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奇妙な依頼
空間に綴る
「購入するエアリアルルームを、私の棺にするつもりです」
目の前の女性の言葉にぎょっとした。
迷いのない瞳に、意志のこもった唇。その独特な雰囲気に気おされる。
空間コーディネーターとして独立後、そのような不穏な理由でのエアリアルルームの購入は、初めてだった。
動揺した。
『自殺』
とっさにその二文字が頭に浮かんで、北川 巽は胸がざわつくのを抑えられない。そんな様子が顔に表れていたのだろうか、依頼人の女性が、慌てて眉を寄せた。
「棺といっても、お墓のようなものですから。大丈夫、心配しないでください。そんなご心配をかけるような理由じゃないですから」
安心を与えようと言葉はすげ替えられたが、結局のところ核心部分は同じ要素じゃないかと、北川は相手にはわからないように細く息をついた。不穏な理由ではないと断言してはいるが、不安感は拭えない。
この荒唐無稽な依頼に、北川はしばらく沈黙した。その間に芽生えた不安は徐々に負の要素へと変わっていく。
ピクピクと目の下の皮膚が痙攣してきた。拒否反応の自覚あり。
「……いやいやちょっと待ってください、待ってくださいよ」
北川が、全身で表現する否定に、女性は慌ててその場を取り繕うとする。
「大丈夫です、本当に。購入するお部屋で余生を送りたい。ただそれだけなんです」
嘘だ。
余生だと? そんな歳じゃないだろう。
震える指先で手元にある書類を一枚めくった。目を落とす。
エアリアルルームの購入契約書には、氏名と連絡先、住所そして生年月日。自分より若い女性を前にして、北川はさらに訝しむしかできなかった。
「えっとですね……それはどういうことなのか詳しく訊いても?」
触れてもいい話題なのかもわからない。そろりと一歩を踏み出すように、慎重に問うた。だが、彼女は小さくため息。
「そのままの意味ですけど……どこかおかしいでしょうか?」
サラサラな艶のある黒髪。肩にかかるストレートがひと房、揺れる。
(どこかって……エアリアルルームを棺にだぞ? これは自殺でもするんじゃないかと一番に疑う案件だろう?……無理だろ普通に)
女性の第一印象。黒髪のせいだろうか、美人ではあるがどこか陰を感じる風貌も、北川にブレーキをかけさせる。即刻、断ってもいい案件だと自分自身に言い聞かせようとした。
とはいえ考え込んでしまう。
幼い娘をひとり抱え育てているシングルファーザーの身だ。持ち込まれた依頼を前にし、そうそう選り好むことはできない。シーソーのように傾いてしまうのは、先ほどから提示されている依頼料の金額のせいだ。北川の収入がまだ安定しない今、喉から手が出るほどの高額な数字が並んでいる。
(受けてしまおうか……)
乾いた唇を舐めた。
確かに。
依頼者の希望通りコーディネートしたエアリアルルームを売りつけたのちに契約満了してしまえば、そこでなにが起こったとしても、そこから先は依頼者の責任で、自分は知らぬ存ぜぬと突っぱねることもできる。
「そんなに難しい依頼ではないと思います。要は、なんの意味も持たない空っぽな、ただの棺のような部屋を作っていただきたい、というだけで。そしてそこで日記を……」
途切れた言葉と引き換えに伏せられた睫毛は長かった。
「……日記を綴りたいだけなんです」
北川は、リビングの掃き出し窓へと目をやった。
この日。
窓の外では長い冬を経てようやく訪れた小春日和。
花冷えの季節特有の少しだけひやとする風が吹いているのみだった。
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