紡ぐ祝詞は異国に響く   天暦一〇四二年 十月

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紡ぐ祝詞は異国に響く   天暦一〇四二年 十月

 たどり着いたその町は、どこか甘い花の香りがした。背の低い家々が立ち並び、町の入り口から続く道は土が慣らしてある程度。草木と土と花の香りがする、どこかゆったりとした町だった。  レオノーラはその纏う装束から司祭であると理解されるまでは早かった。司祭として教えを説きに来たのか、と問われることはよくあったので、今のところはそういうわけではない、ということだけ伝えておく。  町から町へ、国から国へと流れている人間だが、神の教えを説いて回っている、と言われると、少し趣が異なるのだった。  レオノーラは町の入り口にある案内所で、受付をする男性へ一度目を合わせてから、緩やかに右手を上げた。さらさらと宙に指を走らせていけば、その軌跡が光をまとい文字をなす。理由(わけ)あって言葉を発することが出来ない彼は、常にこうして文字を綴り、言葉を待つ。  ただ、少々不思議なことがひとつ。案内所の青年に頼んだのはとりあえず二週間ほどの滞在が出来る宿の斡旋。けれど案内されたのは何故か宿屋ではなく定住用の住居斡旋所。  再度、同じように願ってみるかと右手を滑らせ始めたところへ、ひとりの青年が尋ねてきた。 「おや、アルバ。どうかしたかね」 「部屋をひとつ頼みたい。今の部屋にいられなくなってしまった」  そんな気配はしていたんだ、と彼は続けた。それだけ言えば、この店主は理解ができたらしい。レオノーラは内心首を傾げる。 「出来れば安いほうがありがたい」  その言葉に、店主が物件を探し始める。はじめは青年――アルバだけに話しているのかと思えば手招きをされた。レオノーラも示す資料をのぞいた。そこは、ひとつの一軒家だった。  確かに指定された値段は、様々な場所を渡ってきた感覚的にはそれなりだと思った。この町の物価はわからないが、一軒家の値段としては破格である。  けれど、その店主は「部屋数も多いのだから、ふたりでシェアすればいい」という。  安いほうがいいに越したことはないし、レオノーラにもこの町でやらねばならぬことがあるが、共同生活はさすがにまずいと思った。そっと指で宙をなぞる。 ―― 出来ることなら安いことに越したことはないけれど、屋根を同じくすると言うなら別を当たらせてもらいたい ―― 「……ということだけれど」  アルバはそうこちらの意を汲んだ。不動産屋の男は難しそうに眉をひそめ、頭を振る。 「うち以外に宿の斡旋を行っているところはないんだよ。だから、うちを出ていくと言うなら宿のあては無いと思ったほうがいい」  そう静かに告げられ、レオノーラは黙り込むより他になかった。昔はいくらかあったんだがな、と男はいうが、現在あてが無いというのならどうにもならない。  結果として、二週間という期限を決め、その間好きに家を使ってもらって構わない。もし都合がいいのなら、正式契約としよう、という形で落ち着いた。  案内されるまま、アルバの後ろを歩む。  この町で魔術を使うものは少ないんだ、と、唐突に同居人となった青年、アルバは説いた。魔術を閉じ込めた道具を使うことはあっても、術を使うものはそういない、と。 ―― 私に出来ることは、人を見送ることだけだ ――  生かすことも癒やすこともできないが、安らかな最期を導くこと。それくらいしか出来ないんだと言えば、なんだ、と彼は言葉を継ぐ。 「僕も同じだ。出来ることは、髪を切るだけ」  他のことはさっぱりだ、と肩をすくめるその仕草に、芝居っ気はひとつもない。 ―― あまり、喜ばれるものではないよ。私の祈りは死に近い ―― 「人は誰でも死ぬだろう。その旅路が安らかならいいことだ」  そのための祈りなのだろうと、彼はきちんと理解をしてくれていた。  珍しい話だった。大概自分の降霊と祈祷は、大概どこへ行っても煙たがられるものだったから。  開けた先は、一面薄紫の美しい花畑。おそらくこの規模ならば農場なのだろう。その花をよく見ようと近寄るレオノーラをアルバが引き止めた。 「あまり寄るものじゃない。