最終話 夜明け

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最終話 夜明け

 街外れにある集合墓地。  その一角にあるひとつの大きな墓標の前に献花を置き、サニーは静かに目を閉じて祈りを捧げた。  表面に刻印された文字が、朝日を浴びて克明に浮かび上がる。その中には、サニーの良く知った名前もあった。  “フリエ・レインフォール”  “ジャック・レインフォール”  そして……   「あなたも、此処で眠るのね」  目を開けたサニーが、そこに新たに刻まれた名前を指でなぞる。  “セレン・レインフォール” 「彼女は、我が家の一員でしたから。近々彼女の実のお母様も改葬し、此方へ移す予定です」  サニーは振り返る。  そこにあったのは、出会った時から変わらない、優雅で儚げな微笑み。 「私は、どうやら少し遅れることになりそうですがね」  シェイドの眉が下がり、微笑みが苦笑いに変わる。  そんな彼に対し、サニーはあえて突き放すような口調で言った。 「当たり前です。シェイドさんまで死んじゃったら、誰がこのお墓の管理をするんですか? 此処に眠る人達の冥福を、誰が祈ってあげられるんですか? 折角生命を拾ったんですから、残された者の務めをしっかり果たしてください」 「ははは、手厳しいですがその通りですね、サニーさん」  シェイドは特に反論もせず、素直にサニーが正しいと認める。 「……」 「……」  しばらく、二人は無言でレインフォール家の墓標を見つめていた。 「……何故、お祖母様は私を助けたのでしょうか」  フリエの名前を見つめたまま、シェイドがぽつりと溢した。  サニーは流し目で彼を見て、 「自分の孫が可愛くない人なんて、いませんよ」    やはり、素っ気なく答えた。 「ましてや、息子と孫が戦っている場面なんて……。フリエさんにしてみれば、一番見たくなかった光景でしょうから」 「お祖母様は、最期まで父の改心を願っていました。私も、出来ることなら父とは争わずに済ませたかった」 「シェイドさん……」  サニーは、今度はしっかりとシェイドに顔を向けた。 「ずっと、父を尊敬してきました。街の為に立ち上がり、祖母の仕掛けた呪いを解くことに生涯を捧げた立派な人間だと。私に、ありとあらゆる教養を身に着けさせてくれたのも父です。いま思い返してみても、父と過ごした日々は懐かしく、思い出に満ちています。ですが、それらの日々も全て……」   「嘘じゃないと、思いますよ」 「えっ……?」  虚を衝かれた表情でサニーを見るシェイド。  そんな彼に、サニーはにこりと笑みを贈る。  一点の曇りも無い、澄み切った微笑みを。 「あの中庭であたし達が出会ったのは、ジャックさんの『(エゴ)』です。限界まで肥大化して、自分でもどうしようもなく持て余して暴走させてしまった、シェイドさんのお父さんがずっと抱えていた心の闇そのものだったんです。それがジャックさんの本音だとしても、シェイドさんを育ててくれたジャックさんの姿が否定されてしまうことにはなりません」 「サニーさん……」 「だって、シェイドさんが言ったんですよ。“『(エゴ)』は、誰にでもある。善良なだけの人間なんて、きっとこの世の何処を探しても見つからない”って。ジャックさんは、小さい頃に辛い目に遭い過ぎて『(エゴ)』と理性のバランスが壊れてしまっただけ。そうじゃなきゃ、そもそもシェイドさんの存在を望まなかった筈です。息子を儲けて、父親になる喜びを求めたのは、ただの一時の酔狂だったと思いますか?」 「……」 「同じことは、セレンさんにも言えますよ。ジャックさんに忠実であろうとしたのも、あたしを憎んで殺したがっていたのも、シェイドさんが好きだと言っていたのだって。みーんなひっくるめてセレンさんなんです。良い部分も、悪い部分も、全て」  最後に、ジャックを止めようと出てきたセレン。  あの瞬間にこそ、きっと彼女の想いの全てが現れていたのだろう。  