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開店前のわずかな時間。私はとある棚の前にいた。青と黄色の画用紙をハートや風船の形に切り、特集された本の世界観を視覚的にわかりやすくしていた。
「ちょ、ちょいちょい! ここは俺がやるからええって」
奥から走ってきたのは嘉永先輩だ。歳を重ねても足腰が強く、後輩からも慕われて頼りになる書店員である。
「いや、私だって書店員ですし」
「それはそうやけど! はあ、イベントの準備が先やって……、ちょーい!」
同じ表紙、同じ作家名、同じ出版社。そのうちの一冊を確かめるように手に取った。
「厚くて重量感がありますね」
「そうやな」
一文字が一文に、一文が文章に、文章が束に、束が一冊の本に。
一人の想いが色んな人に助けられ、出版化された。
「……ほっぺ、引っ張ってください」
「おう。いでで……」
「何故、自分にやるんですか」
「毎回毎回、女の子にやれるわけないやろ」
「もう女の子という歳じゃありません」
「女の子はいつまで経っても女の子や。特に俺の奥さんはめっちゃ可愛いで」
わからん奴は眼科行かな、と頭を撫でてくれる。わしゃわしゃ系じゃなく髪を梳かす系だ。
小説を持つ手は震えるし、目頭は熱くなってきた。
「……っ、ふ……ぐ」
上手く言葉を紡ぎ出せないのは悔しさではない。じわじわと温かいものが胸に迫るからだ。
「おめでとう、ゆめちゃん。今回もよう頑張ったな」
慣れなかった。何度、この日を迎えても慣れない。
献本が届いて泣き、実物を並べる時も泣く。こうして棚を見ても涙を零しそうになる。年取ったせいで余計涙脆くなってしまった。
「どうや。俺の作った棚も傑作やろ?」
「はいっ……。お見事です……」
滲む視界にぼんやりと映るのは『鷲見ゆめ』特設コーナー。
デビュー作から新作、関連書籍、先輩……いや、旦那の熱いPOPまで飾られている。棚と台を使った大々的なアプローチ。
「妻の初サイン会なんや。気合い入れるやろ」
彼は、私の背丈まで腰を曲げて破顔した。視界が弾け、胸の中でハート型の花火が打ち上がる。
「ありがとう……ございます」
「嬉しいやけどな。夢叶った時は、もっと別の言葉あるやろ?」
本当に、この人は。いつからそうだったのかと聞けば、私が面接に来た日だと言う。下心ありありだ。
「幹さんの夢叶いましたね。おめでとうございます」
お客様や友達、ライバル達に魅せるのとまた違う、泣き笑いで彼を祝福した。
「ありがとう」
幹さんの目元が赤く染まっていた。
夫婦共に棚を見る。夢が詰め込まれたそこを通る読者や未来の卵を考えながら、私達は各々の仕事場に戻った。
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