きみが眠りについても、祈るものは誰もいないよ」  その言葉に、視線を向けた。首をかしげるレオノーラへ、アルバは詳しいことを語るわけでなくその腕を引くだけだった。  花畑を抜けて紹介されたその物件は、少し古い二階建ての家であった。さほど広いわけでもなく、部屋も手にあまるほどではない好物件と言えた。町中からもさほど離れていないのに破格の安さで、何かあるのではと思ったレオノーラだったが、特段『声』が聞こえるわけでもない。おかしなところは何もないように思えた。  玄関からのびる廊下を進んだ先にはダイニングがあり、二階へ通じる階段を登れば部屋がいくつか。ベッドのある寝室はふたつほど。 「どう思う?」 ―― 思っていたより、ずいぶんと良い家だ ――  同感だ、とアルバは笑ったが、好物件が安い理由にも思い当たる節があるらしい笑みを見せていた。それを、果たして聞ける日が来るのか。それは、レオノーラにはわからない。  話し合ってレオノーラは二階の角の寝室を借り受けることとした。荷物を置き、外を見ればそろそろ日も暮れる頃。見える山の縁は紫に染まり始めていた。  そして、夜も更ければいつもどおり、眠れぬ時間がやって来る。  彼が呼ぶ「神」の性質のせいで、気にかかることがあった。この町に来た理由も、つまるところはそれに尽きる。  気にかかるものは仕方がない。図らずも同じ屋根の下に過ごすことが決まった同居人が目覚めぬことを願いながら、一階へと降りる。  けれど、レオノーラの願いはあっけなく破られる。アルバはまだ就寝しておらず、キッチンと地つなぎになったダイニングにてひとり晩酌を行っていた。机の上には大きな氷の入った背の低いグラスがあり、その傍らには蜂蜜色の液体が入った四角いボトルがある。 「この夜更けにどちらへ?」  そう彼はグラスをこちらへ促すように傾ける。けれどレオノーラの服装を見て思い出したのか、「司祭様にこれは不敬かな」と苦笑した。  レオノーラは頭を振る。ただレオノーラはあまり体質的に強くない、というだけの懸念があった。気持ちだけ頂いておく、と返す。 ―― ききたいことが、あるんだが ―― 「?」 ―― あの花畑は、昼夜を問わず入ってはいけないんだろうか? ――  そう問いかけたレオノーラへ、アルバは不思議そうな顔をした。 「ずいぶんとご執心だな。そんなに気になるかい?」 ―― きっと、きみが思うのとは違う理由だ ――  あれは国有地だからなぁ、とアルバは思案するように視線を外す。花を傷つけるつもりもない、とレオノーラは続けた。 ―― ただ、探したいものがある ―― 「……?」 ―― 見つからないならばそれも仕方がないことだけれど、多分、あの花畑にいるはずだから ――  彼からすれば、きっと要領を得ない話だっただろう。けれどアルバから出たのは意外な言葉だった。 「いいよ。ただ、僕も行こう」  ひとりじゃ難しいだろうから、と彼は柔和な笑みを見せる。少し違和感を覚えながらも、レオノーラは彼を伴い花畑へ向かった。  夜灯はやせ細った月ばかりなのに、その花畑は明るかった。陽の光を蓄えて、青白くほのかに光る花々は美しくもどこか恐ろしく思えた。 ―― 夜に咲く花、なのかい? ――  星屑色の文字が宙に踊る。アルバは頭を振った。 「昔はランプの代わりにしていたそうだ。けれど、夜にこの花畑を見るのは僕も初めてだ」  怖いくらいに綺麗だ、と。彼はレオノーラの感想と同じことをつぶやいた。  この花はこの国の特産であり、一番の産業なんだ、とアルバは言った。ここのものはいずれ町の外へと輸出されるのだという。観賞用なのか、と尋ねてみれば、主に加工されて薬として出荷されるそうだ。 ―― もったいない話だ ――  柵の鍵は古くなっており、少し揺らせばカタンと外れてしまうような代物だった。身を滑り込ませ、迷うこと無くレオノーラは歩き出す。その花々は決して背が高いわけではなかったが、かなり広大な畑であるこの場所へ、初めて入る人間の歩き方ではなかっただろう。  それでも、アルバはなにか問いかけることはなかった。  そろそろ花も散り、育ちすぎたものも見える畑の奥。この辺りはしばらく人が入っていないという。なんでも、少し畑を休ませる時期なのだそうだ。そんな場所へ、レオノーラはがさりと分け入った。  