月光浴をさせて上げましたのでね。月の魔力を充分に補給した今であれば、【アポロンの血晶】にも負けはしません」
「月の、魔力……!?」
「祖母の手紙を読んで、思い当たる事があったのです。改めて父の遺した資料を確かめてみたら案の定、生前の祖母を監禁していたと思しき隠し部屋の在り処が示されていましたよ。一見してそれと分からないように、資料の端々に符号となるような印を刻んでね。私はそれを読み解き、祖母の部屋を見つけました。そこに、【ヘカテーの落涙】と【アポロンの血晶】に込められた力の本質が、そして、父の生み出した呪いを打ち砕く手段が記されていました」
「……! それじゃあ……!」
「はい。今のセレンは、既に殆どの力を使い果たしている状態です。太陽の力を枯渇させた【アポロンの血晶】は弱っています。この瞬間であれば、きっと呪いの根源を引き出せる筈――!」
シェイドはステッキを握り直すと、決然とした足取りで吹き飛ばされたセレンに向かって歩いて行く。
サニーもまた、彼の後ろに付いて中庭へ出た。裸足であるが、この際それは仕方無い。瓦礫の破片を踏まないように注意して、慎重にセレンに近付く。
「ウ……ウウゥ……!」
シェイドとサニーの気配を察知したのか、セレンが僅かに身体を痙攣させ顔を持ち上げる。こちらを見る胡乱な眼差しに、初めてシェイドに対する怯えと恐れを滲ませていた。
「セレン……」
およそ一メートル程の間合いをとって立ち止まったシェイドは、変わり果てた妹分に憐れみの視線を送り、悼むようにその名を呟いた。
それから、おもむろにステッキを掲げ、再び【ヘカテーの落涙】をセレンに差し向けた。
「辛かったでしょう、父の妄執に付き合わされて。苦しかったでしょう、本心を隠しながら奉公する日々は。あなたも、あなたのお母上も、共に我々レインフォール家が生んだ歪みの犠牲者です。率直に申し上げて、何とお詫びすれば良いのか分かりません」
懺悔のように、シェイドはセレンに語りかける。
「私は、いつもあなたに感謝していました。これまでのあなたの働きは、片時も忘れた事はありません。然るに、私は何ひとつあなたに報いず、あなたがこのような仕儀に陥るまで、あなたが背負った苦難に気付きすらしませんでした。私の罪も、業も、父のそれに劣らず闇深く、救いがたい。ですから、せめて……」
満月の光が【ヘカテーの落涙】を照らす。月の魔力を吸収した青いダイヤが、次第に輝きを強めていく。
「もう、あなたを解放して差し上げます。セレン――」
青い輝きが更に強さを増す。
シェイドは口調を改め、高らかに告げる。
「我、魔女の血胤に連なる者の名において此処に命ずる。赤き宝石に潜みし悪魔よ、ヘカテーの導きに従い、月の光の下にその身を現せ――!」
「――っ!?」
呪文を唱え終えると同時に、【ヘカテーの落涙】から放たれる青光がセレンを包み込んだ。
「アアッ!? ウ、ァァァアァ――!!」
セレンが苦悶に呻きながら巨体をよじる。空気を求めるように天を仰ぎ、大きく口を開いた。
すると、どうしたことだろう。その口の中から黒い煙のような気体が漏れ出てきたではないか。
セレンの口から次々と溢れ出る黒い煙は、大気の中に霧散せず中空に留まり、次第に歪な円形を象ってゆく。
密度が充分固まったかと思いきや、次は上方に二点、下方に一点の窪みが穿たれ、中央がうず高く盛り上がる。まるで潮が引いた後に現れる岩礁のように、朧だった気体が輪郭を帯びていった。
それは……人の顔のように見えた。
「……!?」
息を呑んで立ち尽くすサニーには目もくれず、黒い顔は窪んだ眼下でシェイドを睨めつけ、ゆっくりとその口を動かした。
《シェイド……! 久しいな……!》
地獄の底で蠢く悪鬼羅刹もかくや、と思える程の威圧感を纏った声であった。『影』の怪物と化したジュディスやセレンのそれなど比べ物にならない、闇そのものを映し込んだ声。
どんな図太い悪人でも裸足で逃げ出しそうな重圧を前に、しかしシェイドは毅然と胸を張って、眼前の闇と対峙した。
険しい眼差しを向けながら、先程の闇からの呼び掛けに応える。
緊迫感に強張り、それでいて何処か甘い郷愁の響きが伴った声で――。
「ええ。またこうしてお会いできて嬉しく思っておりますよ、父上」
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