自分勝手で切実な願い

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自分勝手で切実な願い

 高校卒業後、私はバイトしながら、なんとなく生きていた。 彼と彼女がいない事以外に特に不満はなく。 不満というよりは、不安だろうか。 親友との日々や彼に恋してる気持ち、それらが消えてしまう事への恐怖。  でも実際は、簡単に消える気持ちではなかった。 最初に知った気持ちとは確かに変わってはいたけれど、消えていないし、会えない分想いは強くなっている。 彼も彼女もいたあの日々よりは時間の流れが遅くても、退屈するわけでもなく、本当になんとなくな毎日。 どこか夢見心地。 これは夢だから、苦しまなくていい。 難しい事は考えたくないし、面倒臭い事もしたくない。 綺麗なものだけを見ていたいし、嫌な言葉は聞きたいくない。 この発想は、彼女と別れ、今の彼を知る事が出来ないこの時期に生まれたものだろう。 そういった自分勝手で切実な願いが次から次に生まれ、私の一部になっていった。  特に努力もせず、その分大きな幸せも得ず、彼の脱退を聞いてから3年が経った頃。 バイト先の近くにあるCD屋さんに、彼のいたバンドのサインポスターが飾られていた。 ただいま、と書かれていて、私はそこにあるはずだった彼のサインを想像し、辛くなる。 「先輩!」 明るくハキハキした少年の声。 振り返ると、バイト先の後輩がいた。 その子は、見た目は完全に野球部なのに帰宅部で、同じ高校出身だからという理由で、バイト中以外は私を先輩と呼ぶ。 先輩と呼ばれるせいか、私よりも年下なのにしっかりしていて社交的だからなのか、私は話す度に変に緊張してしまう。 「外から先輩が見えたので来ちゃいました。あ、この人達、地元ここですよね。このバンド好きなんですか?」 興味津々といった風に聞いてくるところがなんだか鬱陶しくて、好きなものを共有したくない私にとっては嫌な質問だった。 「デビューする前に、何度かライブを観たことがあって」 何度も、が正しいのだけれど、私はなぜか嘘をつく。 「凄いですね!!レアですね!」 確かにレアだ。 今、このバンドには彼がいないから。 「先輩ってよく音楽聴くんですか?」 「あんまり聴かないかな」 「へー。じゃあ今はライブも全然?」 「全然行ってないよ」 「そうなんですか」 質問されるのは苦手なのに。 「先輩、じゃあ行きますね!また!」 聞くだけ聞いて走り去っていった。 鬱陶しく思ってしまったけれど、私は自然と笑顔になっていて、辛い気分が束の間、消えていた事に気付く。 無邪気に、私について聞いてくれる後輩に、自分の好きな事について話したなら。 自分の大事なものが奪われた気分になるだろうか?  やっぱり、一人で心の中だけで大切にした方が良いのだろうか。 「友達の友達として最初は会ったの」 自分の事を詳しく聞かれるのが嫌いなくせに、私は彼女に、彼氏との出会いについて聞いたことがあった。 「友達の友達?」 「うん。友達と出掛けてる時に偶然会って、私が一目惚れしちゃったから、後から友達に連絡先聞いたんだ」 「そうなんだ」 「向こうも気になってたって言ってたけど、実際は分からない。まあ、アプローチしたのは私」 「なんか、かっこいいね」 「そう?」 「うん。すごく」 本当にかっこいいと思った。 彼女は私に 「なんか恋バナないの?」 なんて聞いてこなかった。 今思えば、私は彼女に気を遣わせていた部分が沢山あるのかもしれない。    彼女がいなくなってから、私の夢に出てくる確率が一番高いのは彼女だ。 逆に、彼の夢は見たくても見た事がない。  例えば、まだ深い時間に目が覚めてしまった夜。 ベッドから起き上がり、台所に向かう。 水を飲むと、優しく声を掛けてくれた彼を思い出し、夢に出てきてくれないだろうか、と物思いに耽ったりした。 そうやって切なさの似合う、静かな夜を何度も越えて、私に喜びが近づいていた。    再会は本当に偶然だった。 隣の駅までパッと買い物に行った、平日のお昼前の時間。 人の少ない駅のホームでベンチに座り、地下鉄を待っていた。 彼の曲を聴きながら。  曲を聴いている間は、彼や彼女の事を近くに感じられる。 彼と彼女を思い、恋しくなり、切なくなり、苦しい。 苦しさから余計恋しくなる。 私はその感情のループに依存していたようにも思う。 そして、そのループの中にいる事は、いつか彼に会えるのではないかという期待でもあった。  まさに、期待を抱いていた時。 駅の反対ホームに彼を見つけた。 5年ぶりの彼は、最後に会ったあの日のように、ベンチに座りながら彼の曲を聴いているタイミングで、私の前に現れた。  私は立ち上がる。 こんな自分は初めてで、心が追いついていないのに、体は彼の方に向かっていく。 彼の姿が見られて良かった。 大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、生きていて良かった。 私は走る。 何を伝えようか、考える。 お礼だけは言いたい。 私は救われたと。 あなたのファンで良かったと。
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