そうして、彼がその青々とし始めた草原からすくい上げたのは、まだ十歳程度の少女だった。  少女は抱えあげるレオノーラの腕にくったりと身を預けて眠っていた。ほんの少し、抱きしめる手に力がこもった。無事に見つけてあげられた安堵が少しと、読めない状況に対する戸惑いと。心中は複雑だ。 「……聞かせてなかったのかな。この子の親は」 ―― ? ――  アルバの方を振り向けば、彼は少し表情を曇らせていた。レオノーラは静かに眠るその少女へと視線を戻した。彼女がどうしてこんな場所で眠り込んでいたのか、アルバはきっと理由がわかっているのだろう。  そっと吐息に魔力を混ぜて文字を踊らせた。 ―― この子を帰してあげたいんだが、きみには頼めないだろうか? ――  ここで見つけた、と言わなくても構わないから、と続ける。 「いや、余計なごまかしは必要ないさ。きみが彼女になにかした、とも思われない」  アルバはそう言い切った。その言葉にはひどく違和感があって、知れず眠るその少女を抱いた。  レオノーラがその疑念を抱いたことを、アルバは悟ったようだった。緩やかに笑う。 「このまま巡邏に届けよう。町の治安のために、夜でも詰め所には人がいる」  レオノーラはひとつ頷いた。  彼の腕の中で、少女はこんこんと眠り続けている。いくらレオノーラが言葉を発しないとはいえ、アルバは特別声のトーンを落とすこともなく普通に話している。抱き上げたときといい、眠り続けていることが不安を煽った。 「来たなりこんなことに遭遇するのはずいぶんだが、そのうちあまり驚かなくなるよ」  そう、アルバが静かに言うのが気になった。  アルバと共に訪れた巡邏の詰め所。濃紺のかっちりとした制服をまとった男が二人を迎えた。  レオノーラの代わりにアルバが彼女を見つけたときのことを説明してくれた。ひとまず彼らに少女を預け、勧められた椅子に腰掛ける。  ふたりのうちひとりは何かの分厚い台帳をパラパラとめくっていた。人の顔と名前が分かるようになっているもののようだ。ただ、さすがにこの町の住人全員の台帳、というには少ない。  しばらくして、その台帳をめくる手が止まった。 ―― この台帳は? ―― 「あの花畑で働いている人の登録台帳になります」 ―― 失礼ですが、こんな幼い子が? ――  あの花畑は農園である、とアルバからは聞いていた。そして国有地である、とも。ただ、こんな幼い子どもが働いているとは思い難かった。  問いかけた先の巡邏達に訝しげな色が浮かぶ。アルバが「彼は今日ここに来たばかりなんだ」と付け加えれば、合点がいったように頷いた。  彼らが言うところによれば、彼女にはひとりの母親以外に身寄りがおらず、その母親も今は施設に入っている。とても面倒を見られる状況ではないため、その他の身寄りがない子どもと同じく行政の施設により、衣食住の面倒をしていたそうだ。  この花畑の管理業務はこの町で一番の稼ぎとなる。子どもたちに就労の義務は無いのだが、どうやら本人たっての願いだったため、特例で認めていたそうだ。  しばらくずっと、レオノーラは話してもらったことをゆっくりと整理した。彼らの様子を見ても、この町では取り立てて珍しいことではないのだろう。  一度、眠り続ける少女へ視線をやった。 ―― 今、この子には、何が起きているんですか? ―― 「今この町には同じように眠り込む人が数多くいます。一度こうなってしまうと、もう目をさますことはありません」 「この町のみに起きる奇病、とでもお思いください」  事情を知っているアルバは何も言わなかった。特に口を挟む必要もないのだろう。 ―― 彼女の母親も、同じように? ――  少し彼らはレオノーラへ明かすかを迷ったようだが、いまさら隠すこともないだろう、と彼らは頷いた。  そのおかげでようやく、理解が出来た。  レオノーラがこの町までやってきた「この」理由。それに少し、安堵した。 ―― 彼女はこれから? ―― 「行政も既にこれ以上の患者を抱えるだけの体力がない」 「そのため、身寄りが完全にいなくなってしまった住人に関しては、一週間の後に安楽死とする条例が適用されることになります」 ―― それは、罪には問われないのですか―― 「問われない。