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故意の3回目
「ありがとう。本当に」
彼に言われた初めての「ありがとう」だった。
そこから少しの沈黙。
沈黙を破るのは私がいい。
夢のような時間の中で、私は怖いもの知らずになっていた。
「また、会えますか?」
彼は、破られた沈黙にホッとするより先に、私の言葉に戸惑った。
それでも、
「はい。会いましょう」
と優しく言ってくれたのだ。
私達は時々会う仲になった。
カフェで会うのがほとんどで、あとは公園のベンチに座ってお喋りしたりした。
本当に普通の会話だったと思う。
学校でそんなに親しくないクラスメイトと交わす挨拶程度の会話みたいなものだったり、私が彼女と話していたような、好きなドラマの話だったり、好きな小説の話。
次第に、沈黙が訪れても気まずさも感じなくなるほど会う回数を重ねる。
お互い会話がうまい方ではないと理解し合っていたから、沈黙さえもひとつの大切な時間のようだった。
何より、誰かと会話をする機会を望む。
その機会があるだけで安心出来る。
初めて公園で待ち合わせた時、私は彼が来るのをベンチで待っていた。
彼の曲を聴きながら。
そして、彼がこっちに向かってくるのをただ眺めた。
日差しが眩しく、その中を歩いてくる彼を見て、私は苦しくなる。
彼と再会して、私はまた恋心を抱いた。
前は彼の事を全然知らなかったけれど、今はきっと前と違う。
彼を知っていく中で恋に落ちてゆく。
「お待たせ。思ったより時間かかっちゃって、ごめんね」
その頃はお互い敬語をやめていたから、彼はタメ口で謝った。
「3回目」
「何が?」
私がいきなり言った、「3回目」の意味は秘密にする事にした。
「今度教えるね」
「もしかして、遅刻した回数?本当ごめん」
勘違いした彼は真剣に謝っている。
「違うよ。謝らなくて大丈夫」
「なんだろ。3回目?」
彼の曲を聴いてる最中に、彼が私の前に現れた回数。
3回目。
でも3回目については、彼が来るのを知っていて彼の曲を聴いていたから、本当は2回なのかもしれない。
故意に作った3回目。
それは、彼が私を好きか分からないまま過ごす時間みたいだった。
彼と会うようになって1年。
彼が私と会ってくれる理由を深く考えないようにしていた。
ただ、楽しいと思ってくれているならそれだけでいい。
たまにする切ない表情や、綺麗なものを見た時に自分を責めてしまうような表情を少しでも減らしたい、と。
彼のピアスの穴が前より塞がっている気がして、全盛期の彼はもういないと悟る。
「好き」
誰もいない川のほとりで、花火をしている時だった。
静けさや夜や花火の色のせいだと思う。
私は彼に言ってしまった。
次の花火をどれにしようかと迷っていた彼は、一瞬哀しい表情をした後に私を真っ直ぐに見つめた。
だから私はもう一度、
「好き」
と言う。
彼はしゃがむ私の方に近づいてきて、隣にしゃがむと、そっと優しく抱きしめてきた。
幼い頃の事ははっきり覚えていないから、記憶にある限り、誰かに抱きしめられるのも、誰かを抱きしめるのも初めてだった。
初めて知る幸せのせいで、私はもっと彼を知りたくなってしまう。
「一緒に暮らそう」
私は本当に怖いもの知らずだった。
彼が断るはずがないとさえ思っていた。
「うん。そうしよう」
彼はそれだけ言うと私から離れ、適当に手持ち花火を選び、火をつけた。
そして、緑色の花火を見ながら、
「いつから一緒に住む?」
と聞くのだった。
私は彼の住んでいたアパートに引っ越す。
二人ともバイトをして生計を立てていた。
私は朝が早い日と遅い日、色々なパターンが合ったけれど、彼は大体お昼前に家を出る。
引っ越した初日に彼は言った。
「お互い、無理はしないようにしよう。無理せずに、思いやる程度に」
最初は、思いやるという言葉に喜びを感じたけれど、すぐに冷たさも感じた。
でもその言葉は彼なりの優しさでもあると分かっていた。
そんな事を言ったくせに、引っ越し後、初めて迎えた朝。
私が8時前には家を出ると言っていたからか、彼は私より早く起きて朝食を準備してくれた。
「無理しないようにって言ったくせに」
私が彼に言うと、
「これは思いやり」
と優しい笑顔を見せた。
私が部屋を出る時も
「いってらっしゃい」
と微笑んで、送り出してくれた。
私は幸せに包まれながらも、私がいなくなった後、彼はどんな表情で何を思うのかが気になった。
彼が怒と哀を私に隠す前。
不機嫌な朝があった。
前の日の夜にコンビニに行ってから様子が変だった。
私は話しかけないようにして、テレビでニュースを見ながら朝食をとっていた。
内容は入ってこないけれど、頑張ってニュースにだけ集中するようにして。
それでも、彼が作ってくれていたマカロニサラダを食べて
「すごい美味しいよ」
と言うと
「良かった」
と優しく返してくれた。
後になってから、「何かあった?」と聞けば良かったと思ったけれど、その時はそれが精一杯だった。
私は彼に一切、感情の起伏を見せていなかったと思う。
でも、その感情の起伏を見せない事が私にとっては無理をしない事でもあった。
彼もCDを3曲目から聴いた私に対して怒りを向けてしまってからは、怒と哀を見せない方が楽だと気付いたようだった。
彼の側にいるだけで幸せだった。
彼が笑顔を見せてくれれば、それだけで良かった。
そうしてあっという間に、彼と暮らして3年が経った。
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