主人の意志と、自分の良心と、仄かに抱いた恋心。  それらはまさしく、セレンというひとりの少女を構成する、掛け替えのないピースであったのだ。  セレンの記憶と対峙したサニーは確信していた。ずっと苦しみ続けたセレンは、最後の最後で自らの心の闇に打ち克ったのだと。  皮肉なことに、ジャックの妄執は、彼が最も信頼した腹心によって否定されたのだ。 「だから、あたしはセレンさんもジャックさんも恨んでいません」 「サニー、さん……」 「あの人達の想いは、確かに見届けました。他の誰が許さなくても、たとえシェイドさんがあの人達を許せなくても、あたしは赦します」  サニーの微笑みが、満面の笑顔に変わる。  太陽の光(サンライト)のような、極上の笑みを浮かべたまま、彼女は続けた。 「だって、物書きなら登場人物の心情は残さず掬い上げなきゃいけないですから!」 「……貴女は、つくづく強いお人だ。その懐の深さがあったからこそ、きっと……」  シェイドは眩そうにサニーを見つめ、「いえ」と言いかけた言葉を途中で切った。 「ありがとうございます、サニーさん。悲願を果たせたのも、全ては貴女のお陰です」 「あたしは大した事はしていませんよ。呪いに立ち向かい、街を救ったのは紛れもなくシェイドさんなんですから! あたしなんかにお礼を言うより、今後の計画はしっかり立てておいた方が良いですよ。呪いが解けて、街が正常な状態に戻ったとはいっても、みんな慣れるまでが大変でしょうし」 「ご尤もです。街の人々の中には、まだ朝に起床することさえ満足に出来ない方が大勢いらっしゃいますからね。まずはこの四十年ですっかり染み付いた、生活のリズムを変えさせていく事から始めてみるつもりです」 「頑張って下さい! あたし、応援してますから!」 「はは、まあ気長に指導していきますよ。時間は沢山あるのですから」  サニーとシェイドは、最後にもう一度墓標の前で祈りを捧げ、おもむろにその場を離れた。  墓地の出口で待っていたケルティーが、二人の姿を認めて首を持ち上げる。 「サニーさん、本当に送っていくのは街の入り口までで宜しいのですか?」  ケルティーに跨り、サニーに手を差し伸べながらシェイドが尋ねる。 「はい、そこまでで結構です。呼んでいた馬車が、昼頃には到着するらしいですし」  差し出された手をしっかりと握り、馬上に引き上げられながらサニーが答える。 「分かりました。では、最後の相乗りといきましょうか」  紳士然と微笑んで、シェイドがいつものように手綱を掴み、ケルティーの腹に軽く踵を当てる。  主人の命令を受けた愛馬が、嬉しそうに嘶きを上げて脚で地を蹴る。  風が、二人の頬を優しく撫でながら背後へ流れていく。  サニーは、自分に触れた風の動きを追うように振り向いた。ケルティーが駆けた後の地面に、自分達の影が長く伸びている。  人には誰しも影がある。それは光によって生まれ、自分の裏側となり、絶えず付いて離れない。それは自然な現象であり、何者であろうと避けることは不可能だ。  丁度、人の心に闇が存在するように。  時にはその闇が大きくなりすぎて、外に漏れ出し、制御が効かなくなることだってあるだろう。負の感情が閾値を越えた時、人は自らが生み出した影に呑み込まれて『(エゴ)』となる。  “人の生涯とは、動き回る影のようだ”と有名な戯曲の一節にもあるように、それは人生にとって不可避の宿業なのだろう。  しかしそれでも、心の闇を克服する希望はいつだって残っているのだ。  光も、闇も、両方備わっているのが人間なのだから。 「そう言えば、サニーさん」  ケルティーの背に揺られながら、シェイドがそれとなく尋ねてくる。 「本の題名は決まりましたか?」 「はい!」  サニーはおもむろに手帳を取り出し、一番新しいページを開く。  そこには、踊るような字で力強くこう記されていた。 『影喰いの紳士と影無しの街』  〜完〜
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