これは、この町の選挙権を持つ全員が参加した投票で決まった制度だから」  レオノーラは、静かに目を伏せた。彼がこの町にたどり着いて、一日。本当ならば、きっともっと時間をかけて見つけてやればよかったのかもしれない。  けれど、そうも出来ない事情があった。今なお、彼をここへ呼び寄せたモノは「泣いて」いる。 ―― その、安らかなる死を与える役目を。私に任せてはいただけませんか ――  宙に浮いた言葉に、誰もが言葉を発しなかった。ただ、彼の服装は未だ司祭服のままであった。 「異郷より訪れた司祭様が、彼らに祈りを捧げくださるのならばそれはありがたい話です。死した後に祈りの時間を、と掛け合ってみましょう」 ―― 誰かに、その生命を殺める所業を任せるつもりもないのです。……もし、やらせてもらえるのならば。私に任せていただきたい ――  迷いながら、それでも綴った言葉に、その場にいた全員が驚いたような困ったような顔を見せた。それもそうだろう。レオノーラはひとつ息をついて、その先を綴る。 ―― この町に住むあなた方が、どうやってその住民たちの生命をやむを得ず奪わねばならないのか、どんな思いでいるのかは、私に分かることではない。けれど、私の祈りは死を招く ――  少し、その言葉に沈黙が訪れた。レオノーラは少し目を伏せた。けれど、そのうち再びその指に光をともして宙をなぞる。 ―― 私が呼ぶのは、眠りについた人を死に(いざな)う役目を担う神だ。このまま眠りに落ち、消して目覚めぬ者をそのまま死に誘うことならば、何者かの手を煩わせること無く私にも出来ること。そして、死する彼らを救いに導くことだろう。……どうか、やらせてもらえはしないだろうか ――  はじめてのことに、聞く皆が戸惑いを隠せずにいた。当然のことだと思う。レオノーラはこの詰所の中を見回し、「失礼」と詰所にあった一輪挿しを手にとった。そこには美しく咲き誇る黄色の花がいけられている。  アルバ、そして巡邏の二人とは少し離れた場所へ一輪挿しを置いた。その周囲をそっとなぞるように指を這わせた。  深く息を吸う。この町へ来て、一度も開かなかったその唇を開き、喉を震わせる。  ほんの小さな声で謳う短い異国の歌は、子どものための子守唄にすら聞こえるような柔らかな調べ。その声にはその場にいるものすべてが聞きしれた。  けれどすぐに、彼らは異変に気づく。  その歌に誘われ、一輪挿しの周囲へ光が舞う。  それは時間が凄まじい速さで過ぎゆくようであった。彼らが知るどんな魔術であっても時間(とき)を早めるなどということは出来ぬというのに、その光が舞い落ちた一輪挿しはみるみるうちに風化し朽ちた。 ―― 草花も、人と同じく生きているものなのは、あなた方も理解の上だと思います。私は、これからすることと同じことを、人に対してもできる、ということです ――  人は、これほど急速に見た目が分かるほどに老いたりはしないけれど。 ―― 私の祈りには時間がかかる。もしその死するべき方々以外に危害を加えそうなら、そのときには私を捕らえるなり殺すなりしてくれて構わない。……どう、だろうか ――  ここは、一度解散となった。どのみち、一週間は彼女への執行は行われない。この場では結論が出ない、というのももっともな話だろう。  もしレオノーラに頼むのであれば、また連絡をくれるという。  借家に戻る「頃には、草木も眠りこむほどの時間になっていた。アルバは、すっかり溶けてしまったグラスの氷水を一度捨てて再度氷を入れ、とくとくと蜂蜜色の酒を注いだ。そうしてレオノーラは旅支度の中からマグを取り出した。 ―― 「奇病」のことを、聞いても? ―― 「あぁ、いいよ。その代わりに、僕にも知りたいことがある。どうしてあの子があそこにいるってわかった?」  その話を聞いてからかな、と彼は言う。レオノーラは指を宙へ滑らせた。 ――私には、『声』が聞こえるんだ―― 「声?」 ―― そう。死して眠りについたその人の。私はそれを頼りに弔いながら、旅をしている ――  あの子の、ひとりで泣く声が聞こえたから、私はここへやってきたんだ。レオノーラはそう続けた。
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