病めるときも、健やかなるときも

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打ち込んであった短い文章にひばりは何度も何度も目を走らせる。 「もしかして…」 ひばりはハッとして顔を上げた。 一星(いっせい)がぶつかり続けていた壁はひばりの自宅がある方角だ。 確かな証拠があるわけじゃない。 ゾンビになっても意識や思考が残っているなんて、これまで一度たりとも聞いたことがない。 だがひばりにはわかった。 一星があの日からずっとひばりを思っていてくれていたことが。 世界が変わっても、自分が変わってしまっても、一星はずっとひばりに会いに行こうとしてくれていたのだ。 ひばりの目からポロポロと涙が溢れ落ちる。 涙は一星の乾いた肌に吸い込まれて消えていった。 「ごめん…」 ひばりは一星を抱き締めると声を震わせた。 胸に抱えていた想いが堰を切ったように溢れ出してくる。 「本当はあの時あんな事言うつもりじゃなかったんだ。ごめん…一星…ごめん…ごめん」 遂に動かなくなった両腕の代わりに口を使って、ひばりは締め切っていたカーテンを開いた。 数年ぶりに浴びた日光に、壁が、天井が、本棚が笑っている。 窓際にあるベッドに横たわるひばりは、春の穏やかな日差しに目を細めながらその時を待っていた。 間もなくひばりは死ぬ。 映画やドラマの世界ではそうならないだろうが、これは紛れもない現実。 その運命だけは絶対に変えられないものだ。 不思議と恐怖や焦りは感じなかった。 一星はあーうーと唸りながら、ひばりのいるベッドの周りを行ったり来たりしている。 「なぁ、一星…」 ひばりは口を開いた。 一言話すだけで、まるで全力疾走したかのように体力が消耗されていく。 ふう…と小さく息を吸って、ひばりは続けた。 「俺がゾンビになったらさ、もう一回やり直さないか?俺たちの恋。ゾンビ同士で恋愛とかあり得ないって思うかもしれないけど、ほら、…やってみなきゃ…わかんないだろ?あ〜つまり…これが…人類最後の恋で、今から始まるのがゾンビ同士の初めての恋?みたいな…。大丈夫、俺…ゾンビになっても…一星のこと好きになる自信、あるからさ…」 その時、どこからともなく声が聞こえてきた。 『俺もだよ…』 ひばりはふふ…と微笑む。 その目はもう光を捉えてはいない。 「ヤバ…めちゃくちゃ恥ずかしい…でも…うれ…しいな」 翌日、ベッドの上で一体のゾンビがむくりと起き上がった。 ベッド脇を往復していたゾンビがそれに気づき、歯を剥き出しにして威嚇する。 だが、二体のゾンビは攻撃することなく互いの顔をじっと見つめ続けた。 数分後、ゾンビはそろそろと相手に向かって片手を伸ばす。 ちょん、と指先が触れると手を引っ込め、また伸ばす。 何かを確かめるように何度も何度も指先を触れ合わせると、やがてどちらからともなく手を繋いだ。 足を引きずり、傾いたからだをトントンとぶつけながら、二体のゾンビはふらふらと部屋から外へ出る。 その手はしっかりと繋がれたままだ。 そして、退廃した街の中へと消えていったのだった。 end.
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