おならもんいおうな

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 僕はかつての港区あたりにある家屋に担ぎ込まれた。建材に使われている木の香りが爽やかな、こぢんまりとした平家だった。この時代は庁舎や病院などの公共施設を除いて、ほとんどの建造物が木造平屋なのだ。 「横になったままで聞いて」  イオーナはかいがいしく看護をしながら、僕にレクチャーをしてくれた。彼女によれば、31世紀とは僕のような時間跳躍者のための数え方だった。実のところ人類の歴史は1000年の間にいちど終わっていて、今は大洪水によって地上が完全にリセットされてから数百年後の世界らしい。 「イルカ達から聞いた話だけどね」 「へえ、イルカが世界を創造した神なのか」 「ちょっと違う……かな。どちらかというと終わらせた側ね」  一度絶滅した人類は、旧世紀の遺構や遺物を使ってなんとか復興してきた。知識や技術の面で有利な分、旧西暦の中世よりもはるかに文明が発達しているが、それでも世界の総人口は3億を超えていなかった。  日本列島で唯一の都市・カントウ――かつての関東平野全域――でも、全島民の半数、約100万人しか住んでいないそうだ。 「どうりで昼間でも、都心に人通りが少ないわけだ」  この時代は、生まれてから子育てを終えるまでを都会で過ごし、子が成人した後は好きな余生を送る、というのが標準的な人生設計らしい。 「私は先月まで、カブトガニの養殖をしていたの」  イオーナはかつての江ノ島あたりに住んでいたという。そろそろ出会いがあってもいいころだと都心に出てきたところ、僕が目の前に落ちてきたそうだ。 「運命よね、この出会いって! 私、そう確信した。だから私、必死でペンダントを握りしめたの」  公衆電話はなく、携帯電話はまだ再発明されていないそうだ。ボタンを押せば緊急無線信号(エマージェンシーシグナル)を発するペンダントが、非常時に助けを呼ぶ唯一の手段なのだ。 「シュウはハンサムだから、1週間も施設に入ってたら医者か看護師に言い寄られるでしょ。だから私は先手を打って、身元引受人になったの」  嘘を微塵も感じさせない笑みを、彼女は満面に浮かべた。アネモネの香りがそこはかとなく漂ってきた。
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