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『文字屋』の仕事にかかわる者と、ご近所の方が30人ばかり、店内から溢れるほどに、ひしめきあっている。
月末の日、『文字屋』の主であるアゾフと共に旅立ったキュレイの帰りを出迎えるためであった。
「若旦那、今度、お見合いしない? あたしが、全部しきるからさ」
仕立屋のおかみさんが、皆にお茶を配ってまわるカイトを捕まえて尋ねる。
「お? 若旦那はいくつだっけ?」
「にじゅういち~」
本人より先に誰かが答えた。
「そうか、じゃあ、そろそろ、一緒に文字屋を盛り上げてくれるのを見つけないとなぁ」
「駄目駄目、うちの娘が大きくなるまで、ちょいと待って」
「月日が経つのはやいね~。あんな小っちゃかったのに」
などと、皆が騒々しい。
「カイトはどんなのが好みなんじゃ?」
『文字屋』に紙を卸している紙屋の老人が大声で問うた。
「・・・・いや、私は婚姻はまだ・・・」
はっきりと答えないカイトに対して、馬買いのおやじが茶々を入れる。
「こう、でっかいのがいいとか、丸顔が好きとか、お前はどこに魅せられるん
じゃ?」
「いや、私は、それどころじゃなくて・・・」
言葉が続かないカイトの首に、背後から白く細い腕が絡みつく。
ビクッと驚き、振り返ろうとするも、すでに女の顔が、ピタリとカイトのすぐ横にあった。
「カイちゃんさ~、あたしと結婚するって、言ったよね~」
『文字屋』の三軒隣で小料理屋を営むセニの化粧された美しい顔が、カイトの頬と触れ合っている。
「ね、姐さん、近い近い」
「覚えてるんだけどな~」
セニは綺麗な細い指で、カイトの頬をそっと撫で、耳にフッと息を吹きかけながら身を離した。
カイトの手からお茶の入った大きな急須を受け取って、馬買いのおやじの空になった湯飲みに注ぐ。混雑した中で、軽やかに動きまわるその身のこなしは、踊り人のように美しい。
「ありがとありがと。カイトはそーだよな、小さい時は女とばかり遊んでたよなぁ」
「あたしが連れまわしてたからねー」
セニは周りを見渡して、おかわりと突き出された湯飲みにお茶を注ぎながら、子供時代を懐かしむようにこたえた。
「姐さんにはお世話になりました」
恐縮しているカイトの胸を、今度はネメがするすると近づいてきて、ドーンと叩く。
「いやいや、稽古に励んでいるから、今、若旦那、すごい身体してるのよ」
幼少を知るセニにとって、カイトが武道に励んでいることは意外な様子。目を丸くして聞き返す。
「本当?」
稽古に励んでいる事に対する問いと思ったカイトはただうなづく。
「見せろー!」
セニが襲いかかり、どっと沸いた。
奥の部屋では、10人ほど、机を並べて読み書きに励んでいる。リンがもちろん先生だ。隣から聴こえる笑い声に、耳を奪われ集中できない。
「なんだあいつら、馬鹿騒ぎしやがって!」
羨ましい気持ちを抑えて、リンが、皆の思いを口にした。
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